宗教と救い
今日は昨日涙を流したので、気分爽快に目が覚めた。泣くという行為は悲しみでも、喜びでも、感動でも、心をリラックスさせ、活性化させるらしい。両腕を頭の上に伸ばすと、思いっきり伸びをする。体調も申し分ない。
朝の五時である。フライトシミュレーションはもう三ヶ月近くになる。それもまだ訓練中だ。今日、明日でトレーニングモードは終了したい。まだゲームの本番にすら到達してないのだ。
最後のミッション、都市の空爆だ。飛びながらレーザー砲を地上に向かって放つ。スコアが全く上がらない。
敵の基地の中心部分に狙うべき十字のマーキングが出るのだが、ここに照準を合わせるのが難しい。どこかにオートマティックに切り替わるからくりがないかボタン類を探してみると、左上にあった!見落としていたのだ。これで俄然有利に進めることができる。
宇宙の果てからやってきた。正義の使者。善の宇宙空母から戦闘機を発進させると、宇宙空間であろうと地上であろうと、悪の戦闘機を次々にやっつけていく……はずだったのに、今やっていることはなんだ?軍事施設の空爆?敵が占領した国に基地を築いているのだろうか。
頭を空っぽにして、今度はオートマティックで勝負だ。十字のマーキングをオートマティックで捕らえるとレーザー砲を照射する。施設は激しく破壊される。これの繰り返しである。時折敵機が編隊をくんで襲ってくるが、思いきり上に登り頂点でターンし、正面衝突一歩手前で闇に葬っていく。
オートマティックに切り替えてからは空爆がまったく難しくなくなった。スコアも大幅に伸び、レッドラインを突破した!
「Mission Complete!」
これですべてのミッションでレッドラインを越えた。ここからが本番なのである。
「長かった…」
ここまでを思い出すと感慨深いものがある。配給所でもらった座椅子をフラットにするとしばらく動けなかった。
「おはよーごさいまーす!」
みゆきの元気な挨拶だ。RPGをやる時間である。ゲームはやっと前進し、村にいた剣士と黒魔導師も仲間に加わってレベル上げを夢中でしている。レベルはかなり上がった 。もうそろそろ次の町に行っても良さそうなのに、慎重である。最初の敵の毒攻撃がトラウマになっているようだ。
一時間はあっという間に過ぎた。
「また明日ー!」
みゆきの元気な声でお開きとなった。
「雪菜さん、腹減ったよ。飯食いに行かない?」
「達彦くんは出られるの」
「あー誘ってみようか」
今までは食堂まで達彦を連れていかなければならなかったが、キッズルームに転がっていた一人用のビーグルを見つけ、達彦の物にしてしまった。もちろん生体認証を実行して。
雪菜は餃子、達彦はシチュー、翔馬はあまり食べない肉じゃがをチョイスした。翔馬は丼にご飯を盛り、肉じゃがを入れた。これで牛どんになる。チンが終わると旨そうな匂いである。
「翔馬くんさー」
牛どんに食らいついている翔馬に雪菜が尋ねる。
「最近二週間ほどかな。夕方5時頃になると志保ちゃんの手伝いをしているみたいじゃない。お主、惚れたか」
「それも難しいところなんだよね。顔は折り紙つきの美人だし、性格的にも大人しい人が好きな俺の好みにあっているし。でも、なにかすぐに影響されるガラスの心を持っているって、ちよっとあぶなっかしいっていうか」
「だから騎士のつもりなわけ?」
「教義自体はそう危ないものじゃないと思うよ。お金の価値がなくなったから、高額のお布施をとられるわけじゃなし」
「じゃあなぜ大村さんだったっけ、その人は宗教活動してるわけ?」
「さぁ…詳しくは分かんないけど『教祖』をしている自分が、彼にとってのアイデンティティーなんじゃないかな。それこそ無償でもやり続けたい、みたいな」
「アイデンティティーねぇ。まあ、アイデンティティーは人それぞれだもんね。翔馬くんがそこまで割りきっているのならもう何も言う事ないわね。いえね、翔馬くんが奇跡なんかを見せられて、何かのめり込んじゃってる気がしたから、少し心配になっちゃって」
