誘惑
翌朝五時に目が覚める。顔を洗い、歯を磨きさっぱりする。フライトシミュレーションをこれまでやって、スコアが低かったミッションに再チャレンジだ。もうミスをする事もなく、ハイスコアを叩き出す。そうこうしているうちに、インカムから挨拶が届く。
「おはようございまーす!」
朝っぱらから元気がいい。みゆきである。「お早うございます」
テンションが低い。志保である。
おととい新しいゲームをやると約束したのだ。翔馬は少しブルーになった。RPGが苦手な訳はあの何の生産性もない「レベル上げ」というやつが嫌なのだ。しかし、仮にも国民的ゲームである「ホエナルファンタジー」なら、ある程度の面白さは期待できる。
ゲームをセーブしてホエナルファンタジーにきりかえる。雪菜と達彦が画面を切り替え待っていた。「お早うございます」と、皆が口々に挨拶する。
翔馬が切り出す。
「最初は一人プレーだが物語につれてパーティーが多くなっていく、典型的なホエナルのゲーム展開のようだ。パンフに書いてある。さて勇者は誰がやりたい?」
「ハイハイハーイ!私がやりたいです」
みゆきが応える。以下剣士に達彦、黒魔導師に志保が、白魔導師に雪菜、翔馬は残りのシーフになってしまった。前のゲームでは達彦と志保があまり活躍しないポジションだったので今度は花を持たせた訳だ。
早速ゲームにエントリーし、みんなでイントロの動画をみて楽しむ。翔馬はしばらく出場しないであろうから気が楽だ。
みゆきが少年の姿で現れた。まずは出身地と思われる村で誰彼ともなく聞き込みをしている。まず何をすればいいのかまるで分からないようだ。海の方に行く。突然モンスターと遭遇である。へびにネズミと最弱コンビが相手だ。しかしみゆきはへびに噛まれ毒状態になってしまった。結構強い毒のようだ。村に到着する前に力つきた。ゲームオーバーだ…
みんなが大声で笑っている。初日はみゆきの慌てんぼうぶりからスタートした。
みゆきがまだ何をすればいいのか分からないまま一時間が経過した。みんながずっこける。お開きである。
「また明日ー!」
みゆきの一言で区切りがついた。
「ご飯食べにいこっか」
雪菜の誘いに皆ついていく。翔馬はおでんをチョイスする。ご飯に汁をぶっかけるとこれまた美味しいのだ。
「今日のみゆきちゃんの慌てぶりったら。ははは」
雪菜がつい笑う。翔馬もつられて笑ってしまう。達彦まで「えへへ」と口に出す。
「ところで翔馬くん」
「うん?なんだい」
「翔馬くんは出発からずっとやってるゲームがあるわよね、あのフライトシミュレーション。あれ、そんなに面白いの?」
「人によりけりじゃないかな。俺はハマってるけど」
「一人プレーでしょう。なんだかストイックな感じ」
「ストイックじゃあないよ。ナビがいるんだよ、人口知能の。その娘とのやり取りが楽しいというか」
雪菜が言葉を選んでいる。「ふーん、それじゃあ、ね」
その問題のゲームは今日から敵機との空中戦だ。ミラがワイプ越しに言う。
「これから難易度がさらに上がるわよ。敵機も様々なタイプの戦闘機と、シチュエーションが待っているわよ。頑張ってね。」
「了解。」
いつも乗っている戦闘機、F-70に乗り込み、滑走路へ向かう。設定では、核ミサイルを搭載していない機体である。敵の方は核技術がまだ発見されていない文明のようだ。核技術を除けば、地球でいう二十一世紀初頭の文明に近い。
宇宙空間に出ると後部から敵機が三機追尾してくる。機関銃で攻撃してくるが、右に転回する翔馬には一発も当たらない。翔馬は思いきりブレーキを踏み込むと、三機の後ろに出た。
すかさずその中の一台をロックオンする。レーザー砲を打ち込むとあっさりと爆発する。残りの二台も同じく後ろに回ってしまえば何の事もない。三台の戦闘機をあっというまに地獄の底へ叩き落とした。
「その調子よ。まだまだ敵機に囲まれているわ。その中を突破するのよ!」
レーダーを見ながら敵が固まっている所へ舵をきる。敵は翔馬から突っ込んでくるのに慌てたのか、編隊もバラバラになりやたらめったらに撃ってくる。翔馬は空中散歩を楽しむように右へ左へ旋回し、一台ごとにロックオンしては、撃墜していく。
逃げ回る奴も出てくる。アクセルをコントローラーで一気に踏み込むとロックオンして殺ってしまう。
