第三話 霧島十歩の落命 ③
「うわーー、どうしようーー!!」
翌朝、秋月十一は布団を頭からかぶって転がりまわっていた。
「うるせえ、他のお客さんの迷惑だろうが」
その隣で座布団に座って新聞を広げているのは霧島十歩。
「大袈裟ね、十一は」
さらにその隣で髪をといて髪飾りをつけているのは秋月いちだ。
「姉さんが無反応すぎるんだよ!」
「そうかしら?」
「そうだよ! だって……じ、女装だよ!?」
「あら、十一。ほんの数年前まで私と服を取り替えてたじゃない」
「あの時はあの時だよ! 姉さん、俺もう12歳だよ!?」
「知ってるわよ私も同い年だもの」
「俺だって知ってるよ!」
うわー! と叫び声を上げて十一は再びふとんに突っ伏した。
――そう。あの後、名乗り出た十一は、いちの代わりに札を持っていたのだという主張も聞き入れられず、龍神祭の花嫁役をやることになってしまったのだ。
「掟なんだから仕方がないじゃない」
「そうだぞ、人生諦めも肝心だ。人生経験と思ってやってこい」
「他人事だと思って!」
ひどいやひどいや、と拗ねはじめた十一に、いちはもう、と言いながら顔を覗き込んだ。
「ほら十一、立ちなさい。町に観光に行くわよ」
「……観光?」
「気分転換よ、ほらほら十歩さんも行きましょ!」
「ああ? お前らだけで行けよめんどくせえ」
「やだやだ一緒に行きましょうよー! やだやだやだー!」
「うっるせえ!」
「やだーー!」
「……で、なんでこんなことになってんだ」
霧島十歩はぱたぱたと顔を手であおぎながら、ぶつぶつ呟いた。
「結構お店とか多いのねえー」
「ううう、女装……」
「いい加減しゃんとしなさいよもー!」
「痛いっ!」
いちに爪先を踏まれて十一は悲鳴を上げる。いちはふんぞり返った。
「さあ、折角の旅行なんだから楽しむわよー!」
とある土産物屋で。
「いらっしゃいませー。……あらあなた花嫁さんね? 花嫁さんに来てもらえるなんて縁起がいいわあ。ほらっ、これも持っていきなさい!」
とある喫茶店で。
「花嫁さんじゃない! ほらほらおばちゃんが飴ちゃんをあげようね」
とあるお菓子屋で。
「おや花嫁さん? 団子一本おまけしとくね」
とある道端で。
「お嫁さんだー!」
「ほんとだー!」
「ありがたやありがたや」
「ほらっ、あなたも拝んでおきなさい!」
「うがーー!」
耐え切れずに奇声を発する十一を、いちはなだめていた。
「まあまあ、たくさんおまけしてもらえたんだからいいじゃない」
「よくないっ! お、俺がどんな思いで……」
半分べそをかきはじめた十一の手を引いて、いちはずんずん歩いていった。その後ろには十歩がついてきているが、心底興味なさそうな顔をしている。
「ほらっ、日も暮れてきたし神社に行きましょ! そろそろ花嫁衣装の調整も終わってるわ!」
「やだーー!」
必死の抵抗もむなしく、十一はいちに引き摺られていくのであった。
三人が神社についた頃には、日はかなり傾き、空は朱色に染まっていた。人払いがしてあるのか、境内には誰もいない。
「こう見るとなんだか不気味ね……」
「うんそうだね、姉さん……」
「急ぎましょうか」
「急ごうか」
その時、急に激しい風がごうと吹いて、境内の大木を揺らした。カラスが一斉に飛び立ち、十歩たち三人は一瞬、目を閉じる。
「もし、そこの御仁」
十歩たちが目を開けた時、そこにいたのは長髪の青年だった。腰辺りまで伸ばした髪は白く、身に纏っているのは神主の服だ。
「神社の宝が盗まれてしまうかもしれないのだ。助けてはもらえないだろうか」
「ハァ?」
突然の依頼に十歩がすごんでみせると、神主姿の青年はきょとんと首を傾げた。
「おや、きみは探偵と聞いたのだが違うのか?」
「そりゃ探偵は探偵だけどよ……普通そういうのは探偵の仕事じゃねえだろうよ」
「そうなのか?」
「探偵は何でも屋じゃねえっつーの」
「そうか……報酬は用意していたのだが、そう言うのなら仕方ないな……」
