その37-2 後悔するの嫌なんだ

翌日。

パーカス中央地区 カナコ邸カッシーの客間―


 痛い。

 凄く痛い。

 全身が痛くて死にそうだ。

 なんだこりゃ。どうしてこうなった。昨日の夜までは何ともなかった。

 祝勝会だ!ってみんなで盛り上がって、ご馳走を食べてちょっとだけまたお酒も飲んで。

 それがなんでだ。

 朝起きたら全身が痛い。というか動かない。

 身体中の筋肉がパンパンに張っている。

 指先一つ動かしただけで激痛が走って、息が詰まる程だ。

 どうなってんだ俺の身体。

 一体何が――

 

 うつ伏せにベッドに身を寝かせ、口をへの字に曲げながら我儘少年がそこまで考えた時だった。

 ぺたりと背中に貼られた湿布によって、途端新たな激痛が少年の全身を襲い、カッシーは滲み出てくる脂汗と共に目を剥く。

 

「いっでええええええ!」


 最後の方はもはや声にならない叫びだった。

 しかし、口をあんぐりと開けたまま真っ白に燃え尽きた少年へ冷ややかな視線を浴びせ、湿布を貼った当人である日笠さんは小さな溜息を漏らす。


「ちょっと大袈裟過ぎじゃない?」

「うぎぎぎぎ……頼むからもうちょっと優しく貼ってくれ……」


 このままじゃマジでショック死してしまう――

 ギギギ――と、そんな音が聞こえてきそうなほどに、まるで錆びたブリキの玩具の如くゆっくりと首を曲げ、カッシーは涙目になりながら日笠さんに懇願していた。


「優しく貼ったよ? 本当にそんなに痛いの?」

「痛いなんてもんじゃない。地獄の苦しみだこれは……全身が万力で潰されてるようだっつの」


 『いっ!』――と、やっとのことで弱々しく歯を剥いて少女を睨みつけると、カッシーは掠れる声で反論する。


「はいはい、それじゃもっと優しく貼りますよ」


 これはどうやら大袈裟でもなんでもないようだ。やれやれと呆れ顔で肩を竦めると、日笠さんは仕方なくそっと彼の背中に湿布を貼り続けていった。


 今朝の出来事だった。

 朝食の時間を過ぎたというのに、いつまで経ってもやってこない我儘少年を仕方なく呼びに行った日笠さんが、ベッドの上で唸り声をあげている彼を発見したのは。

 なんだか様子がおかしい、もしかすると昨日気づいていなかっただけでどこか怪我とかしてたのかも。もしくは病気?――慌てて彼女は部屋を飛び出ると医者を呼んでほしいとカナコに相談したのだ。

 だがしかし、カナコと一緒に少年の様子を看に来たシズカは、一目彼を見るなり日笠さんを向き直りこう言ったのである。

 

 これは……筋肉痛ですね――と。

 

 なによそれ――と、少女が一気に脱力したのはいうまでもない。

 そう、時任は少年にこう言っていた。それより小僧、身体は平気か?――と。

 その時妖刀が投げかけた言葉はこの事だったのだ。

 今更ながらカッシーはその言葉の意味を文字通り『痛いほど』に感じていたが、もはや後の祭りであった。

  

