第三部 エピローグ

二日後。

パーカス中央地区 カナコ邸前―


「よぉいしょっとぉ!」


 ズシンと音を立てて、馬車のトランクスペースに荷物を置き、エリコはパンパンと手を払った。

 腰に両手を当て、彼女が感慨深げに見上げたのはトッシュが用意してくれた新しい馬車だ。

 もっとも、『新しい』と呼ぶには些か造られてからかなりの年代が経ってはいたが。

 かつて自由を求めてこの街を脱出しようとした者達の、希望が籠められたその馬車は今、七年の月日を経て新たに『帰還を求めて』旅立とうしている少年少女達を乗せて走ることになった。

 その幾分日に焼けた胴体は、堂々たる佇まいで朝日を浴びて初陣を飾ろうとしている。

 

「姫……またこんな買物して……」

「いいじゃない。商業祭で掘出物一杯見つけたのよ」


 と、馬と馬車の接合部の最終点検をしていたチョクはそんな彼女に気づき、お決まりの如く呆れ顔を浮かべる。

 とうのお騒がせ王女は耳に胼胝タコができると言わんばかりに鬱陶しそうに眉を顰めそんな元お付きをちらりと見ていた。

 

「大体お金はどうしたんです? まさか……銀行で?」

「そんなわけないでしょう。組合とカジノの支配人からこの前のお礼ってことでね―ー」


 そう言って鞄から幾ばくかのお金が入った革袋を取り出してエリコは眼鏡の青年へとそれを見せる。

 先日行われたあのカジノ大会は記念すべき第一回となったその興業をなんとか最後まで終えることができていた。

 コル・レーニョ盗賊団の襲撃という予想外のトラブルはあったものの、観客達はそれも含めてまずまずのエンターテイメント性に満足だったようだ。

 そしてあの窮地において大会出場者にも拘らずカナコ達と共に見事な大立ち回りを見せ、盗賊達を撃退していたエリコやカッシー達には、組合とカジノ支配人から感状と金一封が送られていたのだった。


「王家の者として、下々の者を助けるのは当然――じゃなかったんスか?」

「わかってるっての。でも背に腹は代えられないでしょ? アンタも私も一文無しなんだから。それともあの子達に立て替えてもらった方がよかった?」


 もちろん日笠さんは、カジノ大会の賞金から一部補填させてもらったので、旅費は私達が払います――と申し出ていたのだが、どうもそれは彼女のプライドが許さなかったようだ。

 子供達に払わせるくらいなら、ある意味自力で稼いだお金とも取れる方を選んだようで――

 はたして、散々に迷った挙句エリコは仕方なく旅費としてその金一封を貰う事にしたのである。

 話を聞いたチョクは我ながら情けなし――と、肩を落としていたがやはり先立つものがなければ旅は続けられない。

 

「まあ、仕方ないッスか……」

「そういうことよ」

「でもこんなに一杯何買ったんッスか?」

「香辛料」

「……は?」


 と、一瞬のうちに眼鏡を曇らせたチョクに向けて、得意げにピースサインを浮かべながらエリコは答える。

 どうやら辛党の彼女は相当あの刺激的な異世界料理が気に入ったようだ。

 商業祭で世界各国から集まったスパイスを手あたり次第買い漁って来たらしい。

 

「またコーヘイに、カレー作ってもらおうっと♪」

「姫……」


 だからと言ってこれは買い過ぎでしょう――

 もはや呆れるしかなかった眼鏡青年は、深い深い溜息をそれ以上の言及を諦めたのだった。

 そんな王女と元従者のやり取りが行われる傍らで、荷積みを終えた少年少女達はカナコ達と別れの挨拶を交わしていた。

 

「カナコさん、シズカさん本当にお世話になりました」

「アッハッハ、久々に楽しい時を過ごせたよ。またこの街に寄ったらぜひ顔見せておくれ」

「皆様、どうぞお気を付けて。旅の無事を祈っております」

「ありがとうございます……あのところでアリちゃんは?」


 と、そこで姿の見えない碧眼の少女に気づき、日笠さんはそっとカナコにアリの事を尋ねた。

 対して豪放磊落な組合長はやや表情を曇らせると、眉根を寄せつつ首を振ってみせる。

 

