最終話 霧島十歩の物語 ⑤(完)

「き、霧島十歩! なんでここに……! どうやって!」


 葉桜二子が驚愕に顔を歪めて叫ぶ。霧島十歩は面倒そうに目を細めた。


「なんで? どうやって? んなことどうだっていいんだよ。『霧島十歩はここにいる。』俺が宣言したのはそれだけだ。それだけで俺はどこへだって行けるんだよ」


「そ、そんな都合のいいことが……!」


「ああ、ご都合主義だよ。だがそのご都合主義を形にできるのが今の俺だ。今のこの俺、メタフィクション探偵霧島十歩だ!」


 そんなことはあってはならない。いかにこの物語がメタフィクションに満ちていようとも、それだけはあってはならない。そんなものを許してしまえば、物語の骨組み自体が崩れてしまう。だから、君には速やかに退場してもらおう、霧島十歩。


 葉桜二子は手にしていた銃口を十歩に向けた。十歩は足がすくんでしまって「動けない」。二子はトリガーにかけた指を引き絞り――


「いいや。ありえるんだよ、地の文」


『――しかしその銃弾は不発に終わった! 銃弾そのものが不良品だったのだ!』


「な、なんで!」


 二子は混乱して、何度も引き金を引く。『足が動かせるようになった俺は、二子の構える銃を正面から掴み、手の届かないところまで弾き飛ばした。』


「悪いがテメエに用はねえんだ」


『葉桜二子は膝から崩れ落ちた。俺はそのまま歩みを進め、奴がいるであろう場所へと向かった。』


「江戸。そいつは任せた」


『起き上がった江戸はまだ状況を把握できていなかったようだが、俺の言葉の意味をくみとり、葉桜二子を拘束した。』


「俺にはまだ、一発ぶん殴りたい奴がいるんでな」


 そう言うと霧島十歩は何もいないはずの場所を、いや、地の文である『私』がいると思っている虚空に向かって指を突き付けた。


「何がどうしてこうなったって顔してるんだろ、地の文さんよぉ」


 まったくだ。一体どんな小狡い手を使ってここまでやってきたのだ、霧島十歩。


『俺はそれを鼻で笑った。』


「何言ってやがる。俺を物語の登場人物じゃなくしたのはテメエじゃねえか」


 ――なんだと?


「俺もテメエと同じ『物語の外の存在』になったってだけだよ」


『まだ理解が出来ていない様子の地の文に、俺は片眉を跳ね上げた。』


「そんな俺が、お前と同じように物語を物語れない道理がどこにあるってんだ」


 ――霧島十歩……!


『怒りに満ちた声が脳裏に響いた。俺はにやりと笑った。』


「お前は三人称で物語を語り、俺は一人称で物語を語る!」


『俺は奴を指さし、次いで自分の胸に親指を突き付ける。そうしてから奴を思い切り睨みつけた。』


「勝負だ、地の文! ぶん殴ってやる!」


 ――霧島十歩、貴様だけはあってはならない存在だ。登場人物なら登場人物らしく、読者の意向に従え!


 突然、葉桜二子は江戸探偵の拘束を抜け出して、霧島十歩に殴り掛かった。『俺はそれを軽くいなすと、二子の腹に拳を叩きこんだ。』


「ちょっと寝てろや」


『葉桜二子は気絶し、俺の足元に崩れ落ちた。』


 次に十歩に殴り掛かってきたのは江戸探偵だった。『俺はそれを避けて、先ほどと同じように江戸の腹を殴った。』しかし、江戸探偵は体を鍛えていたので、十歩の攻撃など効かない!


「なにっ!?」


 江戸探偵は十歩を再度殴り『かかってきた拳を俺は辛うじて避けた! 何度も繰り出される拳を、俺はことごとく避けていく!』


 ――この、ちょこまかと鬱陶しい!


『俺は悔しそうな顔をする地の文を睨みつけた。』


「はっ! この程度か、地の文! 需要の力ってやつを見せてくれよ!」


 ――望み通り見せつけてやろうじゃないか!


