番外編 秋月姉弟の冒険

番外編 秋月姉弟の冒険 ①

 朝のうららかな光が南向きの大きめの窓から差し込んでくる。ここは霧島十歩探偵事務所――の上階にある霧島十歩の自宅である。


 これは十歩が23歳、秋月姉弟が10歳の頃のお話だ。


 霧島十歩はあまりよろしくないツテから手に入れた安コーヒーを啜りながら新聞を広げていた。新聞には今日も代わり映えのしない文面が並んでいる。世間は今日も平和なようだ。


 大きなため息を吐きながら十歩が新聞を畳もうとしたその時、二人の同居人たちが部屋に作られた仕切りの向こう側から飛び出してきた。


「大変だよ、十歩!」

「大変大変!」


 騒々しいその声に振り返ろうともせずに十歩は問い返す。


「あ? どうしたガキども。またオネショでもしたのか?」

「し、してないもん!」

「してないもん馬鹿!」

「十歩さんの前ではオネショなんてしたことないもん!」

「そうだそうだ、十歩さんの馬鹿! 阿呆!」

「はいはい、うるせえな。一体何だってん――」


 渋々振り返った十歩は目に飛び込んできた二人の姿に眉をぎゅっとひそめた。


「……何やってんだてめえら」


 そこにいたのは二人のいちだった。いや、正確に言えば、いちと、いちの服を着た十一だったのだ。二人の服は全く同じで、体型も顔も容易には見分けがつかない。二人は混乱した様子で十歩に向かって叫んだ。


「大変、十歩! どっちがどっちか分からなくなっちゃった!」

「どっちがいちでどっちが十一か分かんなくなっちゃった!」

「十歩を驚かせようと思ってー!」

「二人で同じ服着てぐるぐる回ってたらー!」

「どっちがどっちか分かんなくなっちゃったー!」

「分かんないー! どっちだっけー!」

「このままじゃ二人のいちとして生きていくことに……」

「十一はどこにもいなくなって……」

「そんなの嫌だー!」

「やだよー!」

「えーん!」

「うえーん!」


 新聞の端を掴んでぷるぷると震えていた十歩はついに堪忍袋の緒が切れたのか、双子に向かって怒鳴り散らした。


「うるせえ! 股の下のもん確認しろ!!」


 二人はばっと顔を見合わせると、同時に履いていたスカートとパンツの中身をあらためた。


「ついてる!」

「ついてない!」

「そーかよ」


 嬉しそうな顔で報告してくる双子に、十歩は気のない返事をして椅子に座りなおした。いやはやこんなささいなことで怒鳴り散らすとは、人間としての器の小ささを表しているようである。


「うるせえうるせえ」


 斜め上の『私』に向かって、十歩はしっしっと手を振ってみせる。


 秋月姉弟は十歩の左右に回ると、新聞を読む十歩の顔をひょいと覗き込んだ。


「十歩ー。今日は事務所に行かないのか?」

「十歩さん、もうこんな時間よ。十歩さんったら寝坊しちゃったの?」

「だめだぞ十歩。もう大人なんだから」

「子供の私たちに示しがつくようにしないとだめですって」

「ちげーよ、ガキども」


 十歩は新聞を適当に畳むと、椅子から立ち上がった。


「この前大口の依頼があって余裕があるから今日は休業だ休業」


 秋月姉弟もその後を追う。


「十歩、そんなんだから金がたまらないんだぞ」

「そうよ、十歩さん。もっとケーカクテキに生きないと」

「今月のチョチクガク知ってるか?」

「事務所とおうちの家賃をはらって食費を引いたらスッカラカンよ?」

「それに俺たちもっとマシな食事がしたい!」

「毎日干物と漬物とジャガイモは飽きましたー!」

「せめて週に一度は肉料理を!」

「月に一度は外食をー!」

「ひもじい生活はんたーい!」

「はんたーい!」

「うるせーー!!」


 まとわりつく双子を追い払い、ぜえぜえと荒い息をしながら十歩は二人に言い放った。


「そんなに言うんなら自分たちで仕事探してこいっつーの!」





「十歩さんったらひどいわ」

「あんなにひどい奴だとは思わなかった」

「だって私たち小学生よ?」

「食べ盛りにあれはないよなー」


 これも探偵としての修業だ、などと言いくるめられて、秋月姉弟は東京の町をとぼとぼと歩いていた。


「十歩さん、自分が料理下手なのをごまかしてるのよ」

「自分がそれで生きていけるからって満足してるんだよな」

「私たちはそれじゃ足りないのにね」

「タイグウカイゼンのためには声を上げなきゃ!」

「そうね十一!」

「そうだね姉さん!」

「おなかいっぱいご飯が食べたい!」

「俺たちにご飯を! 俺たちにおかずを!」

「肉をー!」

「しょっぱいものをー!」


 えいえいおー!


