夢を見る少年

 飯を食いながら、RAー1の事を思い出した。鍵を掛けっぱなしにしてきたのだ。こんな密閉空間では盗まれないだろうが気になって仕方がない。かつカレーを食い終わり、雪菜に事情を告げると、スカイ・ビーグルで食料倉庫に戻っていく。通路がとぎれて出入口から食料倉庫に入ると、まだここは人けで溢れ返っている。RAー1をもっと隅にどかせ、バンドルロックすると、翔馬は通路へ誘導する。


「入り口はこちらですよー!」

 人々が我先にと通路へ向かう。千人ほどもいただろうか。皆無事に睡眠カプセルの方へ向かって歩き始めた。


 しかし、閉じられた出入口をじっと見つめて動かない少年がいる。年は十五くらいだろうか。翔馬は少年に声をかける。

「そこで何をしているんだ。早く行かないと寝る所がなくなってしまうぞ」

「僕だけ先に入ってしまって家族は取り残されたんですよ!一人だけ逃げたって意味がありません」

 恐れていた事態が起きてしまった。家族全員が取り残こされたならまだいい。別れ別れになるのが辛いのだ。


 少年は今では珍しいカッターシャツに通学ズボンを履いている。真面目なタイプのようだ。正直言ってこのくらいの年の少年が一番扱いにくい。とにかくここから一歩もテコでも動かないという顔をしている。


 翔馬は複雑な気分だ。強制的に出入口をシャットアウトしたのは雪菜と自分なのだ。しかしそれは絶対言わないと決意をする。


「とにかく寝床はあの通路だから。通路を二百メートルくらい進むと、蜂の巣みたいに成っていて寝室に番号が貼ってある。自分の番号は分かっているんだろう?」


 少年はとやかく言ってくる翔馬を一瞥し、また前を向いてしまった。


 言うことだけは言ったのでこのくらいで退散しようとした。その時である。少年が通路に向かって走ってきた。何も言わずに翔馬のスカイ・ビーグルの後ろに乗り込み、「お願いします」と挨拶をしてきた。


 スーツケースが少しじゃまだったが翔馬はスカイ・ビーグルを発進させた。もうふらついたりする事もない。案外簡単に慣れてしまった。


 翔馬は運転しながら問いかける。

「君、名前は何て言うんだい」

「小林です。小林達彦といいます」

「達彦くんか。俺は翔馬だ。よろしくな」

「以降よろしくお願いいたします」


 泣き声になっている。怒りが悲しみへとなったのであろう。


 通路が終わり、睡眠カプセルの区域に到着した。一万越えのエリアに行こうとすると達彦が口を開く。

「僕はナンバーを知らないんですよ。母に預けていたもので」

「それじゃあ、俺の横に来るといい。俺の横でなくとも二千人近い空きがあるはずだ」

 達彦は翔馬の横に来るという。案内して歩いて行くと色々聞いてくる。

「さっきの空を飛ぶ乗り物はなんですか」

「スカイ・ビーグルって言うんだそうだ。俺もこの中の事はあまり詳しくないんだがな。一番詳しい人がいる。そいつと引き合わせてやろう」


 ナンバーなしのエリアのはしっこに到着すると、一番最後尾に陣取っている雪菜を呼ぶ。雪菜が出てくると、達彦を紹介した。

「こちらは小林達彦君、こっちは高橋雪菜さんだ。雪菜さんはこの舟の現場監督をしてきて、一番詳しいかと思う。以降それぞれよろしくたのむ」

 雪菜と達彦がお互いに挨拶をする。達彦は素直な性格で最初の扱いづらい印象はなくなっていた。スーツケースを後ろから三番目に置いている。


 翔馬は雪菜を風呂場近くに呼び寄せた。

「あの子は俺達が強制的に出入口をシャットアウトした折りに家族と生き別れになったそうだ。その事実を知ると恨まれるかもしれないので、封印しておこう。約束だぞ」

「分かったわ。二人だけの秘密ね」

 雪菜も心得たようだ。


 翔馬は達彦を呼ぶ。

「ここからが風呂場やトイレや洗濯機のエリアになる。一度ざっと見ておくか」

 達彦はうなずいた。翔馬の後を追ってくる。風呂場はエリアごとにあるので、大浴場というほどでもない。問題は洗濯機である。風呂に入る時間帯は取り合いになるであろう。


「大体覚えたかい」

「ええ、わかりました。トイレがしたいんでちょっと失礼いたします」


 ちゃんと敬語を使う、今時では珍しい子である。何人家族だったのだろうか。胸が傷む。自分も故郷の広島を出て、そのまま東京の大学を経て就職をした。両親は今どうしているのだろうか。それを思うと、こっちも泣きたくなる。