奇跡を見せられたのは本当だ。(これらの人々はのちに能力者と呼ばれるようになるのはまた別のお話し) 教義にも賛同する部分も多い。しかし、のめり込んでいるという自覚はない。泣くために集まる「泣きサークル」のようなものだと感じている。それに、夕方五時頃が、一番何もすることがないのだ。それで、一日に一回志保の顔を見に行っている次第だ。
懺悔は今日一日にあった自分の不始末を語るのだが、翔馬は時間軸を考えず話す。今日は昔飼っていた犬の事である。
「最初は可愛がって熱心に散歩に連れて行ってたんです。でも友達と遊ばなきゃいけないし、趣味のギターもやりたいし、で思い付いたのが自転車で散歩を終わらせるようにする事だったんです。でもそれもだんだんと面倒くさくなり…ひっく、引っ越しを機についに保健所にひきわたしたんです。ひっく、ひっく、ラッキーごめんな、ひっく、ひっく」
周りの人間も、目をハンカチでおさえたり、嗚咽をこぼしたり、反応は様々だ。何よりも自分が楽になっていくのだ。
他の人の話しもよく聞いていると、ちょくちょく泣き所がある。しかし、最近泣きつかれたのか、あまり涙を流さなくなった。波があるようなのだ。それでこのサークル自体は週二日出ようと決めた。泣きたいゲージを満タンにしたいがためである。
志保の話のツボはだんだん見えてきた。テニスと、小説と、皇室の話しである。いかにもお嬢様の好きそうな話題だ。この話しになると、少し多弁気味になる。決して無表情ではない。話のツボが翔馬と合わなかっただけだったのだ。
「泣きませんかー肩の荷が降りて楽になりますよー」
そんな勧誘もないだろうが、翔馬の素直な感想である。
勧誘の傍ら、小説や惑星についてからの話で盛り上がる。先進五カ国で領土を等分に配置するのであろうか。語っても語りつくせない話題である。
小説の方はいかにも、ハイソサエティな人々が読んでいるような選択だ。面白かった小説を三つほど選んでもらい、翔馬のペーパーにダウンロードする。
「これは男の人が読んでも、面白いと思いますよ」
「こっちはその人の感性次第ですね」
「これは二転三転する、ミステリーの巨匠が書いたシリーズです」
膨大な本のなかから、チョイスしてくれた。面白いに違いない。
まだ、夕方四時を少しだけ過ぎたところであるが、勧誘をやめ、ベンチに座り、男が読んでも面白いという小説を読み始めた。
中年をすぎ、営業でも大した成績を上げられない、たそがれた男が主人公である。その男の日常から物語ははじまる。
鬱になりそうだ。とりあえず栞を挟み、つぎの感性次第と言う本にチャレンジする。付き合っている、男と女の別れのシーンから始まる。これも最後にハッピーエンドになるのは分かっているのにもうひとつワクワクしてこない。
二転三転する巨匠の作品は文字数が半端ない。読み上げるのに、一年間かかりそうだ。
結局、男が読んでも面白いという本に手を着けた。
確かに文章は流麗でしかも分かり易く書かれており、その力量が伺いしれる。
「今日から水曜日と日曜日だけ集会に出る事にするよ」
「何か集会で良からぬことが有ったのですか」
志保はおろおろし始める。そのしぐさが可愛い。
「毎日行くと泣く力っていうのかな、そのゲージが満タンにならないんだよね。俺はあの集会を泣きサークルと思っているんで、ゲージを満タンにしてから行きたいと思っているんだ」
「そういう捕らえ方をしているのですね。分かりました。でも勧誘活動はいつも通りやってくれるんですよね」
「ああ、勧誘はね。一日一回は志保ちゃんの顔を見に来る予定だよ」
志保が集会のために手を振って姿を消した。だんだんと、志保の事を好きになっている翔馬がいる。
寝床に入って、フライトシミュレーションの本番に挑む。スタートボタンの色が変わっている。いままでずっと灰色で、押すことも出来なかったのだ。感無量である。
スタートボタンを押すとファンファーレが鳴り、ゲームスタートである。長めの動画が流れる。ここからが本番である。
ある惑星からSOSの救難信号が入る。その惑星が悪の戦闘機で破壊されているという。われわれ正義の使者が、駆けつけておいはらわなくてはならない。ミラが言う。
「これから惑星5371に助けに行くわよ」
「了解」
