3:NOTE「その探偵、灰皿で遊ぶ」
「ええと、
探偵と名乗って現れた客人がガスマスクをつけていたら、それはそうだろうと思います。
「申し訳ありません、奥様。先生は
「ははあ、それはそれは。ご苦労なさっているんですねえ。本日は、わざわざご来訪いただきまして、ありがとうございます。
奥様が、深々と頭を下げました。この程度の説明で納得してくださる方は、
私たちは、
また、『
ですが、
「お
「ん……? や、どうも」
先生は、奥様に顔も向けずに、灰皿を
先生には、最低限私が話を振った時は、適当でも何でもいいので反応を返すよう言い含めております。これは、私たちが人から話を
「
「ええ、主人の死後、作品の売買などについて、何かと力になってもらっております。多くの美術商さんがいらっしゃっているのですが、その中でも
ほほほ、と奥様は口元を隠して笑いました。
それは、少し危ないことなのではないかとも思いますが、他人の信頼関係に苦言を
しかし、それに対して
「奥様は、ご主人の生前に一度、『
ガスマスクをずらして紅茶を飲む先生を横目に、私は奥様に問いかけます。奥様は、
「ええ、ええ。あれは、大変美しいものでした。私の体ほどもある、大きな白い、まあるい彫刻。主人は、
どのように作ったのか、
「それを見たのが、アトリエだったのですね」
「ええ、ええ。そうです。アトリエは、主人の実家である平屋を改装したもので、この家からかなり離れたところにあるのですけど。
あの日、主人は朝からアトリエに
もう夜も深まっていたのに、手を引っ張られて、小一時間かけてアトリエまで。ふふふ、あの人、子どもっぽいところがあるから」
子どもっぽいところと言う言葉を聞いて、ついつい隣に座る先生に目線が行きました。そう言えば私も、先生に「ものすごく大きいアリの巣があったぞ」と言われ、
「ん。なんか、言った方がいいかい」
「いえ、大丈夫です。先生は、引き続き灰皿で遊んでいてください」
「これ、もう飽きたよ」
不満げな声を
「アトリエまで小一時間とは、また随分遠いですね」
「ええ、ええ。主人が小さなころから暮らしていた実家でして、思い出が詰まっていたそうです。だから、どうしてもそこをアトリエにしたいと。
最初は元の間取りのまま使っていたのですけど、7,8年程前かしら。主人が突然、このアトリエも自分の作品にしたいと言い出しましてねえ。
お二人は、この後アトリエに行かれるのでしょう。一目見れば、すぐわかりますわよ」
そう言って、口元を押さえてコロコロと笑う姿は、まるで年頃の女学生の様です。歳にすれば
奥様は、「あらやだ、いけない」と照れくさそうに
「話が
「そしてその夜、奥様はご自宅に帰られたと伺っています」
「ええ、ええ。主人は、もう少し仕上げをしたいから、帰って寝ていてくれと言っておりましたわ。自分が連れて来たのに、本当に勝手な人です。まったくもう」
奥様の笑顔が
奥様と別れた後、
重苦しい空気の中、先生が灰皿をことりと置きました。
「そして、
奥様が、うつむいたまま唇を噛みます。
私は、思わず先生を見やりました。しかし、先生は先ほどまでと打って変わって、足を正し、背筋を伸ばしています。その顔色はガスマスクの
先生は、人との会話が
探偵である以上、誰かを傷つけることもあります。ならば、その役目は自分が
奥様が、目に薄く涙を溜め、ゆっくりと顔を上げました。
胸がキュッと、締め付けられました。私の母と同年代の方の涙は、心臓に悪いです。
「日が回っても帰ってこないので、おかしいと思いましたわ。アトリエを見に行ったら、玄関の前で倒れている主人を見つけましたの。その時は、まだ息をしていたのですが、救急車の中で旅立ちました」
奥様は「申し訳ありません」と
私はといえば、こんな時なんとお声をかければいいのかわからず、聞こえるか聞こえないかわからないような声で「ご
「その後……確か、3日くらい
先生は、自分の役目は終わったとばかりに、また背もたれに深く沈み込みました。私は、奥様に質問をします。
「アトリエ以外に、作品を保管できる場所はありませんか」
奥様は、ゆっくり首を横に振りました。
「ええ、ええ。ないと思います。それに、主人は靴を脱ぎ散らかす癖があるのですが、私が2回目にアトリエを訪れた時、靴は前に来た時と同じように散らかっておりましたわ。靴箱に引っかかって斜めになっていたので、よく覚えています。ですから、主人はアトリエを出ていないはずですわ」
「盗まれた、という可能性もないと考えてよろしいですね」
「主人が倒れているのを発見した時は、鍵がかかっておりましたし、主人が亡くなってからは、宅の使用人がアトリエに
「それでは、ご主人の様子で、何か気になるところはありませんでしたか。アトリエと、真珠にまつわることでなくても、どんなことでもよろしいのですが」
「気になることですか」
奥様が、困ったように息を吐きました。
「そうねぇ。強いて言うなら、地震が起こった時、とてもアトリエのことを気にしていましたわ。地震があるたびにソワソワして、アトリエは大丈夫か、と。ふふ、子どもみたいでしょう。アトリエに業者さんを入れてからは、落ち着いていたんですけどね。
あとは、
奥様は、少し
「主人は亡くなる直前に、何かうわ言のように
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