―ケケケ、苦しそうだなあ小僧!―


 はたして、我儘少年の身体を恐怖の筋肉痛地獄へと誘った張本人である時任は、ベッド脇にあったテーブルの上から小気味よさげな笑い声をあげながらその身を光らせる。


「おいナマクラ、なんだよこれ? おまえ俺の身体に一体何したんだ?」

―そりゃあ『和音』を使ってあれだけ動いたんだから当たり前だろう―

「わ、わおん?」

―身体能力を極限まで高める技だ。退魔師のな―


 時任曰く、退魔師とは東方にあるエドの国であやかしと呼ばれる魔の存在を退治することを生業にしている集団のことだそうで。

 その退魔師達が生身で強大な魔に挑むために編み出したのが『和音』と呼ばれる身体能力を高める技法なのだそうだ。

 簡単に言うと、普段人間が無意識に押さえている潜在的な力を強制的に解放し、身体能力を飛躍的に高める技らしい。


 つまりだ。

 昨日時任はカッシーの身体を借りた際、その和音を用いて少年の身体能力を最大まで引き上げ、そして大勢の盗賊達相手に大立ち回りをしたのだ。

 当然、彼の身体への負担は相当のものだったといえよう。

 結果がこの有様というわけである。


「ざけんなボケッ! そういうことは先にいえ!」


 話を聞き終え、カッシーはぎくしゃくとまるでロボットのように顔を時任に向けると怒りを露にする。


―ケケケ、むしろ死ななかっただけ僥倖と思えよ―

「な、なんだと?」

―俺を使役していた前の持主は、肉体がついていけなくてなあ、最後には全身の筋肉と骨がボロボロのズタズタになって死んだ―

「……だからそういう事はもっと早く言えっつの!」


 ある意味強制的に持ち主を殺す技じゃねーか! それで『妖刀時任』、『呪いの刀』とか呼ばれてるわけか――

 今更ながらこのナマクラの二つ名の由来を理解して、サーッと血の気が引いてくのを感じながらカッシーは時任を睨みつける。

 だがそんな我儘少年の恨み節もなんのその、時任は軽い感じで笑いながらまたもや身を光らせていた。


―ケケケ、まあ筋肉痛で済んでよかったじゃねえか。若い身体ってのは無茶がきいて羨ましいぜ―

「冗談じゃないっつの、こうなるってわかってれば絶対身体なんか貸さなかった!」

―やれやれ喉元過ぎればなんとやらとは言ったもんだ。ならあそこで俺が力貸さなきゃどうなってた?―

「ぐっ……」

―一人前に文句垂れるなら、それ相応の実力を身につけてからにしやがれ―

「ボケッ! ここまで痛いのは流石に嫌だっ!」

―……呆れた我儘小僧だ。まあ痛い思いをするのが嫌ならもっと鍛錬を積むことだな。そうすりゃ身体も和音についてこれるようになる―

「鍛錬?」

―修行だ修行。千日の稽古をもって鍛となし、万日の稽古をもって錬となす――ってな。まあ心配せずとも俺がこれからみっちり鍛えてやるよ―

「み、みっちりって……くっそ、覚えてろよ。おまえなんか絶対河に捨ててやる!」


 殺す気だ。こいつ、いつか絶対俺を殺す気だ。殺られる前に殺らなくては――

 カッシーは顔に縦線を描きながら必死の形相で時任に言い返す。

 だがしかし。

 そこで少年と妖刀の会話は強制的に中断された。

 パン――と、やや乱暴にカッシーの背中に貼られた湿布がもたらした大激痛によって。

 

「い゛っ!? ぐぐぐぐぎぎぎぎ……」

「まったくもう……減らず口叩ける余裕があるなら大丈夫そうねカッシー?」

 

 と、目一杯に涙を貯めて痛みを堪える少年を日笠さんは張り付けたような笑顔と共に覗き込んだ。

 やばい、なんか笑ってるけど怒ってるぞ――目の前に見えた少女の顔を一目見てそう察したカッシーは精一杯我慢して悲鳴を押し殺す。


「そっちの刀も病人の容態を悪化させるようなこと言うのはやめなさい」

―ケケケ、俺は本当のことを言っただけだ。何が悪い?―

「それ以上続けるなら私が代わりに河に沈めてあげる。重し付でね?」

―わかったよ仕方ねえ。おっかねえ娘だぜ―


 と、表情一つ変えずに冷ややかな視線を送る日笠さんに対し、時任は軽口を一つ叩いた後にようやくもって話すのをやめた。

 それを見届け、やれやれと溜息をつくと日笠さんはカッシーを向き直る。

 しばらくの間、彼女は無言で黙々と湿布を貼っていった。

 貼る度に少年の口から痛みを堪えるような息遣いが聞こえてきて、日笠さんは苦笑する。

 

「ごめん痛かった?」

「平気だっつの」

「無茶するからだよ、本当に冷や冷やしたんだから」

「……無茶をしなきゃ死んでただろ?」


 ややもってカッシーは口を尖らせながらそう答えた。

 ぼやくようにしてそう答えた少年の背中を見つめ、日笠さんは湿布を摘まんでいた手を止める。

 少女の顔が僅かに曇った。


「ねえ、カッシー」

「ん?」

「……あんな目に遭って……怖いとは思わないの?」

「んなもん、怖いに決まってる」

「……じゃあ、なんで――」


 それでも君は恐れずに前へ進めるのか――

 