 鬨の声を上げる双子を、通行人は避けて歩いていく。そんな中、一人の男が双子に声をかけてきた。


「あー、もしかして……秋月の双子ちゃんたちか?」


 二人が振り返ると、そこにいたのは江戸正樹――二人の運命を変えたあの事件で十歩と一緒に捜査をしていたあの江戸探偵が立っていた。


「江戸さん!」

「江戸さんだ!」


 二人が嬉しそうな顔をして飛びつくと、江戸探偵は苦笑した。


「覚えてくれてたんだね、嬉しいよ」

「覚えてますよー! 江戸さん、顔は怖いけど優しいし!」

「そうそう、顔は怖いけど!」

「ねー!」

「ねー!」

「そ、そんなに怖く見えるのか……」


 江戸探偵は少し落ち込んだ様子でそう言い、できるだけ優しい笑顔を作るといちと十一に視線を合わせた。


「二人とも最近はどうなんだ? 霧島十歩が君たちを引き取ったと風の噂で聞いたが……」


 そう尋ねられると二人は十歩への怒りを思い出したようで、憤慨した様子で江戸探偵に訴え始めた。


「聞いて下さいよ、江戸さん!」

「十歩ったらひどいんだよ!」

「ちょっとお金に余裕ができたからってお仕事さぼって!」

「生活費ぎりぎりなのに!」

「それでもっとマシなご飯食べたいって言ったら!」

「俺たちに仕事探してこいって!」

「ひどいわ!」

「ひどいや!」


 ぷんぷんと怒る双子に、江戸探偵は顔を引きつらせ拳を震わせ始めた。


「あの男……こんな子供に仕事をさせるだなんて……」

「江戸さん?」

「江戸さん?」

「奴の事務所はどこだ。ちょっと文句を言ってくる」


 江戸探偵は据わった目で立ち上がり十歩の事務所を目指そうとした。

 しかし秋月姉弟はひそひそと何事かを言いあった後、江戸探偵の服に縋り付いた。


「待って、江戸さん」

「文句なんて言ったって十歩が変わる訳ないよ」

「し、しかし……」


 困惑する江戸探偵に、二人は上目づかいをしながらさらに畳みかける。


「それより俺たち、江戸さんのお仕事してるところ見たいなあ」

「私たち、江戸さんのお仕事してるところ見たいわあ」

「え?」


 二人によって歩みを遮られた江戸探偵は、自分よりはるか下にある二人の頭を見下ろした。


「それは構わないが……」


 いちと十一は「やった!」と手を叩きあった。


「江戸さん、俺たちお仕事手伝うよ!」

「私たち、とっても役に立つのよ!」

「江戸さんって良い人だからきっとお仕事手伝ったらお小遣いもらえるよね!」

「そうね! 江戸さんは十歩とは違って良い人だものね!」

「それどころかもしかしたらご飯もおごってくれるかもね!」

「そうだわ! だって私たちおなかぺこぺこなんだもの!」

「ねー、江戸さん?」

「ねー、江戸さん?」

「君たち……どこでそういうの覚えてくるんだい?」


 額を押さえて江戸探偵は頭痛をこらえた。

 確かに昔からこんな感じの子だった気がするが、悪化しているんじゃないだろうか。

 そんな江戸の心配もつゆ知らず、いちと十一は声を揃えて言った。


「ナイショ!」

「ナイショ!」


 そんな二人の満面の笑みに毒気を抜かれた江戸は、眉を下げて小さなため息を吐いた。


「分かったよ、ついておいで。真っ当な探偵の仕事ってやつを見ていきなさい」


 二人はにやりと笑いあうと、両手を上げて喜んだ。


「わーい!」

「やったー!」

「江戸さん大好きー!」

「ちゅーしてあげるー!」


 両側から腕を取られた江戸探偵は、妙なことになってしまったな……、と遠い目をするのであった。

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