5:NOTE「その探偵、推理する」

「いいかね。まず、井下田いげた氏はこのアトリエからは出ていない。それは、井下田いげた夫人の証言から明らかだ。それでは、真珠はどこに行ったのか。

 そこでヒントになるのが、井下田いげた氏の普段の発言だ。井下田いげた氏は、とても地震を気にしていたという」


 先生が、人差指を立てながらアトリエ内を闊歩かっぽします。その姿はさながら、幕劇まくげきに出演する名探偵の様です。


「『皇極こうぎょく真珠しんじゅ』を井下田いげた氏が持ち出したわけではない。また、窃盗の可能性も薄い。ならば、何故真珠しんじゅはどこにもないのか。答えは一つしかない。井下田いげた氏本人が、第三者に頼んで持ち出したのだ。それだけの話だ。

 では、誰が持ち出したのか。井下田いげた夫人ではない。綾辻あやつじ女史でもない。そもそも、井下田いげた氏は人間嫌いで、友人が非常に少なかったと聞く。井下田いげた夫人を差し置いて、誰かに頼むなど考えづらい。そう、人間であれば、だ」


「それで、鹿……ですか」


「うむ。名推理だろう」


 自信満々の先生に、何故か私が恥ずかしくなってしまい、両手で顔をおおいました。

 先生は、推理が苦手です。

 想像が膨らみすぎてしまう上に、事象じしょう事象じしょうを結びつけるのが不得手ふえてなのです。そのため先生の推理は、相当に現実と剥離はくりした、明後日の方向へと飛んでいってしまうのです。

 もちろん、一概いちがいにそれが悪いという話ではありません。世の中には、我々の想像を越えるような事件も多くあります。そんな時、先生の現実外れの発想が、事件解決の糸口になることもあるのです。

 今のところ、打率は一分いちぶと言ったところでしょうか。


「君は、宏観異常現象こうかんいじょうげんしょうという言葉を知っているかね。大きな地震の前には、自然に何らかの異常現象が起きるという。ナマズが暴れる、海の色が変わる、カラスの大群が移動する等が有名だな。地震が起きる際の低周波ていしゅうは電磁波でんじはが原因と言われているが、まあその辺はどうでもいいだろう。ここで僕が注目したのは、動物が移動するというところだ。

 亡くなる前に、井下田いげた氏はうわ言のように“しか”と言っていたそうだな。近くには、牧場もある。氏は、地震が起きたら鹿がこの家に来るように、そこの牧場の鹿を調教しておいたのだ。

 井下田いげた氏が亡くなる前日の夜、震度2程度の地震が小石川区こいしがわくで発生していた。それに反応して、鹿がやってきたのだろう」


「それは、初耳です。いつの間に調べたんですか」


「滅多なことをいうな、薄雪うすゆき君」


 先生は、自分の頭を指さし、2度叩きました。


「地震速報を覚えていたに決まっているだろう。僕を誰だと思っている」


 先生は、瞬間記憶能力しゅんかんきおくのうりょく、というものを持っています。

 そのため、日常に溢れている情報を無尽蔵むじんぞうたくわえることができます。記憶力もよく、一度覚えたことはめったなことでは忘れません。それがたとえ、数週間前にたまたまラジヲで耳にした、訪れたこともない地の地震速報じしんそくほうであっても、です。

 探偵としては、無敵の能力といえるでしょう。その記憶を、正しく引き出すことと、正しく事実に繋げることができれば、の話ですが。


「そんなわけで井下田いげた氏は、地震に反応してやってきた鹿に『皇極こうぎょく真珠しんじゅ』を括り付けた。そして、真珠しんじゅくくり付けられた鹿は牧場まで戻り、牧場主がそれを受け取ったのだ。

 さあ、薄雪うすゆき君。この辺りの牧場を洗うとしよう。そこに必ず、『皇極こうぎょく真珠しんじゅ』はあるはずだ」


 力強く言い放ち、外に飛び出そうとする先生のそでを、私がすかさずつまみます。


「少々お待ちください、先生。その推理には、重大な穴があります」


 鼻息はないきを荒くしていた先生は、電源を落としたかのようにピタッと止まり、私の顔を覗き込みました。


「ふむ。君がそう言うんなら、そうなんだろう。で、その穴とは何だね」


 先生は、私の指摘してきにはものすごく真摯しんしに対応していただけます。

 これは以前先生ご本人にお聞きしたことなのですが、ご自身の執着しゅうちゃくや意地が、真実を解き明かすことに何一つ寄与きよしないことを知っているからだそうです。

 正直なところ、先生は人間的にはかなりお壊れになっておりますので、私も振り回されることが多いです。

 しかし、だからと言って悪人なのかと言えばそんなことは全くありません。先生は、とても素直かつ空気が読めないだけで、心根はとても優しい方です。

 私のような生意気な部下の提言ていげんを、きちんと聞いていただけるところも、先生の美点の一つといえましょう。

 私は、眼鏡のつるをクイッと押し上げました。


「まず、大きな問題として、地震と言う不確定要素ふかくていようそで動物を調教することに、どれほどの意味があるのか、と言うところです。

 地震を合図とすれば、そもそも自分が呼びたいときに鹿を呼ぶことができません。呼笛よびぶえなどを使った方が、はるかに容易でしょう。また、結局牧場主の手に渡るという点で、人間嫌いだから人を頼らないという前提も崩れています。

