第277話 ありがとう、よろしく(1)

 秋葉原から御茶ノ水乗り換えで新宿へ。

 新宿から私鉄の急行で約30分。

 風遊美さんが行きたかった場所。

 それは俺も香緒里ちゃんもよく知っている街だった。


「何回か夢でお邪魔したことはあるんですけれどね。一度実際に見てみたかったのですよ」

 そう、俺や香緒里ちゃんの家がある街だ。


「公園まで案内をお願いしていいですか」

 俺は頷く。


 実は俺はこの街にあまりいい思い出はない。

 気分としては捨ててきた街だ。

 俺を捨てて、俺にも捨てられた街。

 まあ実家があるので年に1回は帰っているけれど。


 あの公園までは駅から徒歩20分。

 夏の日差しの中汗だくになりながら辿り着く。


「ここからは私もわかりますよ。こっちですね」

 風遊美さんが歩いて行く。

 久しぶりに俺も来たが、何か以前と違う気がする。

 こんなに草の背丈が低かったろうか。

 そしてこんなに距離が短かっただろうか。


 廃道状態の遊歩道はやがて坂になる。

 ゆっくりと斜面を登って行く途中で、風遊美さんは立ち止まる。


「ここですね。もう塞がっていますけれど」

 場所的には確かにここがよく入り浸っていたトンネルの場所だ。


「トンネルでは無かったんですね。そう言えば向こう側の記憶は無いです」


 説明書きの看板に書いてある。

 ここは元防空壕の行き止まりの穴であり、危険なので立入禁止である旨が。

 入口は入れないように穴は金網で塞がれている。

 その金網も決して新しいものでは無い。


「記憶よりも小さいですね。もっと大きかったような気がする」

「それに、もっとずっと公園の奥の方だと思っていました」


 香緒里ちゃんも同じように感じているようだ。

 考えてみたらここに篭った最後の記憶は俺が小学低学年の頃。

 それ以降はうちの家に来たり薊野家に行ったりしていたような憶えがある。

 それで例の恥ずかしい風呂の記憶があったりする訳なのだろう。

 だからここによく来たのは、もう10年近い前の話なのだ。


「きっとあの時の私達には大きかったんですね。草の背丈も、この坂も、この穴も」


 香緒里ちゃんの言うとおりなのだろう。


「ごめんなさい。夢を壊すつもりは無かったのです。ただ、ここはどうしても一度来てみたかったんです。私には羨ましい記憶だったからです」


 何が羨ましかったのだろう。

 僕にとってはここは最後の逃げ場だった。

 由香里姉も香緒里ちゃんもきっとそうだったのだろう。

 そしてこのあたりの話を風遊美さんは知っている。

 それの何処が羨ましいのだろう。


「私が同じ頃同じように逃げた記憶では、私はずっと独りでしたから。

 由香里さんにあたる人も修さんにあたる人も香緒里さんにあたる人もいませんでしたから。

 魔女狩りのテロで炎で追われて、逃げた先逃げた先追われて。そして気がつけば独りでしたから」


 静かな口調の中、俺は確かに風遊美さんの隠せない感情をを感じた。

 それは怒りか慟哭か、若しくは諦めか。


「私はそれ以前の記憶はありません。母だった人と逃げていたらしいと後に聞きました。でもその顔も存在すらも思い出せません。

 ちゃんと憶えているのは保護された後からです。ドイツの特区の寄宿舎付の基礎学校に入った後の記憶。そこから。

 それでも炎の中逃げ回っている夢は何度もみました。どこまでが事実でどこまでが夢なのかわからないのですけれど」

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