最終話 霧島十歩の物語 ④

 何度も夢に見る光景がある。


 その場所は父親を亡くした俺たちが一時的に預けられていた親戚の家で、俺たちは客人用のソファに腰かけている。


 傍らの姉はこちらをまっすぐに見ている。壁の掛け時計がカチコチと時を刻んでいる。俺たちの他には誰もいない。


 そんな静かな部屋の中で、覚悟を決めたまなざしで姉はこう言うのだ。


「十一。私、強くなるから。……十一を守れるぐらい強くなるから」


 ――俺はいつも、何も言い返せない。





「おそらくここだろうな」


 海岸に止めた車の中で、江戸探偵は広げた地図の内の一か所を指した。

 そこに書かれた場所の名前は――綿津見神社。


「綿津見神社……?」


「わたつみとは海の神のことだ。暗号が魚の形をしていたのはこれを暗示していたんだろう」


 十一はぎゅっと拳を握った。

 ――ここに、姉さんをさらったあいつがいる。


 細かく体を震わせる十一に、江戸探偵は気遣わしげに声をかけた。


「やはり鍵を持って俺だけが行こうか?」


「……いえ」


 十一は首を横に振り、江戸を見た。


「俺も行きます」


「そうか」


 江戸探偵は勇み立つ十一の肩にぽんと手を置いた。


「危ないと思ったらすぐに逃げるんだぞ」


「はい」







 十一は神社へと続く階段をのぼっていく。右手には鍵を握りしめ、その足取りは決意に満ちている。


 石段をのぼり切り、鳥居をくぐると、神社の境内には葉桜二子が立っていた。その腕の中には両手を縛られたいちの姿もある。


「あら。あなた一人?」


 十一は頷いた。


「そう、一人で来るなんて勇敢な子ね」


 二子はそう微笑んだ後、急に恐ろしい顔をして叫んだ。


「そこにいるんでしょう、江戸探偵!」


 答えはない。二子は拳銃を天に向けて一発撃った。タァン! という破裂音が辺りに響き渡る。


「出てこないならこの子を撃つわよ!」


 ややあって石段に伏せていた江戸が起き上がった。二子は満足そうに笑んだ。


「子供の十一君が、一人でこんな遠方まで来られるはずないものね」


「くっ……」


「さあ、十一君。あなた一人で、鍵を持ってこっちにいらっしゃい」


 十一は悔しそうに顔を歪めたが他になすすべはない。十一は鍵を握りしめたまま、一歩ずつ二子に近寄り、数歩手前で立ち止まった。


「なんで来たの!」


 二子の腕の中のいちが涙混じりに十一に叫ぶ。


「私はいいから早く逃げて!」


 しかし十一は逃げようとはしなかった。ただ苦笑して目を伏せただけだった。


「ずるいよ」


「……え?」


「いつもいつも姉さんばっかり俺を守って」


 十一は顔を上げる。その眼差しにはもはや怯えはどこにもなく、ただ決意だけがあった。


「たまには俺にも守らせてよ」


 言うが早いか、十一は二子に向かって突進した。慌てた二子が銃口を向けるよりも早く、十一は二子の左手に回ると、そのままの勢いで銃を構えた右腕に噛みついた。


「きゃああ!」


 二子が悲鳴を上げ、左腕で拘束していたいちを手放す。十一はそれを確認し、なおも二子に噛みつき続けようとしたが、二子に振り払われ、いちの隣へと尻餅をついた。


「このっ!」


 二子は激高し、拳銃を二人に向けた。引き金にかかった指に力が込められ――


「危ない!」


 銃声が響いた。


 しかし、咄嗟に目をつぶった二人に銃弾が当たることはなかった。何か重いものが崩れ落ちる音がして二人が目を開けると、そこには二人を庇った江戸探偵が倒れ伏していた。


「江戸さん!」


 二人は悲鳴を上げ、江戸に縋り付いた。


「江戸さん、しっかりしてください、江戸さん……!」


「逃げろ、二人とも……」


 掠れた声で江戸は言う。しかし二人にはその場を離れることができなかった。何度も、何度も名前を呼び、江戸の体を揺さぶる。それを嘲笑うかのように三人の足元には血が――



『しかし、江戸の服の中には分厚い雑誌が仕込まれていた!』

『雑誌が銃弾を受け止め、江戸は無傷だったのだ!』



 突如、何者かの声が境内に朗々と響き渡った。


「……あれ?」



『傷を押さえて倒れ伏していた江戸は間抜けな声を上げて起き上がった。』

『その服には穴が開いているが、銃弾は雑誌に受け止められており、血は一滴も地面に落ちてはいなかった。』



 それは有り得るはずのないことだった。本当なら江戸探偵の懐に雑誌など入っていなかった。銃弾を雑誌が受け止めるだなんてベタな展開はあってはならないのに。



「おうおうおう! 俺抜きで話を進めてんじゃねえぞ、アアン?」



『その場にいる全員が鳥居の方を見た。突風にあおられた砂煙が通り過ぎたそこには――』



「十歩……!」

「十歩さん……!」



『仁王立ちで地面を踏みしめる。両腕を組み、偉そうに胸を張る。』

『――この俺、霧島十歩が立っていた!』

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