4:NOTE「その探偵、住居侵入する」
その後私たちは、奥様から
奥様は、もともと彫刻家
終盤には感動のあまり、「あの、その話はもうどうでもいいんで」などと口走りそうになったところで、私が
何はともあれ、そのような苦労の甲斐あって、私たちは奥様の信頼を損なうこともなく、アトリエの鍵を借り受けたのです。
「ああ、腰が痛い。僕には、あの家のイスは硬すぎる」
先生が、アトリエまでの道すがら、呑気な声を出してとんとんと腰を叩きました。
先生ほどではありませんが、私も少し膝が固まってしまっています。ぐるぐると柔軟体操をしながら、少し傾き始めた太陽の下を、先ほどの話を先生に要約しながら歩きます。
ぐぐっと背伸びをしながら空を見やると、3機のプロペラ飛行機が、ぶるるんと音をたてながら、帝都の空を廻っています。。連隊は、綺麗に横一直線に並びながら、華麗な宙返りを決めておりました。
新人飛行士による、飛行バスの運転訓練研修でしょうか。このような光景を見ると、春が近づいていると感じます。
「アトリエには、何か手掛かりがあるでしょうか」
「『
「確かに。外見からも、見るからに善人といった風体の奥様でしたね」
「見るからに善人、ね」
先生は、ほんの少しだけむっとしたような顔をしました。私の言葉は、何やら先生のご機嫌を損ねたようです。
「それは違うな、
「その価値観も、先生以外には通用しないと思います」
歩き続けること小一時間。
そこに建てられた平屋建てのアトリエは、左右が対象であること以外は、見た目の構造に取り立てて変わったところはありません。しかし、その外壁は建物の中心を起点に、赤と青の二色で真っ二つに塗られており、
「これが、感性の違いってやつなのかね。目が痛くなるだけのように思うのだが。僕のような凡人には、芸術なんてのは理解できないのだろうか」
「私は、嫌いではないですね」
綺麗に整理された本棚だとか、整然と並んだビル街だとか、そう言ったものに感じる美しさと、どこか似ている気がします。
そもそも私からすれば、日常的にガスマスクをつけ続けている先生も結構なものだと思いましたが、それは言わぬが花なのでしょう。
私は、玄関に歩みを進め、重そうな木製の片扉に、夫人から預かった鍵を差し込みました。
「おや」
奥まで行かず、妙に手前で止まった鍵は、左右に回そうともうんともすんとも言いません。
「どうした、
「ええ。この鍵、鍵穴と合いません」
よく見れば、鍵穴と鍵は、中腹からの大きさが明らかに違います。
おそらく、奥様が間違えて渡してしまったのでしょう。先生の鼻は確かです。わざわざこのような嫌がらせをする人では、ないでしょうから。
「仕方ないですね、先生。一度お屋敷に戻って、本物の鍵を受け取りに行きましょう」
私は扉に背を向け、元来た道を戻ろうとします。
しかし、先生はそんな私を横目に見やり、無言で扉の前まで歩みを進めました。
「先生」
私が、振り向きざまに先生を見た、その時でした。
先生は、ゆっくりと右手を持ち上げ、鍵穴に手を近づけました。数瞬、少しばかり肩を揺すりますと、カチン、と甲高い金属音がしました。
そして、開くはずのないアトリエのドアが、ギギギギと重たい音をたてながら、その口を開けたのです。
先生は、目を丸くする私に、事もなげに声をかけました。
「さて、入ろうか
「いやいやいや、先生。また、勝手に開けましたね」
鍵を使わず、針金を鍵穴に差し込み開錠する技術、“ピッキング”は、先生の得意技の一つです。探偵業には大変便利なのだと普段からおっしゃっており、簡単な鍵であればものの数秒で開けてしまいます。
ですが、鍵のかかっている場所を勝手に開けるのは、当然に犯罪です。
「せっかく鍵をお借りできるんですから、奥様から鍵を受け取ってきた方がいいと思います」
「全く、相変わらず
先生は開けたドアを閉めるでもなく、そのまま入っていき、靴を脱ぎながら言いました。
「
こうなると、先生には何を言っても無駄です。
確かに奥様から許可は受けているので、一応罪に問われることはないと思います。私は渋々、
室内は先ほど奥様から聞いた通り、平屋を丸ごと
白い壁の一部にエスニックな
何よりも特徴的なのは、室内もやはり
「ここまでくると、執念ですね」
「実家を改装したなどという話だったが、これはほぼ
素足でペタペタとフローリングの床を歩き、私と先生はアトリエの中に踏み込みました。
アトリエの構造を調べると、ここはまさに1部屋しかないと言える家屋でした。
寝室もなく、部屋の隅っこに
「奥様が言うには、作品は完成したものから自宅に運び込んでいたという話でしたね」
「なるほど、ここに置いてある作品が少ないのはそのためか。ふむ。
先生が、あごに手を当て
暗闇の中、私しか存在しない空間で、
「願いましては」
ぼそりと、呟きました。
まず、
奥様の話によると、
ぱちと、そろばんの
次に、誰かに『
ぱちと、そろばんの
ならば、『
『
この建物は、実家を改装して
『地震が起こった時、凄くアトリエのことを気にしていましたわ。地震があるたびにソワソワして、アトリエは大丈夫か、と』
作品は大丈夫か、ならばわかる。しかし、その対象がアトリエと言うのもおかしな話だ。このアトリエ全体が、揺れに弱いのか。それは、何故か。
『救急車の中でうわ言のように呟いていましたわ。“しか”だか、“いか”だか……』
改装に
最後の
「ご破算です」
目を開き、意識が
「先生。
「ふむ、君もわかったかね、
先生が、私の言葉に被せるように、声を
先生は、
「『
ただでさえくらくらする私の頭に、さらなる痛みが襲いました。
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