 ベッドを出て、体育座りをしている雪菜に問いかける。

「君は出身は何処なの」

「神奈川県よ。大学が東京だったんでそのまま居着いていたの」

「はは、俺と同じだな。年はいくつなんだい。俺より年上に見えるけど」

「二十七歳よ。今の会社では五年のキャリアがあるわ。もうキャリアなんかどうでもよくなったけどね」

「俺は二十五だ。これから半年の間、仕事もしなくてやり過ごすと思うと少し退屈になるな」

「そうね。私も仕事が終わったと思うと達成感と同時に鬱転しそうだわ」

「君もやっぱり躁鬱病なのか。何かしらハイテンションなんでうすうすそう思っていたが。俺も躁鬱病と診断されてから長いよ」

「あなたもそうなの?今や人口の四割が鬱病か躁鬱病だそうよ」


 そこへ達彦が帰ってきた。さっき泣いてしまったので顔を洗ったようだ。ペーパータオルで顔を拭いている。


 ほどなくして、風呂場やトイレを探してまわる人々でごった返してきた。


「何か娯楽は有るのかい」

 翔馬が雪菜に尋ねる。

「テレビもないし、ラジオもないし…下の階に行けば将棋や囲碁、ピンポンなんかが出来るわ。あそうそう。ベッドの中のモニターでゲームが何種類か出来る筈よ」

「そりゃあいいや。俺の唯一の趣味だ」


 半年間、ゲーム漬けになるであろう。ベッドの中に入るとモニターがある。


「じゃあ早速」

 翔馬は手を振り、ベッドの中に入って行く。ゲームはモニターを買うときにオプションとしてついてくる。ゲーム専用のハードディスクがモニターの中にあるのだ。翔馬はコントローラーを手にするとスイッチを入れる。モニターが立ち上がりゲーム専用画面となる。


 最初のタイトルの動画が長い。しかし、こういうところにゲームのヒントが隠されていたりするので目をはなしたり、スキップさせたり出来ない。ゲームは戦争のアクション・ゲームで、これから敵陣地を奪還するところからスタートのようだ。ジャングルの中を進んでいくと、光る石を見つけた。ようやくセーブが出来るようだ。一回目のセーブを行い、チュートリアルを見る。アクション・ゲームだけあって、操作が複雑そうである。スタートボタンの下に操作に慣れるためのアスレチックがある。ここまでを確認すると翔馬はまた腹が減ってきた。


「雪菜さん、また食堂に行かないかい」

「おなかいっぱいよ。達彦君を連れていってあげなさいよ」


 成る程、達彦には食堂を案内していない。

 スチール製の扉をトントンと叩くと上に開いていく。

「達彦君、腹が減っただろう。食堂へ案内するよ」

「今は別に…何も食いたくありません」

「そんなにすねないで、さあ」


 しばらくするとごそごそと、達彦が出て来た。翔馬の二人のりのスカイ・ビーグルに乗り込むと、生体認証をするため、カメラに目を近づける。下から上に光の線が走り、フォンと少し浮き上がる。そのまま食堂にツーリングだ。


「何を食べたいんだ」

 カレー、シチュー、肉ジャガ、餃子、おでんしかメニューがないが、あれだけ旨ければそうそう飽きないだろう。隣にコーラまで置いてある。


 よくみると、自動食器洗い機が横にある。さっきは雪菜がセットしてくれたんだろう。大皿が二つ洗い終わっていた。


 翔馬は餃子を選んだ。かなりキテレツなメニューである。宇宙食なのに餃子とは…まあ、話の種に食って見ようと思う。


 達彦はシチューを選んだ。野菜がゴロゴロ入っている健康的なメニューである。


「改めて大変な事になったな…まあここでは無一文で済ませられるし、スカイ・ビーグルもまだ残っているだろうし…ん?こりゃ旨いな」


 翔馬の取った餃子は焼き餃子ではなく、水餃子だったのだ。炭水化物が「皮」しかないので糖尿病や肥満など、カロリーを気にしなければならない人々に優しい料理になっている。


 達彦は食が進まないのであろう。あまりバクバク食わない。少しづつすすっている。


「学校はどこへ行ってたんだ」

「快晴です。快晴中学校」

「驚いたな。日本一難しい中学校じゃないか!」

「そんなに難しい事もなかったですよ。勉強する『コツ』さえ身につければ誰でも入れます」


 達彦はあっさりと言う。その「コツ」が分からないからみんな入れないんじゃないか。三流大学出身の翔馬は少々憤る。


 達彦の方は特に自慢げに言ったわけでもなく、淡々と質問に答えただけという涼しげな顔をしている。まあ、天才肌の人間などどこにでもいるものだ。それをうらやんでもしょうがない。