 十歩の死角にいた十一といちは十歩の腰に抱き着いた。二人に拘束された十歩は動けない。十歩の目の前には江戸探偵が迫っている。江戸は拳を振り上げ――


「ぐっ……ちょっと無理があるかもしれねえが……」


『俺こと霧島十歩はガスマスクをつけていた!』


『俺の上着のポケットには催涙弾が入っていた! 偶然こぼれ落ちた催涙弾が俺たちの足元で炸裂する!』


『三人は三人とも意識を失い、地面に倒れ伏した!』


 ――デタラメをぉ!


 突風が吹き、境内に生えていた大木が十歩に向かって倒れていく!『その時、偶然にも倒れたもう一本の木が支えとなり、俺は下敷きにならずに済んだ!』


 大地震が起こり、崩れた神社の本殿が十歩めがけて降り注ぐ!『俺は先に倒れていた大木の陰に伏せることによってそれをかわした!』


 ――このっ!


「なりふり構わなくなってきたなあ、地の文さんよぉ!」


『十歩はにやりと笑いながら地の文を睨みつけた。』


「だがそろそろ終わりだ、地の文!」


 ――なんだと?


『地の文が怒り狂うのは俺の作戦の内だった!』

『俺が睨みつければ睨みつけるほど、奴が怒れば怒るほど、地の文はただの登場人物(キャラクター)に近付いていくのだ!』


 ――なんだと、どういうこ……しまった!


『地の文が焦った声を出す。だがもう遅い。』

『登場人物に知覚される地の文など地の文ではない。登場人物に感情を抱く地の文など地の文ではない! それはただの登場人物(キャラクター)だ!』


「俺は俺の物語を語る!」


『一歩を踏み出す。』


「俺は、今のテメエのこの物語が気に食わねえ!」


『奴がいる場所に一歩ずつ近づいていく。』


「霧島十歩おおおお!」


『地の文は叫ぶ。その声はいつもの幻聴ではなかった。俺の耳でも聞き取れるものだった! 奴はついに、俺の目の前に実体を現したのだ!』


『俺は腕を大きく引き――』


「これはっ! この俺! 霧島十歩の物語だあああああ!」


『――握りしめた拳を、奴の鼻っ面に叩きつけた!』







 綿津見神社は無残な廃墟と化していた。地面には俺たちの戦いに巻き込まれた四人が倒れ伏し、俺自身も傷だらけだ。


 そしてそれをなした張本人は俺の足元で仰向けに転がっている。


「はぁー。やれやれっと」


 俺がその横に腰を下ろすと、地の文は鼻血を出して視線だけをこちらに向けながら、俺に苦言を呈した。


「……おい」


「あ? なんだよ」


「キャラ崩壊してるぞお前。クズキャラはどうした、クズキャラは」


「……うるせえ、人間なんてもんは二面も三面も四面も違う顔を持ってるもんだろうが」


 傍らの地の文を見ようともせずに俺は答えてやった。


「俺たちはキャラクターだ。だけど同時に生きた生身の人間だ。だから俺たちは矛盾したことを言ってもいいし、自分の思うがままに自分勝手に行動してもいいんだよ。それは誰に決められるものでもないし、読者の需要なんかによって決められちゃならねえものだ。そうだろ? 人間ってのはそういうもののはずだ」


 俺の言ったことに、地の文は言葉を失っているようだった。しばしの沈黙の後、地の文は眉を下げた。


「負けたよ、霧島十歩」


 俺はちらりと地の文を見た。地の文は穏やかな顔をしていた。


「これからはお前がお前の物語を語るといい。私はこれにておさらばするとしよう」


 そう言うと地の文の体は徐々に透けはじめた。俺は片眉を跳ね上げた。


「あ? 何言ってんだテメエ」


「……は?」


 混乱している地の文に俺は言ってやった。


「テメエはもう特別じゃあなくなった。テメエは俺たちと同じ『ただのキャラクターに成り下がった』。……だったら、テメエが物語を語っちゃいけねえ理由がどこにあるってんだ」


