番外編 秋月姉弟の冒険 ②
「いただきまーす!」
声を合わせて言ういちと十一を前にして、江戸探偵は仕方なさそうに眉を下げた。二人の前には大きなカツレツと白米が並んでいる。
「こんなに大きなお肉を食べるだなんて久々だね、姉さん!」
「そうね、十一。十歩さんったらいつもソショクばかりだものね!」
「育ち盛りの胃袋をなめてるよね」
「これで私たちがエーヨーシッチョーになったらどうしてくれるのかしら」
「つくづくあの男は……」
江戸探偵が十歩への怒りを燃え上がらせている間に、二人はカツレツをそれはもう美味しそうに食べ終わり、熱々のお茶をすすりはじめていた。
「おいしかったー!」
「江戸さん、ごちそうさまです!」
「まだお仕事手伝ってもいないのにご飯おごってくれるだなんて江戸さんは本当に良い人だなあ」
「そうね十一。この分だともしかしたらおやつもおごってくれるかもしれないわ」
「ねー江戸さん?」
「ねー江戸さん?」
「調子に乗るんじゃあない」
ぴしゃりと拒絶され、二人はそれまでの態度はどこへやら、唇を尖らせて不満そうな顔をし出した。
「えー」
「けちー」
「おごってくれてもいいじゃんー」
「おごってほしいわおごってほしいわー」
「ぶーぶー」
「ぶーぶーぶー」
「君たちは……!」
江戸探偵が怒りに拳を震わせ始めたのを見て、二人は顔を見合わせてひらりと態度と話題を変えてみせた。
「そういえば江戸さん。今日は何のお仕事なんです?」
「俺たち手伝いますよ!」
「え? あ、ああ。今日はだな――」
江戸が顔を寄せて告げた内容に、双子は声を揃えて聞き返した。
「猫探しですか?」
ああ、と江戸は頷く。双子は不満そうに眉根を寄せた。
「なんか地味―」
「探偵っぽくなーい」
「探偵ってもっと派手な感じかと思った」
「そうそう、人知れず難事件をカイケツしたりして」
「そういうのは基本的に警察の仕事だからな。こっちにお鉢が回ってくるのなんて本当に稀なんだよ」
「えー」
「えー」
「えー、じゃない」
不満があるならもう帰りなさい、と江戸探偵は食堂の戸口を指さしたが、双子は首を横に振った。
「ううん、ご飯おごってもらったしご飯分の仕事はするよ」
「イッシュクイッパンの恩は返せって十歩さんも言ってたしね」
「食べ物のうらみは大きいけど」
「食べ物の恩も大きいのよ!」
誇らしげにふんぞり返る二人に毒気を抜かれながら、江戸探偵は一枚の写真を取り出した。
「……じゃあこれを見てくれ。これが今回の標的だ」
「あら美人さん」
「ほんとだ美人さんだ」
そこに映っていたのはすらりと長い尾と大きなまなこを持った一匹の白猫だった。
「名前はしろすけ。依頼人の家で飼われていた猫なんだが、ある日逃げ出してしまったらしい」
「よくある話ね」
「よくある話だね」
「でも自分で見つけられなかったのかしら」
「猫なんだから自力で帰ってきそうなものだけどね」
「それがしろすけは完全に屋内飼いの猫だったらしく、外に出るのは初めてだったんだそうだ。もうかれこれ二週間は帰ってきていなくて、飼い主さんも心配している」
「なるほど」
「二週間かあ」
「そろそろ生死が気になってくる頃よね」
「生きてるのかなあその猫」
「こら、縁起でもないことを言うのはやめなさい」
そう言いながら江戸探偵は二人の頭を軽く小突く。二人は「はぁい」とちょっと不満そうに答えた。
「いいか、これから猫を捜索しに行くが、捜査の基本は足だ。かなりの距離を歩くことになるからそのつもりでな」
「分かりました、江戸さん!」
「勉強させていただきます!」
びしっと敬礼の真似事をする双子に、江戸探偵は苦笑した。
食堂を出た三人は、江戸探偵を先頭にして迷い猫の捜索を開始した。
公園、食堂街、狭い路地、河川敷。
一応はやみくもに見て回っているわけではない。江戸探偵が作った猫がいそうな場所の地図に沿ってあちらこちらを探し回っているのだ。
――しかし。
「見つかりませんねえ」
「見つからないなあ」
「今回は手ごわいな……」
いつまで経っても手がかり一つ見つけられず、捜査は難航していた。
「路地裏にも猫集会にもいないとなると、一体どこにいるんでしょうね」
「広い東京だ。迷いに迷ってかなり遠くまで行ってしまっている可能性もあるな……」
「猫の縄張りは広いからなあ」
「……一度依頼人のところに戻って他に情報がないか確認してみるか」
そうして元来た道を歩いていこうとした三人は、一人の男性を見つけた。大柄なその男性は身を縮こまらせて建物と建物の隙間に頭を突っ込んでいた。
「ミャーコー、ミャーコやーい」
「あっ篠田警部だ」
「あっ篠田警部だ」
「……篠田。どうしたこんなところで」
「うおっ! 江戸に、十歩のところの双子!?」