「ごめんよ、部屋に呼びに行ったんだけどね、出てこなくてさ」

「そうですか……」

「あいつに会うのが寂しいみたいだ、申し訳ない」

「いえ、それじゃ元気でねって伝えてください」


 既に定位置となっている馬車の屋根に登り終え、胡坐をかいてご満悦でケタケタ笑っていたかのーを見つめながらカナコが謝ると、日笠さんは残念そうに首を振って笑ってみせた。

 それから彼女は少し難色を顔に浮かべ、カナコの傍らに佇んでいた三人の後輩達を向き直り、念のため――と、口を開く。

 

「えーと……それであなた達は、本当に残るの?」


 ――と。


「はい、そのつもりです!」


 はたしてまとめ役の少女のその問いかけを受け、ハルカは元気よく頷いてお辞儀をする。

 その後ろにいたモッキーとアイコも、マメ娘に続いて頭を下げたのを見て、六人は少し困ったようにお互いを見合っていた。

 当初の予定では三人も一緒にホルン村へ行く予定だったのだ。

 新しい馬車は十人乗りだし、少し詰めれば乗れないことはない。

 それに、モッキーとアイコをこの街から連れ出すこと――それがトッシュと交わしたこの馬車をも貰い受ける条件だったからだ。

 

 だが全員一丸となって挑んだ一大作戦の結果、些か当初と比べて状況が変わって来た。

 アイコを見受けするためのお金はカジノ大会の賞金からきちんと支払ったため、彼女がもうこの街に居られなくなる理由はなくなったのである。

 それ故に、垂れ目の少女は一つの決意をしていた。


「トッシュさんには色々お世話になったので、もう少しここに残って恩返ししたいんです」


 何ができるかはわからない。手始めは店の手伝いからになるだろう。

 だが逃げ出したあの夜、それが罪だと分かっていても自分を匿ってくれた恩人に少しでも報いたい――

 ちらりとモッキーを見た後、アイコは遠慮がちに微笑んでカッシー達にそう答えていた。

 

「そういう訳で俺もしばらく残る事にするぴょん」


 三白眼の少年もポケットから手を出して下唇を軽くいじりながら、少女の後に続けて頷いてみせる。

 彼女が残るなら自分も――

 そう言ってモッキーもパーカスに残ることを決めていたのだ。


「私は気にしないでいいと言ったのですが」


 と、同じく見送りに来ていたトッシュが、まんざらでもなさそうに苦笑しながら付け加える。

 怪我は翌日なっちゃんの演奏によってすっかり癒えていたため、今は体調も問題ないようだ。


「まあ、モッキーがいれば平気かしらね」

「でも、カジノは程々になー?」

「ちっちっ、わかってますよ」


 ばれてたか――

 にんまりと笑って釘を差したこーへいからバツが悪そうに視線を逸らし、モッキーは答える。


「でもって、ハルカちゃんも?」

「すいません先輩。私もう少しこの街に残って、色々勉強してみたいんです!」


 と、意外そうに自分を見下ろした日笠さんに向かって、ハルカは手を胸の前でぐっと握りながらコクンと頷いていた。

 カジノ大会の優勝賞金で、ギオットーネの落札にかかった費用は全てカナコに返済し終えていた。

 だからアイコと同じく、ハルカをこの街に縛り付けるものは何もないのだ。

 しかしそれでも残りたいとマメ娘はカッシー達に申し出ていた。

 理由は他でもない、もっと商売のことを学びたいという向上心故である。

 元々商才の塊のような少女だった彼女には、この街が肌に合ったようだ。

 そんなわけで、ハルカは早速明日からカナコの第二秘書として週三回、彼女の会社で働くことになっていた。


「それにノトさんのお店もバンバン手伝いたいし」

「ハルカちゃん、私のことは気にしなくても――」

「何言ってるんですかおばさん。これからが私の恩返しなんですから!」


 やっと店を取り戻せたのだ。これでようやくプラマイゼロ。

 そして店を繁盛させてこそ、そこでようやく恩返しになるのだ――

 遠慮がちに返答したノトに対して、彼女はやる気満々で可愛い鼻の穴をぷくりと膨らませながら首を振ってみせる。

 そんな彼女を見て、ハルカちゃんまさかこの世界で大商人目指すわけじゃないよね――と、日笠さんは些か心配していたが。

 