報酬、と聞いた途端、十歩の目は鋭く光った。
「へへ、旦那。報酬っていうと……いかほどになるんでしょうかね?」
「そうだなあ。半年は働かずとも食っていけるぐらいなら出せるなあ」
「半年っ……!」
十歩は目を見開いた後、顔を俯かせて震えはじめた。
「ふ、ふふふ、ふはははは! ……お任せください! 必ずやこの霧島十歩が、この神社の宝を守ってみせますよ!」
「そうか、それは助かった」
ほっと微笑む青年の前で、十歩は声を上げて偉そうに笑い続けた。
その時、本殿の方から聞き覚えのある声が響いてきた。
「花嫁様―!」
「あ、神主さん」
それは昨日の『嫁選び』でくじを引いていた男性だった。
「神主さん、今ですね。この方から依頼内容をお聞きしたんですがね」
「依頼内容?」
「ええ、なんでもこの神社の宝が盗まれそうになってると……」
言いながら十歩が振り返ると、既にそこには神主姿の青年の姿はなかった。
「あれいない……」
「神社の宝……龍神様のご神体のことですか?」
「ご神体?」
「これぐらいの水晶玉ですよ」
神主は両手でやっと包めるぐらいの球体を手で示してみせた。
「随分と大きいですね」
「まあ、ただのガラス玉なんですがね」
「えっ」
「でも本当に盗もうとしてる奴かいるなら許せませんね。とっちめてやらねえと」
神主は本殿へと歩き出した。十歩たちもその後を追う。
「ガラス玉なのに……ですか?」
不思議そうに問う十歩に、神主は笑った。
「ガラス玉でもなんでも、龍神様が宿っているのは本当ですからね」
「はあ、そんなものですか」
「そんなものですよ。まあ、あのご神体は今夜の儀式以外は外に持ち出しませんから、きっと大丈夫だとは思いますがね」
「ご神体だって」
「ご神体かあ」
「儀式って何するんだろう」
「花嫁衣裳を着るのは間違いないのよね」
「思い出させないでよ、姉さん……」
騒がしく本殿の中に消えていく四人を、大木の下で白髪の青年が見送っていた。
「さ、花嫁様!」
「これに着替えてくださいね!」
十一の前に突き出されたのはやはりというかなんというか、見るからに重そうな白無垢一式だった。
「ほら、脱いで脱いで」
「着替えましょうねー」
熟年の女性たちに囲まれた十一はハッと何かに気付いた顔をすると、服の上から自分の胸を掴んだ。いちもその様子に気づいたようで、すぐに声を張り上げた。
「あ、あの! 襦袢を着るところまでは自分たちでやってもいいですか?」
女性たちはきょとんとした後、あらあらと微笑ましそうに笑った。
「そうねえ、そういうの気にする年頃なのねえ」
「終わったら呼んでちょうだい、ふふふ」
そそくさと女性たちは退出し、部屋に残されたのはいちと十一だけになった。
「危なかったね」
「危なかったね」
言い合いながら十一は首からかけていた何かを服の中から取り出した。それは、一本の金色の鍵だった。二人は鍵を包み込むように持つと、お互いの額をコツンとつけた。
「内緒だよ」
「うん、十歩にも内緒だ」
「きっと迷惑かけちゃうからね」
「いくら十歩でも巻き込みたくはないからね」
「――俺がどうかしたか?」
「ぎゃっ、十歩!」
「十歩さん何入ってきてるんですか!」
慌てて二人が離れると、十歩の後ろからジャーナリストの二子も顔を出した。
「二人とも! 写真、取らせてもらえないかしら!」
「ぎゃー!」
「なんで二子さんまで!」
二子は大げさなカメラを構えて、にんまり笑った。
「祭りの取材に来たのよ! って、あら、その鍵……」
二子の視線は、十一の首にかかっている鍵へと注がれた。二人は真っ青になると、十歩と二子を強引に部屋の外に押し出した。
「出てってくださいー!!」
着付けが終わり、双子が部屋の外に出ると、そこでは十歩が壁にもたれて待っていた。
「おう、終わったか」
「次はお化粧だそうです!」
「うう、まさか化粧をされる日が来るとは……」