 私は怖かった。

 目の前の少年の頭上に凶刃が一斉に振り下ろされた時、頭の中が真っ白になった。

 こんな目に何で私達が逢うんだろうって恨んだ。そしてもう彼に会えないと考えたら怖くなった。

 見ているだけでもこんなに恐ろしかったのだ。

 その窮地を真っ向から受け止めて、それでもなお、どうして彼は立ち向かえたんだろう。

 私だったら絶対無理だ――


 目の前の少年の背中がまた遠ざかっていく気がして、懸念と羨望――二つの感情を胸に秘め日笠さんは尋ねる。

 だがそんな彼女の想いも、そして複雑な表情も窺うことができないうつ伏せ状態の我儘少年は、聴こえてきたその問いかけにしばらくの間、答えを探すようにして黙っていた。

 だが。


「見つけてみせるって決めたから」

 

 やがて彼はそう答えた。迷いなく、はっきりとした口調で。

 見つけてみせる――

 この世界に飛ばされて初めての夜、河原で不安に押し潰されそうになりながら嗚咽を漏らす自分に向けて少年が放った言葉。

 もしみんなが見つからなくて、このままもう帰ることができなくなったら――そう憂う自分に向けて、断言するように返答した少年の言葉。

 日笠さんは目を見開き、そして息を呑む。


「それって……私のために?」

「違う、自分のためだよ」


 あの夜、自責に駆られ悲観していた少女を責めるつもりは毛頭ない。

 彼女にプレッシャーをかけるつもりももちろんない。

 慌てて言葉を続け、そして誤魔化すようにカッシーは唸り声をあげる。

 そしてそのままの表情でやや迷った後、彼は自分の気持ちを正直に話し始めた。

 

「その……嫌なんだ。後悔すんのが」

「後悔?」

「そう。後からああしておけば良かった――って後悔するの嫌なんだよ」


 怖いもんは怖い、当たり前だが死ぬのなんて絶対ごめんだ。

 けれど、それよりももっと怖いのは、足を止めることだと思う。迷っているうちに誰かを失うことだと思う。

 だから前に進む。たとえ目の前の道が『綱渡り』になろうとも、足を踏み出す覚悟はもうできてるから。

 何故なら自分は決めたのだ。必ずみんなを見つけて元の世界に戻ってみせると。


「だから怖くたってやばくったって、やってやる――って意地張ってるだけだ」

「それでもし……あなたがいなくなったら私はどうしたらいいの?」 

「……」

「みんなが無事でも、そのせいでカッシーがいなくなるなんて嫌だよ――」


 物静かではあるがよく通る声だった。

 少女の心境を紛うことなく投影した憂いの声色が聞こえて来てカッシーは言葉を淀ませる。

 だがしばしの間の後、我儘少年は自嘲気味に大きな溜息をつくと、その表情を益々もって神妙なものへと変えながら少女の投げかけた問いに答えを返した。


「――だからこそ、もっと強くならなくちゃって思ってる……自分で自分を守れて、みんなも護れるくらい強く……今はまだ全然だけどさ――」


 ――と。


「……そう」


 と、呟きながら、日笠さんは懸念と自責の念に駆られカッシーをじっと見つめる。

 彼はこの世界を『受け入れて』、そしてこの世界に『立ち向かって』、それでもみんなを助ける覚悟を決めたんだ。

 でも反面、それはとても危うい気がするのだ。

 このままじゃ、いつかきっと彼は命を落とす。


 そうならないように私は彼を支えなければならない。

 だって気持ちは一緒なんだ。私も……いやきっとみんなも思ってる。

 全員で元の世界に戻るんだって。

 だから彼と一緒に進みたい。そのために私ももっと強くなりたい。

 

 けれど。

 今の私にそれができるだろうか。

 未だ私は彼の背中を見つめているだけだ――


 考えれば考える程惨めな気持ちになって来て、日笠さんはその気持ちを振り払うように頭を振っていた。


「……日笠さん?」

「なんでもない……お願い、こっちを見ないで――」


 なんだか彼女が泣いているように感じ、カッシーは必死に身体に鞭打って少女の様子を窺おうとした。

 だが日笠さんはこちらをギギギ――と向き直ろうとした少年の顔を両手で押さえつけ、静かに彼を制する。

 数十秒ほどの無言が続いた。

 鼻を啜る音も聞こえた。


 何だこの空気、俺なんか変なこと言ったか?――

 凄い気まずくなってきて、カッシーは口をへの字に曲げる。


 と――

 

