第285話 涙

 この時間おすすめという豆大福を20個買って、学生会室へ急ぐ。

 人混みが無い場所になってからは駆け足で。

 学生会室の前でちょっと息を整えて、それからノックを3回。


「長津田です」


「どうぞ」

 香緒里ちゃんの声。

 俺は扉を開け、そして一瞬閉めかける。

 風遊美さんが泣いているのが見えたから。


 でも入るべきでないなら香緒里ちゃんがどうぞと言う訳はない。

 なので思い切って入る。

 後ろ手で静かに扉を閉める。


 こそっとソフィーに豆大福の袋を渡し、お茶菓子出しを頼む。

 そして俺はこそこそと大回りして香緒里ちゃんのいる無線指令台の方へ。


 状況はあえて聞かない。

 少なくとも風遊美さんの涙が悲しみとか負の方向のものではないと感じたから。

 ただ、場所を運営本部からここに移しておいて正解だったな、と思う位で。


 幸いここの当番は香緒里ちゃんの後は俺。

 次の番の詩織ちゃんが来るのは1時過ぎだ。

 今は10時ちょっと前なのでまだ時間はある。

 幸い無線もちょうど入らない。

 なので今は風遊美さんの泣いているがままに任せる。


 ◇◇◇

 

 暫くして、風遊美さんとエリカさんの会話が始まる。

 ソフィーと話していた言葉と違う感じだからこっちはドイツ語かな。

 勿論俺には意味はわからない。

 なので聞き流しながら香緒里ちゃんが入れてくれた紅茶とソフィーに配ってもらった豆大福を食べる。

 うん、やっぱりホワイトデーに俺が作ったものよりあんこの味が数段上だ。

 残念だけど。

 と、その時。


「皆さん、宜しいでしょうか」

 風遊美さんの声。

 俺達は風遊美さんの方を向く。


「遅れましたけれどここで紹介させてください。この人はエリカ・ローラ・カストナー、EU魔法特区の魔法医療科専攻の大学院生です」


 名前に微妙に聞き覚えがあるな、と思ってふと気づく。

 ついさっき聞いた風遊美さんのEU時代の名前とミドルネーム以降が同じだ。

 とすると。


「エリカは5歳の頃、行き倒れていた私を見つけて助けてくれた人です。当時、ヨーロッパでは魔法に対する偏見から『魔女狩りの再来』とも呼ばれた魔法使いに対するテロが多発していました。

 私の家族も、恐らくはその被害者です。ただ発見された時にはボロボロの私一人だけだったそうですし、それ以前の記憶は思い出せないままです。だから私の家族については何もわからないのですけれど」


 このあたりの内容は俺は聞き覚えがある。


「私はカストナー家に引き取られ、EUの特区内での学校に通うことになりました。安全のため学校近くの寄宿舎に住むことになったのですが、同じ寮にいたエリカに何から何までお世話になった事は今でも憶えています。

 時々の休暇はエリカの実家にお世話になったりもしました。


 ただ私は当時酷いPTSDの症状がありました。EUの特区は日本と違い地続きです。だからよくテロの爆弾騒ぎ等があったりしました。

 その為か私の症状が好転することはありませんでした。でもあの頃、パニック状態になっている私をエリカがずっと抱きしめてくれていた感触は今でも憶えています。


 結局、環境の全く異なる日本の特区に行ったほうがいいのではないかという話が出た際も、エリカのお父さんの知り合いに紹介状を書いてもらい、わざわざその方に迎えに来てもらって……本当はエリカの事も大好きだったし凄くエリカの家にお世話になったのに……」


 声が涙声になり、途切れる。

 エリカさんを含む俺達は風遊美さんの言葉を待つ。

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