「勉強するコツってどういうものなんだ」

「簡単ですよ。夕方四時頃部活が終わるでしょう。そこから帰り道を利用して、四時間暗記科目を勉強して、一時間風呂などに入って晩飯を食います。夜九時にはベッドにはいり、朝五時まで十分に睡眠を取ります。記憶というものはしっかり寝て初めて脳に定着するからです。後五時から七時までは数学に集中します。これを繰り返すだけです」


 達彦は事もなげに語る。一日に授業を除いて六時間も勉強するとは! とても真似出来るものではない。


「将来は官僚でも目指していたのかい」

「いや、学者を目指してました。『時空変位』の研究をしたかったからです」

「なんだそりゃ」

「簡単に言えばタイムマシンの開発ですよ。そもそも空間変位も重力子が見つかるまで無理と思われていた技術なんですから。重力子を利用すれば何かが見つかるんじゃないかと。今、この事が物理学界で一番ホットな話題なんですよ」


 タイムマシンが真剣に開発中だとは…

「そもそも『重力子』っていうのは何だい」

「グラビトンとも言います。重力場を担う粒子でスピン2のボソンです。今日の物理学は重力も、標準理論の力と同様、粒子が仲立ちするとみます。時空の歪みを…」

「ちょーっと待って、分かった分かった。質問した俺が悪かった。全く理解不能だ」

 翔馬はコーラをごくごく飲んだ。


「そんなことどこで勉強するんだい」

「勉強の合間にネットで調べるんですよ。物理学関係はまだ未知の領域が広くて、凄く面白いんです」

「完全に降参だな。しかしもうネットもなくなってしまったぞ。これからどうするんだい」

「自分の力量だけで研究を続けて行きたいですね。アインシュタインのように」


(こいつなら、それも夢じゃないかもしれないな…)

 夢を見ている達彦がうらやましくなった。こっちは仕事も失ない、趣味のゲームで時間を潰すだけの毎日が待っているのだ。


 餃子は七個入りでぺろりと食べた。ようやく腹が落ちついた。


 寝床に帰ると、次は風呂だ。もう八時を過ぎているのだ。達彦は着替えを持って、脱衣場で着ている服を脱ぐ。翔馬も後を追って風呂に飛び込んだ。


「マナー違反ですよ、もう!」

 達彦に注意されるがどこふく風である。周囲は人々でごった返していた。古い昔に流行った「銭湯」とはこのようなものではなかったんだろうか。老若そろって熱いお湯に耐えている。長くとも五分である。しばらく水をシャワーで浴びる。冷たい水が火照った体にちょうどいい。空いた蛇口に腰を下ろすと体を入念に洗い始めた。隣に達彦が座る。思春期の達彦は、恥ずかしいのであろう。なんだか行動もぎこちない。達彦は手に盛った泡だけで体を洗う。しかしそれでは背中が洗えない。翔馬が「背中」と言うと、素直に横を向く。背中を洗ってやると、今度は翔馬の背中を洗おうとする。二人は何か兄弟のように、しばらくはしゃぎ回った。


 体中をシャワーで流してからすっくと立ち上がる。強く絞ったタオルで体を拭く派だ。バスタオルなどかさばるものは使わない。そもそもスーツケースを持ってきていない。


 風呂から上がると洗濯機が終わるのを待つ。乾燥まで入れると、あと二十分である。素っ裸で椅子に腰かけ、大型の扇風機を回す。風が心地いい。髪の毛を重点的に乾かすと、達彦も真似をする。

「乾燥に一番時間がかかるんですかね」

「だろうな。そこら辺の技術はそうあまり進展はないだろうからな」


 やっと二人は風呂から出て来た。ジャスト一時間であった。翔馬は洗濯して乾かされた服をまた着るしかない。


 今日はデモから始まり、様々な事が起きた。もう午後九時である。眠くなったので目を閉じていると、疲れていたのだろうそのまま眠ってしまった。この際達彦に合わせるべく体内時間を三時間早めて、朝型に慣れようと思ったのだ。


 何故かと言えば答は簡単。テレビがなくなったためである。あの下らない箱にいくら時間を取られていたのかと思うと、改めてゾッとしたのだ。達彦に刺激を受けたのが最も大きい理由である。体内時計を夜九時就寝に持っていくのには一週間ほどかかりそうだが、初日からすぐに眠りについた。

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