第278話 ありがとう、よろしく(2)

「テロの多い向こうの環境では私の状態が悪化する可能性が高い。そういう判断の結果、私は他の特区へ移ることを勧められました。

 日本の特区にしたのは単に人と制度上の問題です。

 日本の特区は政策もあって、私みたいな難民扱いの学生でも好条件で受け入れていましたから。

 当時の私の担当教官の知り合いが日本の特区にいるという事もありました。


 日本に来て、特別法で日本に帰化した時、名前も変えました。

 もともと名乗っていた名前もドイツの特区に逃げ込んだ時に付けられたものです。

 私の最初の名前は不明でしたから名前を変えることに未練はありませんでした。


 私の日常は静かに平穏になったけれど、それだけでした。

 それで十分と思っていました。

 学生会で仕事をする前は、です」


 少しだけ涼しい風が谷間から吹いてきた。


「いろいろ話をしたり一緒に寝たりして、私は何か香緒里さんに何か妙な感情を抱く時がありました。これは何の感情なのだろう。

 最初は私にはわかりませんでした。

 でもしばらくして、それが嫉妬と呼ばれる感情に近い事に気づきました。

 なら私は修さんに恋をしているのかな。そう思っていた時もありました。

 でも何か違う。


 今は何を感じていたか、何に嫉妬していたのかわかります。

 どんな時も、最後まで信じられる誰かがいてくれる。

 その事に嫉妬していたんですね。

 私はずっと独りだったと思っていましたから。


 ところで私、魔法を使わないでも出来る特技が1つあります。

 私、耳が良いんです。すっと独りで怯えていたからかもしれないですけれどね。

 かなり遠くの物音でも耳に入りますし、聞こえる呼吸音だけで寝ているか起きているかもわかります。例えばちょっとだけ奈津季と言い合いした際、修さんの部屋の扉が開いていた時とか」


 あ、あの時俺が起きていたのは風遊美さんにばれていたのか。

 奈津希さんもわかっていたみたいだし……今更ながらなんだかな。


「だからこの旅行の最初に、奈津季が1年生の女の子2人に色々説明した内容も当然だけど聞こえているんです。あの時修さんも聞こえる範囲にいましたね」


 風遊美さんの耳、恐るべしだ。

 怖すぎる。


「あの時、旅行の目的の1つとして、私と詩織に『今は間違いなく楽しいし、これからはもっと楽しいと納得させるのが目的』って奈津季は言っていましたね。それを聞いた時に気づいたんです。

 いつのまにか私は独りではなくなっていたんですね。

 そして気づいたんです。春の旅行で香緒里さんに言われたことと、修さんが言おうとしていた事に。

 そうしたら何か嬉しくなって、挙句の果てには富山で修さんに迷惑をかけてしまいました」


 成程な、それで妙に風遊美さんが浮かれているように見えたのか。


「今日はその原点の、2人の絆のきっかけの場所を見てみたくて、今日はここまで付き合ってもらったんです。

 そしてここで2人に言いたかったんです。

 ありがとう。私はもう大丈夫です、って」


「甘いですよ。まだまだこれからも続くんですから」


 俺はあえて普通の声で言う。

 ちょっと感情が混じりそうだったから。

 でも耳の良い風遊美さんにはばれているかな。


「当然です。だからこれからも宜しくお願いします」

「こちらこそ、宜しく、お願いします」


 あ、香緒里ちゃん、声が平静を保ててない。

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