 そんな少年を責めるように背中にペタンと乱暴に湿布が貼られ、そこで彼はそれ以上の詮索を強引に打ち切られることになった。

 もちろん、全身を電気のように走り渡った激痛によって。

 

「い゛っ……ぎぎぎぎ――」

「はい、背中おしまい。次、足だして――」

「今の絶対わざとだろ?!」

「いいから、早く」

「くそっ、わかったよ……ん……ぐっ……ぐおおおお――」


 有無を言わせぬ口調でそう言った日笠さんの『命令』に不承不承カッシーは返事すると、やがて意を決したように気合の入った掛け声を腹から出して、油の切れたロボットのように緩慢な動きで仰向けになる。

 そしてその後およそ五分。ゆっくりと時間をかけて上半身を起こし、寝間着の裾を捲り終えると、涙目で日笠さんを見たのだった。

 どうだ?一人でできただろ?――と言わんばかりに。

 まるでおじいちゃんだ――そんな少年のドヤ顔を見ながら呆れ気味に深い溜息を吐くと、日笠さんはカッシーの脛に湿布を貼っていく。


 目の前で黙々と湿布を貼っていく彼女は、いつも通りの『日笠まゆみ』だった。

 みんなをまとめるしっかり者の元部長の顔――

 背中越しに伝わって来た憂いも、懸念も、そして不安ももう感じられなかった。

 さっきのはなんだったんだろう。狐につままれたような顔つきで、カッシーは少女の顔をじっと見つめる。

 その視線に気づいて、日笠さんは笑いながら小首を傾げた。

 

「なに?」

「いや、なんでも……そういやみんなは?」

「商業祭の見物がてら手分けして旅の買い出しに行ってくるって」


 誤魔化すように話題を変えたカッシーの話に乗って、日笠さんは答える。

 ヴァイオリンで買い揃えた物のほとんどは、オーボエの森に置いてきてしまっていた。

 一から全て揃え直す必要があったために、商業祭の見物がてらみんな食料や旅用品の買い出しに街へ出たらしい。

 商業祭はあと三日は続くようだ。初日から色々あったその後始末のため、カナコとシズカも朝早くから組合長としての仕事にかかりっきりとのこと。

 そんなわけで、今カナコ邸に残っているのはカッシーと日笠さんのみだった。


「そっか。日笠さんも行ってくればいいのに。せっかくのお祭りだろ?」

「誰のせいだと思ってるんだか。こんなおじいちゃん置いていけるわけないでしょ?」

「うっ……ごめん」


 本当に鈍感なんだから、気の遣い方が三歩遅い――

 と、日笠さんにジト目で睨まれ、カッシーは言葉を詰まらせる。

 だがバツが悪そうに口をへの字に曲げた彼を見て、日笠さんはクスリと可笑しそうに微笑んだ。

  

「なんてね。大丈夫、もう少ししたら恵美が帰ってくるから。そしたら交代して私も見物してくるね」

「別に委員長を待たなくてもいいぜ? 俺どうせ寝てるだけだしさ」


 遠慮がちにそう言ったカッシーに対し、日笠さんは無言で首を振ると最後の湿布を少年の脛に貼り付けた。

 そして腰かけていたベッドから立ち上がり窓辺に歩み寄ると、窓を開けて部屋の換気をする。

 途端部屋の中に吹いてきた河風に髪を靡かせながら、少女は窓の桟に手をつき、そこから見える景色を一望した。

 

「カッシー……」

「ん?」


 よっこらせっと、曲げていた膝を伸ばし寝間着の裾をやっとのことで直し終えていたカッシーは、少女の声に返事する。

 日笠さんは後に続く言葉を放たず、そのまま目を細めて窓の外を眺め続けていたが、やがてゆっくりと言葉を紡ぎだした。


「ホルン村にいるみんな……無事だといいね」


 聞こえてきた少し悲し気なその声に、カッシーはぎこちない動きで窓辺の少女を向き直った。

 商人の街を眺める美しい少女の、憂いを帯びた秀麗な横顔が見えて、彼は心配そうに表情を歪めつつ答える。

 


「ああ……そうだな」


 ――と。

 今日も空は快晴だった。

 その青空の下、商業祭でにぎわう街と彼方まで続く大河を見つめ日笠さんは小さな溜息を吐いた。

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