「アッハッハ、この子達の事は任せておきな。私とオシズが必ず守ってみせるよ」

「どうぞご心配なくお任せください」


 案ずるなかれとカナコが笑いながらそういうと、その後ろに付いていたシズカもぺこりと頭を下げながら、三人の残留を後押ししていた。

 まあこの豪放磊落な組合長と、スーパー秘書さんが面倒を見てくれるのなら、危険もないだろう。

 それに何やらきな臭い事が起こっているホルン村に同行してもらうよりかは、パーカスの方が安全かもしれない。

 カッシー達はようやく持って納得すると、名残惜しそうに三人の後輩を一瞥していた。

 

「一応会長にも連絡入れておいたから。何かあって緊急で連絡を取りたい時はチェロ村にちょうだい」

「わかりました、先輩達もどうかお気を付けて」

「ありがとう、そっちも気をつけてな」

「カッシー! 準備できたわよ、そろそろ乗って!」


 がっしりとモッキーと握手を交わした我儘少年は、やにわに聞こえてきたエリコの声に振り返る。

 今行く――そう返事をしてカッシーはカナコにもう一度一礼をすると踵を返して馬車に歩き出した。

 日笠さん達も各々礼を述べてから、少年の後に続き足を踏み出す


 

 と――



「……カノー」



 やにわに戸惑いを帯びた少女の声が聞こえて来て、屋根上で退屈しのぎにゴロンと寝転がっていたツンツン髪の少年は、むくりと起き上がった。

 彼だけではない、その場にいた一同がその声の主を振り返り、そして一様に嬉しそうに笑みを浮かべていた。

 

 ああ、やっと来た――と。

 

 はたして。

 門の前に立ち、浮かない顔でじっとこちらを見つめる碧眼の少女の姿に気づくと、かのーは大きな鼻息を一つつき屋根上から飛び降りる。

 対して少女は意を決したようにぎゅっと両手を握りしめ、一歩また一歩とツンツン髪の少年へと歩きだした。

 

 ややもって。

 皆が見守るように様子を窺う中、二人は対峙する。


「ムフ、コブンのクセニ見送りクルのオセーディスヨ、スー」


 目の前にやって来たアリを見下ろし、かのーは頭の後ろで手を組みながら、いつも通りのケタケタ笑いをあげていた。

 そんな少年を浮かない顔で見上げながら、アリはようやく口を開く。


「……行っちゃうの?」

「イッチャウヨー」

「……そう」


 なんでだろう。あんなに言いたいことがあったのに、いざとなると言葉が出ない。

 ウエダにだって言い返せたのに――

 アリは悔しそうに唇を噛み締めながら俯いた。

 

「ナンダヨスー、寂しいノー?」


 と、相変わらず人の神経を煽るような小バカにした声が聞こえて来て、アリはむっと眉を吊り上げながら顔をあげる。

 視界に映ったのは、自分を覗き込む頭が痛くなるような糸目と逆三角形の単純顔――

 途端、少女の中で何かが切れた。


「そ、そんなわけないでしょ……あなたがいなくなるなら、むしろせいせいするわよ!」

「ドゥフォフォー、ソーディスカー」

「そうよ、あなたが来てから散々な目に遭いっぱなしだったわ。信じられる? 私一日に三度も落ちたのよ? ありえないわよこの疫病神!」

「ムフン、楽しかったデショー?」

「どこが! 寿命が縮む思いだったんだから。それに肝心な時に逃げてばっかりだし、しまいには私を囮に逃げようとするし、あなたって本当に最低の人間よ! 自分さえよければいいんでしょ? 」

「親分助けるのは、コブンの役目デショー!」

「誰がコブンよ! いい加減にしなさい! このスットコドスコイ!」


 堰を切ったように感情が込み上げて来て、少女はバカ少年を睨みつけ、あらん限りの声で思いのたけをぶつけていった。

 それでもかのーは笑ったままだ。相変わらず何を考えているのかわからない顔で笑ったままだ。

 普段なら精神年齢同レベルの彼であれば少女に対し、額に青筋を浮かべて真っ向から罵り合いを始めるはずなのに。

 なんで? どうして言い返してこないの?――

 一息にまくし立てた少女は、肩で息をしながらじっとかのーを見つめる。

 

