最終話 霧島十歩の物語 ②

 いちが差し出した鍵を二子は受け取り、手の上で転がして観察した。


「これが宝の鍵……」


 金色の小さな鍵には細かい模様が施されており、持ち手部分には『N』と印字されている。二子は数度鍵を裏返してから、鍵をポケットにしまい込み、いちへと銃を向けた。


「それじゃあもう、あなたは用済みね」


 銃口がいちの額に当たる。しかし、いちは怯えずにまっすぐに二子を睨みつけた。


「殺さないほうが賢明よ、二子さん」


「何ですって?」


 いちは鍵がしまわれたポケットをちらりと見た。


「鍵の模様は暗号なの。ママが隠した宝物――幻の宝石の隠し場所のね。……その暗号の解き方を知っているのは私だけ。私を殺したらそれも分からなくなるわ」


 二子の頬の筋肉がピクリと引きつった。いちは不敵な笑みを浮かべた。


「さあどうするの、二子さん?」






 息を切らして必死の思いで江戸探偵のもとに辿りついた十一は、彼の目の前でぜえぜえと息を整え続けた。


「どうした、十一君、そんなに急いで。君たちは十歩と一緒に帰ったんじゃ……」


 江戸がそう尋ねると、十一は飛びつくようにして江戸の胸に縋り付いた。


「え、江戸さん! 姉さんが、十歩が、二人がぁ!」


 今まで我慢してきた涙が一気にあふれ出し、十一は江戸の服を掴んでわあわあと泣いた。しかし泣くばかりでは何も伝わらない。江戸も困惑している。ここは冷静になって状況を説明すべきだろう。


「うるさい! 地の文、うるさい!」


 十一は耳を塞いでその場にしゃがみこんだ。歯は食いしばられ、その隙間からは嗚咽と唸り声が漏れている。


 江戸はまだ混乱していたが、ほんの数秒躊躇った後、十一の横に膝をついて十一を持ち上げるようにして立たせた。


「とにかく中に入ろうか。一回落ち着こう」


 江戸の提案に、十一は俯きながらも首肯した。


 促されるままに江戸の宿泊している部屋に入り、座布団に座らされる。向かいに座った江戸が十一に視線を合わせるようにして少し屈んだ。


「で、何があったんだ、十一君」


「それが――」


 十一はこれまでにあったことを江戸に話した。


 十歩が滝に突き落とされて殺されたこと。その犯人が二子だったこと。二子にいちが撃たれたこと。逃げる途中でいちを置いてきてしまったこと。いちが二子に誘拐されてしまったこと。