「その調子よ。頑張って!」
ミラが応援してくれる。倒すのはあと一編隊だ。ななめに滑るように編隊に近づくと、近い敵機から次々に奈落の底へ沈めていく。
「Mission Complete!」
かなりのハイスコアが出た。一番上に届きそうだ。もう縦横無尽に自機を操れるように成ったといってもいい。とにかくマシンの性能が格段に違うのだ。
寝床を出てコーラを取りに行き、喫煙所に向かう。今日は先客がきている。珍しいことだ。みんな暗黙の了解でほとんどの喫煙者は自室内で吸っているのはばれているのに。
「おはようございます!」
翔馬が元気よく挨拶すると、向こうも「おはよう」と会釈で返してくる。
年は六十歳ぐらいだろうか、初老の穏やかそうな人物である。上にカッターシャツ、下に薄紫のスラックスを穿いている。おそらくこの舟の建造に出資した、富豪の一人に違いない。しかし今となってはもう金の使い道はないのである。その人生はいかほどのものか。
同じベンチに座って、翔馬も煙草に火をつける。黙っているとなにやら気まずい。翔馬が話しかけようとすると、向こうから声をかけてきた。
「毎回規則を守って、ここにきて煙草を吸っていますよね。お若いのにしっかりしてます」
とてもじゃないが、雪菜さんに怒られそうだからという本心は言えない。「いやぁ」と頭をかいてみせる。
「この宇宙旅行も後半分になってしまいましたね」
「ここまで平穏にこられたのも、大いなる光の導きの賜物です」
「大いなる光ですか…そういう話はさっぱり分からなくて」
「あなたも感じた事はあるでしょう。ここにこうしていらっしゃる事も大いなる光があなたを導いたのです」
初老の男はふざけた顔をしていない。真剣な顔で続ける。
「全て、森羅万象の全てが大いなる光によって導かれているのです」
右手を胸につけ、頭を垂れる。
「はあ、全てですか」
「それでは吸いすぎにご注意下さい」
ベンチから立ち上がり、にっこり会釈をすると三階のベランダから下へ降りていく。まだ老いを全く感じさせない歩きっぷりだ。
翔馬はふと思いだした。昨日の服のポケットに志保がなにかメモを書いた紙へんを入れて去った事を。寝床に帰りポケットをまさぐるとまだ残っていた。
明らかに電話番号である。インターネットにはもう繋げられないが、内部同士だと、電話やSNSの類いはどこにいても繋がる。
恐る恐るペーパーパソコンを開かない、三センチくらいの円筒形のまま、電話のスイッチを押すと口で電話番号を言う。
しばらくコールが鳴る。もしつきあって下さいというのなら、俺には雪菜さんがいます。残念ながら。と言おう。
長いコールの後、やっと志保が電話に出た。「こんにちは、志保ちゃん、翔馬だよ。電話番号をくれるなんて珍しいね。いったい何の用?」
「少し言いにくいんですが…これからお時間とらせてもらっていいですか」
「構わないよ。公園にでもいこっか」
「それじゃあ、公園の噴水前で」
久しぶりに公園にきた。重力が半分に調整されている場所である。歩くと少しこそばゆい感じがする特別な場所だ。
翔馬がベンチで待っていると、志保が真っ白なワンピース姿で現れた。あまりに美しいんで見とれてしまう。そのまま同じベンチに腰かける。
「電話番号くれるなんて珍しいね」
「ご迷惑では、なかったでしょうか」
「全然。嬉しかったよ」
それから翔馬は色んなことを話しかける。この舟に入ったきっかけ、雪菜との関係、毎日やってるもうひとつのゲームの事、しかし、「はぁ…」だの「へー…」だのほとんど興味を示さない。
すると、いきなり立ち上がり、右手を翔馬の額にかざした。
「そのまま目をつぶっていてもらっていいですか?」
「わ、分かりました」
志保がこいいう、新興宗教や、自己啓発セミナーの類いに入っていたのは驚きであった。どのような教えなのだろう。そっちも気になる。
「ひたいの方向に何か光が見えません?」
「さあ…」
「ひたいが暖かくなったとか」
「少しだけ…」
翔馬は志保をがっかりさせまいと、ちょっぴり乗ってみた。すると想像以上に喜んでいる。
「逆効果だったかな…」