 と――

 


「おいスー、サヨナラは笑うモンディス。泣くんジャネーヨ」

「え……」



 ぽん――と頭の上に乗せられた手と共に聞こえてきた少年の言葉に、アリは目を見開き動きを止めた。

 いつの間にか泣いていた。ぽろぽろと零れ落ちる涙をそのままに、少女は積もり積もった少年に対する不満を吐き出していた。

 聡明な少女はわかっていたのだ。

 目の前の少年がここにずっといるわけにはいかないことも、そして自分の我儘を押し付けることが皆を困らせることも。

 

 けれど。

 だとしても――

 

 わしゃわしゃと乱暴に自分の頭を撫でるかのー手の暖かさに気づいたら、それがもう限界だった。


「……いやだ。行っちゃいやだ! 行 が な い゛ で ! !」


 途端、顔をしわくちゃにして少年の胸に飛び込むと、アリは泣き出した。

 年相応の、そして六歳児のありのままの感情を露にし、わんわんと声をあげて。

 止めようと思っても涙が止まらない。

 情けない。恥ずかしい。悔しい。きっと顔中涙と鼻水でべとべとだ。こんなの私じゃない。


 だが、しばしの間大声をあげて泣くアリを見守る様に黙っていたバカ少年はやがて少女の頭をポンポンと叩き、得意気にこう言い放ったのだ。

 

「スー、別れるの嫌がってタラ、新しいコトも楽しいコトも発見できないディスヨ?」


 ――と。

 

 横隔膜に癖がつき、呼吸が止まらない。

 きょとんとしながらも嗚咽を漏らし、アリは涙で濡れる瞳で少年を見上げる。


「スーそれでイイノ? そんな人生つまんないヨ?」

「……カノー」

「今はお別れデモ、また会える日が来るディスヨ。そしたらオレサマが発見した面白いコト一番最初にスーに教えてヤルヨ」

「本当に……また会えるの?」

「ムフ、多分」


 おい、そこは嘘でも『会える』って言ってやれよ……――

 馬車の窓から固唾を呑んで様子を窺っていたカッシー達は、なんて甲斐性のない奴だと揃って溜息を吐く。

 

「だから、スーが見つけた新しいコト、楽しかったコトもオレサマに教えろヨナ?」


 アリはぐしぐしと鼻を鳴らしながら涙を拭うと、じっとかのーを見つめていた。

 だがしばしの思案の後、少女はコクンと頷き少年に向かって小指を差し出した。


「……わかった。じゃあげんまん」

「イイヨー」


 バカ少年はそんな少女の小指に自分の小指を絡ませてブンブンと乱暴に振る。


「オレサマの代わりにこの街シッカリ守れヨ我がコブン。ついでにあのコーハイドモをヨロシク」

「……うん」


 いや、アンタに心配されたくねえ――

 後輩三人は思わずツッコみそうになったがアリに免じて、とぐっと堪え溜息を吐いた。

 刹那、かのーは立ち上がるとケタケタといつもの笑い声をあげつつ踵を返し、軽快に馬車の屋根上へ登っていく。

 そして定位置にご満悦で胡坐をかくと、自分を見上げるアリに向かって手を振ってみせた。


「ムフン、そんじゃまったネーっ!」


 その声が出発の合図だった。

 思わずもらい泣きをしていたチョクは洟を拭くと曇った眼鏡をそのままに馬に鞭を入れる。

 

 かくして、新たな馬車は神器の使い手達を乗せ、一路ホルン村へとその『運命の輪』を回し始めた。





「また……会えるよね」


 約束だよ、カノー。どうか無事で――

 やがて丘の向こうに姿を消した馬車の名残をじっと見つめながら、少女は静かに呟いたのであった。


 第三部 完


 第四部 コルネット古城の死神へ続く

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只今異世界捜索中!~Capriccio Continente de Oratorio~ 第三部 パーカス大作戦 ヅラじゃありません @silverbullet

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