「それで、俺、地の文の声が聞こえるようになって」


「……地の文?」


「十歩がいつも聞いてたって声です。多分幻聴だとは思うんですけど、俺……」


 十一は俯いて拳を握る。その肩は細かく震えている。地の文を読みとれるということに対して、まだ理解も納得もできていないのだ。


 だがいい加減、納得してほしいものだ。そもそもそこを理解して動いてもらわなければ、展開上非常にやりづらい。


「黙れ、地の文……」


 そっちの都合ばっかり言いやがって、と十一は絞り出すように言う。江戸探偵はそんな十一をじっと見つめた後、真剣な顔になって十一に声をかけた。


「十一君」


「……はい」


「信じるよ。君がそんな嘘を吐くとも思えない」


「え」


 信じてもらえるとは思っていなかった十一が間抜けな声を上げる。そんな十一を放って、江戸探偵はばたばたと外に出る準備をし始めた。


「ひとまず警察に連絡だな。これは立派な殺人誘拐事件だ」


「あ、あの、江戸さん」


 江戸が振り向くと、十一は涙を拭って江戸を見上げたところだった。


「信じてくれて、ありがとうございます」


 弱々しい声でそう言いながら頭を下げた十一に対して、江戸は彼の頭に手を置いて、ぽんぽんと軽く叩いた。


「あまり一人で背負い込むな」


「……はい」


 十一はまた泣きそうになって、すんでのところでこらえた。


 泣いたって何も始まらない。今の俺は少なくとも一人じゃない。姉さんがさらわれたんだ。こんなところで立ち止まるわけにはいかない。


 江戸は上着に腕を通しながら、十一を振り返った。


「俺は駐在所までこのことを知らせに行ってくるが……ここで待っているか?」


「ううん」


 十一は首を横に振った。そうして顔を上げた十一の目に宿っているのは、今までの絶望に打ちひしがれた眼差しではなく――覚悟の光だった。


「一緒に行きます」






「だめだ、駐在所の電話がこの前の雨で壊れてしまったらしい」


 駐在所から出てきた江戸探偵が難しい顔をする。その後ろでは駐在警官が申し訳なさそうに立っていた。


「復旧を待つより直接東京に出て警察に通報する方が早いだろうな」


「東京に、ですか」


「ああ。東京なら篠田警部へのツテもある。素早く対応してくれるだろうさ。だから安心してくれ」


「は、はい……!」


 錯乱して自分に縋ってきたときよりは幾分か元気を取り戻してきた十一に、江戸探偵はほんの僅かだけ頬を緩めた。


「十一君。犯人が行きそうな場所に心当たりはあるか?」


 駐在所から車の置いてある宿に戻る道すがら、江戸は十一に尋ねた。十一は少し考え、服の中にかけて隠していた金色の鍵を取り出した。


「この鍵……」


 鍵は金色で、ほんの5センチほどの大きさしかない。形状は極端に薄く、芯の部分に何か文字が刻印されていた。


「あいつはこの鍵を狙ってるみたいなんです。姉さんもこの鍵を持ってて……」


 十一から鍵を受け取った江戸はそれを眺めまわしながら、十一に尋ねた。


「何の鍵なんだ?」


「多分、ママが遺した宝石の鍵だと思います。昔、誰にも見せちゃだめ。パパにも見せちゃだめって、ママが俺たちに渡してくれた鍵で……」


「宝石……二子の狙いはそれか……」


 苦々しそうに江戸探偵は吐き捨てた。十一は頷き、江戸の手の中にある鍵へと目を戻した。


「それでこの鍵、暗号みたいなものが書いてあるんです」


 江戸は改めて鍵を見た。鍵の持ち手部分には大きく『N』と刻印されている。


「N? 何の意味か分かるか?」


「いいえ……」


 十一が首を振ると、江戸探偵はそうか、と呟き、鍵をひっくり返した。


「棒の部分には、二匹の魚が彫られているな」


 鍵の芯棒の部分には、頭が体から離れた魚が二匹描かれていた。


 Nの書かれた持ち手を左に置くと、一匹目の魚は上方向に、二匹目の魚は左方向にそれぞれ向いている。


「頭が離れているのは何か意味があるんでしょうか」


「どうだろうな……魚なのも意味がありそうだ」


 江戸探偵は鍵を目の前に掲げて、目を細めた。江戸はあまり目が良くないのだ。


「魚の右隣にあるのはアルファベットのeとiか?」


 ちなみにここで補足しておくと、この鍵に彫られた文字はもう一つある。鍵の先端、『N』と書かれた持ち手のちょうど逆方向に、小さく『S』という一文字があるのだ。


「……S?」


「ん? どうした十一君」


 十一は斜め上を見上げたあと、自信なさそうに江戸探偵に告げた。


「今、地の文が鍵の先端にSが彫られているって……」


 その言葉に江戸は鍵の先端を自分に向け、さらに目を細めた。


「……本当だ、確かに彫られている」




 宿に辿りつき、荷物を手早くまとめた後、二人は車に乗り込んだ。


 ハンドルを握りながら、江戸探偵は呟いた。


「NとSと頭が離れた魚の模様、そしてei、か」

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