 地の文は苦々しく笑ったようだった。


「よくよく口が回る男だ霧島十歩。一体誰がこんな風にしたのやら」


「アア? テメエだろうが。いつもいつも詭弁ばっかりたれやがって」


 睨みつけながら言ってやると、地の文はぽかんとしたあと、腹を抱えて笑い出した。


「ふっ、くく、ははははは!」


 地の文の笑い声だけが廃神社に響く。俺はその横で、何かおかしなことでも言ったかとムッと眉を寄せた。


「ま、負けたよ霧島十歩。本当の本当に完敗だ」


 なんとか笑いを落ち着かせた地の文は、仰向けに寝ころんだまま、傍らの十歩に微笑みかけた。


「お望み通り『私』は『私』の物語を語るとしよう。他でもない『私』の物語を」







 穏やかな朝の日差しが窓から差し込んでくる。ふと気づくと、十歩は椅子に座って新聞を広げていた。


 十歩は一瞬混乱したが、「ああ」と何かに思い至ったようで、そのまま新聞に目を戻した。眠そうな顔をした同居人たちが、寝間着のまま仕切りの向こう側から現れたのはその時だ。


「おはよう、十歩」


「おはようございます、十歩さん」


 二人はそろって大あくびをしたあと、はて、と首を傾げた。


「あれ? 俺たち東北にいたような……」


「たしか私がさらわれて……」


「俺が地の文の声が聞こえるようになって……」


「十一と江戸さんが助けにきてくれて……」


「それで十歩が――」


「夢だよ」


 十歩は新聞から目を上げず、どうでもよさそうに言った。


「お前らは悪い夢を見てたんだ」


 二人は目を見合わせると、「なんだ夢かー」と笑いあった。十歩はそんな二人に、珍しく優しい声をかけた。


「ほら、今日は日曜だぞ。もう一眠りすればいいんじゃないか?」


「んー……」


「そうするー……」


 おぼつかない足取りで二人は自分たちの布団に戻っていく。

 それを見送ってから、十歩は斜め上を見上げてきた。


「おーい地の文、聞いてるんだろ?」


 何かな、霧島十歩?


 私が問い返すと、十歩は幾分か機嫌が悪くなったようだった。


「テメエ、結局変わってねえじゃねえか。テメエはテメエの物語を語るんじゃなかったのかよ」


 失敬な。これが『私』の物語だよ。『私』は『私』の好き勝手に物語を語る。『私』は好き勝手に君たちの物語を語る。


 読者の需要など知ったことか。人気など知ったことか。『私』は『私』が好ましいと思う物語を語るだけだよ。


「ハッ! 分かってんじゃねえか。その意気を忘れんじゃねえぞ」


 と、霧島十歩は偉そうに言った。まったく、『私』にそんなことを言える権利がこの男にあるとでもいうのだろうか。心外な。『私』の方が霧島十歩よりもずっと賢くて物わかりがいいというのに。


「うるせえ、テメエはいつも一言余計なんだよ」


 十歩は丸めた新聞で斜め上を殴りつけてくる。『私』はそれをひらりと避けた。


 そうしてしばしの間、十歩は新聞紙を構えて眉を寄せていたが、ふとその手を下ろすとハァとため息を吐いた。


「……だがなんだ。これで一件落着というやつなんだろうな」


 そうだね、霧島十歩。これにて大団円というやつだ。


「大団円、ね」


 そうだとも。

 だから『私』はこう言っておこうと思う。


 霧島十歩は『私』の言わんとすることを読み取ったようで、『私』に対して手をぱっぱっと振った。


「おう、言ってやれ言ってやれ」






 霧島十歩の事務所は、東京は有楽町の辺りにある、とある雑居ビルの三階にある。


 事務所の入口のドアは非常に立てつけが悪く、なんとかしてそれを開いた先には引っ越し直後なのかと疑いたくなるほど、ひどい有様の部屋が広がっている。


 そんな事務所の奥にうずもれるように、霧島十歩と二人の助手はいつでもそこにいる。




 これは霧島十歩の物語。同時に、『私』たち全員の物語。


 これからもこの平和で無秩序でやりたい放題な物語は続くだろう。


 だが『私』は一応、ここでこう締めておく。





 こうして霧島十歩たちはいつまでも平和に暮らしましたとさ。

 めでたし、めでたし。





メタフィクション探偵 霧島十歩 (完)

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