それは秋月姉弟も仕事関係で数度あったことのある篠田警部だった。篠田警部は三人を見ると気まずそうな顔で立ち上がった。
「何か捜査ですか?」
「俺たち捜査協力しましょうか?」
「いや、捜査じゃない。捜査じゃないんだが……」
篠田警部はもごもごと口ごもった後、渋々といった様子で口を開いた。
「実はうちで飼ってるミャーコがいなくなってしまってな……」
「ミャーコ?」
「ミャーコ?」
江戸探偵と張り合えるほど強面の篠田警部の口から、おおよそ似つかわしくない単語が飛び出る。二人は思わず聞き返した。
「ああ、これぐらいの白のメス猫なんだ。お前たち、見てないか?」
江戸探偵は顎に手を当ててうーんと考え込んだ。
「うーん、白のメスだけって情報じゃあなあ」
「だよなあ」
「篠田、写真とかないのか?」
「それがミャーコは写真が嫌いでな……写真機を見ると攻撃してくる始末で……」
「猫にもいろいろあるんですねえ」
篠田警部は途方に暮れた様子でハァとため息をついた。どうやら相当可愛がっている猫らしい。
「江戸、お前らこそどうしてここに? 事件という風には見えないが」
「ああ、それはな――」
「私たちも猫探しなんです!」
「しろすけっていうんだって!」
説明しようとした江戸探偵を遮って、双子が主張する。そんな様子を見て、篠田警部は江戸に言った。
「そうか、そっちも大変だな」
「ああ、手がかりもなくてお手上げ状態だ」
大人二人は額に手を置いてため息を吐く。双子はしろすけの写真をじっと見た。名前の通り白い猫だ。
「まあそっちも頑張ってくれ」
「ミャーコちゃんの手がかりがつかめたらまた連絡するよ」
「ああ、助かる。よろしく頼む」
じゃあな、と手を上げあってから、篠田警部はとぼとぼとどこかに行ってしまった。双子は江戸の顔を覗き込んだ。
「篠田警部と江戸さんってお知り合いだったんですね」
「ん?」
「呼び捨てにしてたからそうなのかなって思って」
「ああ。小学校が一緒だったんだよ。昔はよく殴り合いの喧嘩とかしたなあ」
「へぇー」
「へぇー」
江戸探偵の思い出話を聞きながら依頼人の自宅へと向かって歩いていく。
――と、不意に双子は何かを見つけて足を止めた。
「あっ」
「あっ」
つられて江戸も足を止める。双子はある家の生垣の中を指さした。
「江戸さん、あそこ」
「しろすけがいる」
慌てて江戸も生垣を覗き込むと、そこには確かに写真の通りのあの猫が気持ちよさそうに丸くなっていた。
「こんなところにいたのか……!」
「他のおうちにいたなんて」
「見つからないはずですね」
江戸探偵はほっと胸を撫で下ろすと、その家の玄関に向かって歩いていった。
「すみません! 少々お伺いしたいことがあるのですが!」
呼び鈴がなかったので江戸がそうやって声を張り上げると、数十秒後、小柄な老人ががらがらと勢いよく引き戸を開けた。
「ああ突然すみません。わたくし、探偵の江戸といいます。少々お聞きしたいことが……」
「探偵? 探偵が何の用だ!」
「ああ、おたくのお庭にいるですね、白猫の話なんですが」
「庭だと!? さてはお前、うちの庭をこそこそ覗いてたな! 泥棒! この泥棒め!」
「ち、違うんです。その、しろすけがですね」
「しろすけぇ!? そんなもんうちにはおらん! 出ていけ! 出ていけぇ!!」
唾を飛ばされ追い出されてしまった江戸探偵は、とぼとぼと双子が待つ門まで戻ってきた。
「あらあら駄目よお、その家は」
振り返るとそこには、偶然通りがかったであろう熟年の女性の姿があった。女性はからからと笑いながら言った。
「そこのおじいさんは気難しくってね、家に誰も入れたがらないのよお」
「そうなんですか……情報ありがとうございます」
江戸探偵はがっくり肩を落とした。取りつく島もないとはこのことだろう。どうしたものかと考え始めたその時、いちと十一はきらきらとした瞳で江戸を見上げてきた。
「まかせて、江戸さん!」
「こういう時こそ俺たちの出番だよ!」
「こんにちはー!」
「こんにちはー!」
二人が玄関の前に立ち、元気な声で挨拶をすると、先ほどと同じように小柄の老人が勢いよく引き戸を開けてきた。
「何だガキど……」
「おじいさんあのね!」
「私たちゴムまりで遊んでたんだけどね!」
「飛んできたゴムまり、うまくとることができなくて」
「おじいさんのお庭に入っちゃったみたいなの」
「お庭に入ってゴムまり取っちゃだめかなあ」
「ねえお願い!」
「お願い!」
反論する隙を与えずにいちと十一は老人にぐいぐい詰め寄った。その勢いに押された老人は「あ、ああ。分かった」と言って、二人を家に上げた。二人はちらりとふりかえり、門の辺りでこっそり見守っている江戸探偵に小さく手を振った。
「あれえ、ないなあ」
「おかしいねえ」