空間変位機をオンにすると、いきなり敵機の大軍の中に放り出された。翔馬は「うりゃー!」と叫びながら次々に撃退する。
これまで訓練してきた技の数々を駆使して敵機を殲滅していく。
二時間ほどして、セーブする。そろそろ晩メシの時間である。
雪菜と達彦を呼び出すと、食堂へ向かう。一番多い時に来てしまった。満席に近い。
「どうする、出直す?」
「三人席なんかすぐみつかるわよ」
雪菜がそう言うと、目の前の四人が席をたった。二人づつレトルトをチンしてくる。やがて「いっただっきまーす」の掛け声と共に野菜ゴロゴロシチューにかぶりつく。
「もう、半分は越えたんだよね」
それとなく雪菜に聞いてみる。
「ちょうど半分よ。確か」
「宇宙ってさ、本当に足場がないって言うか落ち着かないよね」
「それを承知で地球から飛び出したのは誰かしら」
シチューにかぶり付きながら、翔馬が言う。
「だから何ていうのかな。宇宙にいる時だけでも、心の支えが欲しいっていうか、足場が欲しいんだと思うんだよね。『大いなる光』はそいいう活動なんだと思うよ」
「ふーん」
雪菜は翔馬が熱弁しても、ほとんど関心をしめさない。
「翔馬くんさーやっぱり志保ちゃんに惚れてるんだよ。それでわいわい言って正当化して。志保ちゃんも救いだしたいけど、あの子もう手遅れみたいだし。翔馬くんならまだ間に合うよ。寂しいだろうけど終わりにしなよ。仮にだよ、おんなじ勧誘をやってる相棒が五十代の汚ないおっさんだとしたらどうする?想像してみなよ。さっさとやめてるでしよう?」
雪菜が言うと、説得力がある。なるほど志保がいるから行っているのであって、おっさんとペアを組まされた日にはなんの未練もなくやめてしまうだろう。大いに納得した翔馬はもう行くまいと決心をする。
雪菜と志保、どちらをより好きなんだろうと自分に問いかける。恋をしているのは志保の方、雪菜は女房と言ったところか。勝手に妄想している。
選びようがない。二人とも好きなのだ。しかし、決断をしなければならない。翔馬はやはり雪菜を選んだ。これで志保とは疎遠になるだろうが、仕方がない。二人を追いかける事は出来ない。
翌日、夕方いつもの時間になった。翔馬は重い足取りでパンフレットを必死になって配っている志保に近づく。志保がいつものように輝く笑顔で迎える。
「こんにちは。どうしたんです。いつもの翔馬さんじゃないみたいですよ」
勘の鋭い娘である。
「いやー今日は話があるんだけど。ちょっとベンチに座らない?」
志保の表情が一気に曇る。不安そうな顔になる。
「落ち着いて聞いてくれる?様々な事情により、俺は『大いなる光』を脱会することにしたんだ。だからこの勧誘ももう終わりにしたいんだ」
志保はうつむいて聞いている。すると突然翔馬にすがりつく。
「私の事を嫌いになったんですか!そうでしょう。暗い性格に嫌気がさしたんでしょう!」
突如の変貌ぶりに、こちらが戸惑う。
「いや志保ちゃんは好きだよ。でも宗教にのめりこむのはガラじゃないって思ったんだよ」
「そんなの言い訳でしょう?私を嫌いになったんだわ!うわーん!!」
パンフレットを翔馬にぶちまけ、泣きながら公園から去って行った。まるで痴話喧嘩である。翔馬が散らばったパンフレットを集めるのに三十分かかってしまった。その間、なぜか振られたような振ったような妙な感覚におちいり、自然と涙を流していた。
晩メシの時間がくる。雪菜に今日のやりとりを伝える。
「まあ、合格点かな。志保ちゃんには気の毒だったけど。女の色香に負けて普段なら絶対やらないことをするのがいかに危険で、後々煩わしい事になるのかがよく分かったでしょう?」
「身に染みて分かりました」
達彦がヘラヘラ笑っている。
「なんだよ達彦。君も大人になったらいろいろあるんだぞ」
「そういうことには巻き込まれないよね、達彦くんなら」
達彦が口を開く。
「勉強中です」
「何でもかんでも勉強なんだな君は、そのカツひとつくれ」
翔馬が引ったくると、達彦が叫ぶ。
「あー、そういう事するんだ!端っこが一番おいしいのに」
翔馬はそっぽを向いて笑った。
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