「十歩さんは捜査ですか?」
「おう、まあな」
十歩はひょいと片眉を上げた。
「神主さんが言っていた通り、ここのご神体は本殿の奥にあって、村人でもその場所を知らないそうだ」
「じゃあやっぱり儀式の時に盗もうっていう魂胆なんですかね」
「かもしれねえな。……ああ、それからこれは余談なんだが、昔から花嫁役が神隠しされることが多いらしいぞ。大抵、数日で戻ってくるらしいが」
「なんで俺を見ながら言うんだよ、十歩!」
「神隠しにあっていなくなったら、お前を置いて帰るぞって意味だと思うわ、十一」
「ひどい!」
白無垢姿で憤慨する十一を上から下まで眺めまわし、十歩はぽつりと呟いた。
「……本当にその恰好似合わないなお前」
「分かっててやってんだよ、馬鹿十歩!」
そうして夜はふけ、儀式の時間は近付いていった。
おしろいをはたいて、紅を入れて、化粧を済ませた十一は本殿の廊下をしずしずと歩いていった。この道は花嫁が一人で歩かなければいけない道なのだ。
ぽつりぽつりと灯された蝋燭の光だけを頼りに、十一は歩いていく。遠くでは儀式を待ちわびている人々のざわめきが聞こえる。
――その時、もうどうにでもなれ、とやけくそになっている十一の前に、例の白髪の青年が現れた。
「似合ってるよ」
「あ。あの時の……」
十一は目を瞬かせた。この廊下には花嫁以外入れないはず、とは思いつつも、この神社の人ならいてもおかしくないかと納得もしていた。
「さすが私の眼鏡にかなっただけはある」
言われた意味が分からず十一は首を傾げる。被せられた角隠しが落ちそうになって慌てて手で押さえる。言われた意味は解らなかったが、この服装が似合っていると言われたことだけは分かり、十一は唇を尖らせた。
「似合ってなんていません。怒りますよ?」
「はは、そう言ってくれるな。どうせ一夜だけの花嫁だ。お役目を果たしたらちゃんと帰してあげるよ」
どうにも噛み合わない会話だ。
ますます十一が混乱し、彼を問い詰めようとしたその時、廊下を照らしていた蝋燭の火が一瞬吹き消え、次に光が灯った時には彼の姿はどこにもなかった。
「……あれ?」
十一は目をこすろうとし――自分が化粧をしていることを思いだして、すんでのところで手を止めた。
「なんだったんだろう」
そうやって疑問には思ったが、何故かそれ以上の驚きを覚えることはなく、十一は教えられた通りの道を歩いていくのであった。
廊下を抜けた先は、祭壇のしつらえられた舞台への渡り廊下に繋がっていた。十一は俯きながらその上を通り、舞台へとのぼっていった。
「ええっと、まずは座って一礼して……」
口の中でぶつぶつと手順を復習しながら、十一は祭壇に頭を下げる。祭壇の真ん中にはご神体であるガラス玉が置かれ、吊るされた電球の明かりに照らされている。
「龍神様、今年も雨をありがとうございました。来年もこの村をお守りください」
本当は祝詞をあげるべきなのだそうだが、こういうものは気持ちが大事なのだと神主さんが言うので、十一はお言葉に甘えているのであった。
十一はもう一度一礼し、玉串を捧げに祭壇に近寄った。
――その時。
バツン、という音がして、辺りの電気が一斉に消えた。
「なんだ! 停電か!」
「誰か早くブレーカーを上げにいけ!」
舞台の下で混乱する声が、十一のもとにも聞こえてくる。その時、どうしよう、と困り果てている十一を、誰かが突き飛ばした。
「いたっ!」
十一を突き飛ばした誰かはどたどたと足音を立てて舞台を走っていき、どこかへと去っていったようだった。白無垢に埋もれるようにして倒れた十一が、やっとのことで起き上がろうとした時、ようやく舞台を照らす電気が復旧した。
神主は倒れている十一を助け起こしに行き――祭壇を見て顔色を変えた。
「大変だ、ご神体が! ご神体がない!」
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