庭に入れてもらった二人はゴムまりを探すふりをして庭中を歩き回った。すると先ほど見かけたところと大して遠くもない場所に、例の白猫が座り込んでいるのを見つけた。
「あ、猫だ!」
「かわいいー!」
二人はわざとらしく声を上げて白猫――しろすけに近寄った。二人の様子を監視していた老人も、無邪気に猫と戯れる二人を見て警戒心を解いたのか、二人の後ろに近付いてきた。
「そいつは野良だよ。二週間ぐらい前にうちに迷い込んできたんだ。それ以来うちで飼ってる」
「へぇー」
「そうなんですね」
迷い込んできた時期も依頼人の言っていた頃と一致している。二人はこの猫がしろすけであるという確信を得た。
「おいで、野良」
老人が招くとしろすけはにゃあと鳴いて、老人の足元にすりよった。老人はしゃがみこんで、しろすけを撫でてやった。随分と仲が良いように見える一人と一匹の様子に、二人はふと疑問に思ったことを口に出していた。
「どうしてその子を飼うことにしたんですか?」
「普段はおうちに誰も入れないって聞いたのに」
その問いに老人は二人をぎろりと睨みつけ――そうしてから相手が子供だと気付いたのか、少し寂しそうな顔をした。
長い沈黙の後、老人は小さな声で言った。
「ひとりぼっちでいるのが可哀想でならなかったんだよ。……まるで今のわしを見ているようでなあ」
老人のごつごつの手がしろすけの背を優しく撫でていく。
「ばあさんがいた頃はよかったなあ……」
それ以上老人は何も語らなかった。いちと十一はかなりの間躊躇った後、ようやく老人に切り出した。
「おじいさんあのね」
「この子、私たちの知り合いのおじさんの猫かも」
「……そうなのか?」
「うん。……ほら、この写真」
二人は江戸探偵から預かったしろすけの写真を見せた。老人はそれを受け取ると、写真の中の猫としろすけを交互に見比べた。
「……そうか、野良。お前、帰る場所があったんだなあ」
ぽつりと呟かれた言葉は本当に寂しそうで、二人はぎゅっと唇を引き絞った。
「ほら、野良を連れていきなさい。君たちの知り合いの猫なんだろう?」
「う、うん」
「ありがとう」
猫を渡され、そのまま玄関まで送られた二人は、帰り際に振り返って老人に言った。
「おじいさん」
「私たちたまに遊びに来ていい?」
老人は何を言われたのか一瞬分からなかったようだったが、すぐにどういう意味なのかを察し、顔を真っ赤にして怒り出した。
「ば、ばかもん! 子供にかけられる情けなんぞないわ!」
二人は顔を見合わせて小さく笑った。
「ちがうよ、おじいさんのお庭は広いからだよ」
「広くてゴムまり遊びがしやすいからだよ」
「ねー」
「ねー」
「う、うむ、それならまあ……」
勢いをそがれた老人はぶつぶつと言いながら俯いた。二人はもう一度顔を見合わせて笑いあった。
「ありがとうおじいさん!」
「またくるね!」
元気良く手を振る二人に、老人は穏やかな笑顔で手を振り返した。
「……ああ、またおいで」
「すごいな君たちは」
門で待っていた江戸探偵が感嘆の声を上げると、双子たちは揃って胸を張った。
「へへーん!」
「そうでしょうそうでしょう!」
*
「相馬さん。ご依頼のしろすけくん、この通り捕まえてきましたよ」
依頼人の家についた一行は、依頼人である相馬に白猫を受け渡した。依頼人は感激した様子でそれを受け取り、江戸たちに何度も頭を下げた。
「ああ、ありがとうございます! ありがとうございます! 何とお礼を申し上げたらいいか!」
「ああ、それなんですがね、実はしろすけくんを保護してくれていた方がいましてね」
「ええっ、そうなんですか。一度お礼にうかがわなくては」
そう言いながら相馬はしろすけを床に下ろした。
「どちらの方なんでしょう? 住所を教えていただきたいのですが」
「ええ、構いませんよ。住所は――」
大人二人が会話している間にしろすけは音もなく歩いてどこかへと行ってしまった。――とはいってもこの家は洋風の家なので、ドアさえ開いていなければ再び逃げ出すことは不可能だろう。
そのはずだったのだが。
「にゃあん」
突然聞こえてきた鳴き声に窓の外を見ると、そこには何故か家の中にいるはずのしろすけの姿があった。
「あれっ!?」
「しろすけ!?」
「えっ、でもさっきまでここに!?」
「あれえ!?」
四人が四人とも素っ頓狂な声を上げる。するとしろすけは驚いたのか、ぴょんっと飛び降り、どこかへと走り去ってしまった。
「こら待てしろすけ!」
慌てて全員がその後を追うも、さすがに猫の足には追いつけるはずもなく、あっという間にその姿は住宅街の中へと消えてしまったのであった。
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