 そもそも、井下田いげた先生がそのようなことをする理由はとぼしいです。奥様にも内緒で、鹿を調教までして、『皇極こうぎょく真珠しんじゅ』をこのアトリエから牧場に運び出す意味が、どこにありますでしょうか」


 先生は、あごに手を当ててトントンと足を鳴らしました。


「理由か。そいつは盲点もうてんだったな」


 すごい言葉が聞こえた気がしますが、気にしないことにします。


「考えられるとしたら、自分の作品を人目に付かないところに移したかった、といったところか」


「その可能性が高いと私は考えています。何故なのかはわかりませんが、井下田いげた先生はこのアトリエ内の目につくところに、『皇極こうぎょく真珠しんじゅ』を置きたくなかったのでしょう。そのためにどこかに『皇極こうぎょく真珠しんじゅ』を移した、というのはわかります。

 しかし、それに鹿を使う必要はありません。よしんば近くの牧場に隠し場所があるとしても、自分で運べばいいのですから。『皇極こうぎょく真珠しんじゅ』が重たいから鹿を使ったという話なら成り立つかもしれませんが、大事な作品を鹿だけに任しておくのは不安ではないでしょうか。どちらにしろ、井下田いげた先生がこのアトリエから出ないのは不自然と感じます」


「うむ。非常によくわかる。僕も、大事なガスマスクを動物に被せたくはないものな」


 微妙にずれているような気がしますが、気にせず続けましょう。


「そこで、先生にひとつお聞きしたいのですが、この辺りの地盤じばんゆるいのではないでしょうか」


「うん。かなりゆるいよ」


 先生は、間髪かんぱつ入れずに答えました。どうして知っているのかなど、聞く方が野暮やぼです。先生は、“なんでも知っている”お人なのです。


「ということは、この建物はそもそも地震に弱いということです。井下田いげた先生が地震を気にしていたのは、そのためでしょう。

 そして、一度業者を入れた。地震対策の工事にはいくつか種類がありますが、その中には、土を地盤じばんが固いところまで掘り起こして、そこに基礎きそを作るという方法があります。作られた基礎きそは、しばしば硬い外殻がいかくに覆われた頑丈な空間として、有効活用されますよね」


 先生が、ぱちんと指を鳴らしました。


「地下室か」


「はい。井下田いげた先生が最後におっしゃっていたのは、“いか”でも“しか”でもなく、“地下”だったのではないでしょうか」


「しかし、地下室への階段は見つからなかったな」


「そうなんですよね。ただ、地下という方向性は一考の価値があると思いますので、アトリエの外も含めて、もう一度満遍まんべんなく探してみようかと思います」


 先生はふん、と鼻を鳴らすと同時に、迷いなく入口扉に歩を進めました。


「いや、この部屋に入った時から気になっていたんだ」


 先生は、この部屋の中心……全てが左右対称さゆうたいしょうの部屋の中で、唯一ただひとつ、左右対称さゆうたいしょうではない入口扉のドアノブを手にして、ガチャガチャといじり始めました。

 少し経ち、ある一点でカチンと異質な音をたてた瞬間、ドアノブがぐっとドアの中に飲み込まれました。

 その瞬間です。入口扉の、ちょうど真反対まはんたいに位置する壁から、バタンと重い板が落ちるような音がしました。

 音の方向に首を向けると、先ほどまでただの壁であったそこに、地下へと続く階段が姿を現していました。

 私は、思わずぽんと手を叩きました。


流石さすがです、先生。なるほど、全てが左右対称さゆうたいしょうなのに、入口扉だけが一つしかない。この違和感いわかんから、仕掛けの存在に気が付いたのですね」


 このような時に、発想力のとぼしい私では、即座に隠し扉や仕掛けを探そうという思考に至りません。先生の激しい推理力は、隠された地下室などの常識外れの展開でこそ、真の力を発揮するのです。

 久しぶりの打率更新だりつこうしんです。一分から二分になったでしょうか。100回バットを振れば、二回くらいボールに当たることもあるのです。

 先生も感慨深かんがいぶかいのでしょうか。仕掛けがあったドアノブを、まだもてあそんでいます。そして、少し考えるように天をあおいだ後、「ああ」と気の抜けた声を出しました。


「そういうことだったのか。井下田いげた氏は、どこまでも左右対称さゆうたいしょうにこだわる人なのだなあ」


 あれ。


「先生は、そこで仕掛けに気が付いたのではないのですか」


「いや、全然。僕はただ、このドアノブの取り付け穴が、普通より1ミリほど大きいから不思議に思っただけだよ。動きそうだなあ、って」


「1ミリ……ですか」


 果たして、一瞥いちべつしただけでドアノブの取り付け穴の寸法すんぽうはかれる人が、この世にどれだけいるのでしょうか。

 先生の観察眼かんさつがんは、本当に底が知れません。

 しかしそれはそれとして、打率更新だりつこうしんならずです。私はこっそりとため息をつきましたが、先生はやはりどこ吹く風。意気揚々いきようようと、隠し階段の前に立ちました。


「さあて、いよいよ本丸か。さあ、薄雪うすゆき君、着いて来なさい。鬼が出るか蛇が出るか、拝見はいけんといこうじゃないか」


 どこかうきうきとした様子の先生。私の答えは、もちろん決まっています。


「はい、先生。おともさせていただきます」


 私たちは、暗闇に沈む地下室の奥へと、歩を進めました。

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