志保はそれから、この舟に乗り込んだ顛末を話し始める。志保は出発一週間前から、母と乗り込んでいたらしい。後は国会議員の父親と合流すればよかったのに、中国がいきなり先制核ミサイルを打ち込んできた。国会の会期中だった父親とは電話も繋がらず、出発を前倒しにして航海に出た。
また乗船を前倒しにして出発した犠牲者がいた。翔馬は申し訳なく思う。しかしそれは口外出来ない。
「そこへ先生と出会ったんです。大村龍造先生と。先生が私に手をかざすと、不思議な光が額に浮かび、暖かくなるんです。最初はとても驚きましたが、先生の人となりを知ってからは、その力を信じるようになりました。今ではシスターとして、布教に努める毎日です」
一気にしゃべって喉が渇いたのか、ミネラルウォーターを口にする。
「先生によれば、大いなる光は皆と繋がっていて死んだ後は自らも大いなる光とひとつになるそうです。私は死んだであろう父親と死後に会えるのを、心待ちにしているんです」
言わんとしている事は分かる。教義の方は実家も入っている、浄土真宗に近い。大いなる光とは真宗の阿弥陀様のイメージと、酷似している。しかし、「死にたがり」も生み出しそうで、少しだけ危ない教義である。真宗はその昔は一向宗とよばれ、今生の死を恐れない教団として今も息づいている。
大村龍造と言えば、何冊もの書籍を出版し、信徒から布施を取らないので有名である。
「大村先生は書籍の印税で暮らしておいででした。それで築いた巨万の富を全額寄付したそうです。新たなる地で「大いなる光」を再興するのが、先生の夢なんです。今日は夕方五時から集会があるんです。場所は大きな廊下、キッズルームの端っこを借りてやります。翔馬さんもどうですか、まだ二十人ほどの小規模な集まりですけど」
翔馬は布教に邁進しているであろう志保の事を考えると、心の底のほうから涙がこみ上げてきた。こうして自分の信じた道で心を埋めないと、愛する人を失った悲しみは拭えないのであろう。
「まあ、行って見るだけなら。夕方五時だね」
「はい!翔馬さんが見学に来てくれるなんてとってもうれしいです。いつもの格好でいいですよ。皆も普段着ですし」
翔馬はベンチに腰かけたまま、去っていく志保を見送った。布施を剥ぎ取る訳でもなし、浄土真宗の現代版と考えれば分からない事もない。
それと、大村龍造という男に興味を持ったのだ。本当に大いなる光が見えるのか、ひたいは暖かくなるのだろうか。本当ならばご利益が有りそうだ。オカルトな物を体験してみたい自分がいる。
大広間になっている「キッズルーム」に降りてきた。多くのお母さんや保育士の人間が、子どもをあやしている。
靴を脱いで靴置きに置くと暫し志保を待つ。そんななか、人々が遠慮がちに集まりはじめる。
「大いなる光、ですか」
「そうです。私も新米なものでよろしくお願いいたします」
「こちらこそお願いいたします」
通りいっぺんの挨拶を皆とかわしていく。そうこうするうちに五時になった。大村龍造がどこからともなく現れた。
「皆さん今日もお忙しい中をよくぞおいで下さいました。見学の方もリラックスして楽しんで行ってください」
なんとそこには、朝あった初老の男がいるではないか。目があうと、軽く会釈をする。
志保が勧誘から帰ってきた。翔馬とアイコンタクトをとる。皆思い思いの座り方をする。下はキッズルームなので、厚手のふかふかなリノリウムでできている。皆、右手と、左手を交互に回転させ胸の前で手を合わせる。基本的なお祈りが終わったようだ。次は懺悔の時間だ。皆今日一日の悪かった事をさらし出す。それについて、皆がアドバイスを送ったりしている。
翔馬の番になった。今のゲーム三昧の日々と第三次世界大戦を生き抜こうとしている近しい人々をあげ、そのあまりの立場の違いに胸がかき回されると伝える。拍手が一斉に起こる。翔馬はこれでやっとゆるされた気がした。
志保が微笑みながら拍手をしている。
最後に大村龍造に
「その思いを持っているだけでよいのです」
と言われ涙が出た。
最後に、志保に仲立ちに入ってもらい、手かざしをしてもらう。ひたいの周りが明るくなって、中心部は一層輝いている。熱かと思うほどあたたかい。これは本物の霊能力者だと確信を得る。
初日はここまででお開きとなった。
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