第三話 霧島十歩の落命 ②

 山道を走らせ、田んぼを横切り、小さいながらも栄えた通りを抜けると、龍ヶ淵村、唯一の宿へと辿りつく。十歩ががたごとぷすんと音を立てて車を止めると、双子は待ちきれないと言った様子で外に飛び出した。


「ついたー!」


「村だー!」


「騒ぐな騒ぐな、やかましい」


 続いて十歩も車から降りる。高台にある宿から見える町には、いたるところに提灯がぶら下げられ、少ないが出店のようなものも出ているようだった。


「割と賑わってるな……」


「明日は祭りの日ですからね」


「うおっ、びっくりした」


 いつのまにか十歩の後ろに立っていたのは、祭り用の羽織を着た初老の男性だった。


「祭り?」


「はい、龍神祭ですよ。今夜、前夜祭の『嫁選び』が行われて、明日は『嫁入り』が行われるんです」


「はー。祭りねえ。……ところであなたは?」


「ああ、申し遅れました。私、当ホテルの案内役をしております川端といいます」


「ホテル……?」


 川端がホテルと言ったそれは、ホテルというにはあまりにもこじんまりとしていた。旅館……いや、よく言って民宿といったところだ。


「どうかされましたか?」


「……いえなんでも」


 十歩は本当のことは口に出さず、川端から目を逸らした。川端がそう言うのなら、きっとこれはホテルなのだろう。


「さあ、お部屋にご案内しますね。こちらへどうぞ」


 荷物を受け取って川端が先導する。十歩ははしゃぎまわる双子に怒鳴り声を上げた。


「ガキども、いつまで遊んでんだ! 行くぞ!」


「はーい!」


「はーい!」





 三人が通されたのは、存外に広い部屋だった。二人の予定だったのが三人に増えたので、急遽部屋を変えたのだという。


 十歩が荷物を下ろすと、双子は駆け込んでいった勢いのまま窓を開けて、そこから見える景色を見下ろす。座布団に腰を下ろした十歩がふと机を見ると、机の上には一枚の紙が置いてあった。


 どうやらそれは観光案内のようで、村全体の地図が書かれた横に同じぐらいの大きさで何か歌詞のようなものが書かれているのであった。


「なんだこの歌」


「それは村に伝わる龍神様の歌ですよ」


「うおっ、びっくりした」


「すいません、一応声はかけたのですが」


 振り向くと川端が、はは、と笑いながら頭を掻いていた。川端は持ってきたお茶を三つ、机の上に置いた。


「龍神伝説の歌でしてね、こんな歌なんです」



 むかしむかしのりゅうさまは

 ふちからはいでてとぐろまき

 よめさまかついでよろこんで

 ぐるりとまわってとぐろまく

 とられたよめさまとりかえせ

 よめさまのやしろはこうべのうえ

 ねむっておとしたげきりんの

 すそからのぼれはなさきめざせ



「ほー、なんだか暗号でもありそうな歌ですな」


「ははは、ありませんよそんなもの。ただの昔話を歌った歌ですから」


「昔話!」


「どんな昔話なんですか?」


 いつのまにか十歩の隣に座っていた双子が目を輝かせて尋ねる。川端はその様子を微笑ましそうに見て頷いた。


「昔、龍ヶ淵には巨大な龍が住んでいたんですがね。ある時庄屋の娘が龍のところへ嫁に行くことになってしまったんです。それに嘆いたのは庄屋の家族です。庄屋の家族は村人たちに娘を取りかえすように言います。龍のところへ行ってしまった娘を追って、村人たちは龍のもとに辿りつきました。そうして村人たちは一計を案じて、龍を眠らせることに成功するんです。眠って地面に寝そべった龍の頭には娘が乗っていました。その時、龍は目をさまし、お前が帰りたいのなら帰ってもいい、と娘に告げました。ですが娘は村に帰ろうとはしませんでした。娘は龍に恋をしてしまっていたのです」


「おお!」


「それでそれで? どうなったんです?」


「恋をした娘は龍とともに行くことに決め、二人は龍ヶ淵の中へと消えていきました。それからというもの、龍は娘が住んでいた村を慈しみ、この村は干ばつには無縁の村となったのです」


「大団円ってやつですね!」


「大団円ってやつだな!」


 まるで自分のことのように喜び合う双子に、川端は目を細めた。


「そうして二人を祀ってできたのが龍ヶ淵神社なんです。今日と明日のお祭りはそこで行われるんですよ」


「お祭り!」


「行きたい!」


 二人は見ていた観光案内からがばりと顔を上げた。


「よろしければ、神社をご案内しましょうか?」


「いいんですか?」


「ええ、どうせ今日泊まってらっしゃる方は全員出払っていますから。ちょうどいいんです」


「それじゃあおねがいします」


「はい、ホテルの玄関でお待ちしておりますね」


 川端が去っていった部屋の中で、やはり十歩は指摘せずにはいられなかった。

「いや、ホテルじゃないだろ……」





 神社までは幅の広い一本道だった。


 長い石段を登りきると、巨大な鳥居があり、その向こうには丸石の敷き詰められた境内が広がっている。


「左手にあるのは御手山、右手にあるのは尾道山、正面には龍ヶ淵、左手奥にあるのが神社の本殿で、さらにその後ろにあるのが阿児山(あごやま)です。ちなみに本殿の左手には、龍神が落としたという伝説のあるうろこ岩があるので、あとでどうぞご覧になってください」


 説明された通り、神社の左右には小高い山が聳え立っていた。前方にはそこそこの大きさの湖が、左手奥には阿児山を背後に控えさせた神社の本殿が建っている。


 川端が双子を連れて詳しい説明をしているのを横目に、十歩は立ち止まって観光案内を見下ろした。正直あまり興味はないが、来た以上は楽しむべきだろう。そう思いながら足を進めたその時、十歩の肩が誰かにぶつかった。


「――っと、悪い」


「いや、こっちこそ」


 謝りながら振り返ったその男性に、十歩は見覚えがあった。


「あれっ、江戸?」


「なんだ霧島十歩か。こんなところで奇遇だな」


 そう、そこにいたのは江戸探偵だったのだ。


 十歩と江戸探偵は、三年前に邂逅してから、何度か事件で顔を合わせているのであった。


「なんでここに」


「観光だよ。くじで旅行が当たったんだ」


「おお、俺たちと同じだな」


 こんなことってあるんだな、と二人はしみじみと言い合う。


「こういう偶然は続くと言うから、また顔見知りに会うかもしれないな」


「ははは、まさか」


「あら、十歩さん?」


「え、二子さん?」


 かけられた声に振り返ってみると、そこにはジャーナリストの葉桜二子が立っていた。


「奇遇ですねー! 十歩さんは観光でこちらに?」


「ええまあ。二子さんは取材ですか?」


「はい! この祭りを記事にして宣伝してほしいって言われてるんです!」


「なるほど。……ああ、江戸。こっちはジャーナリストの葉桜二子さんだ」


「二子です、よろしくお願いします!」


「江戸正樹だ。私立探偵をしている。こちらこそよろしく」


 だんだんと日は傾き、神社の境内には人が増えつつあった。


 人混みを避けるように三人が隅に移動しようとしたその時、ふと十歩の足元に誰かの帽子が落ちた。


「あ、落としましたよ」


 帽子を拾って顔を上げた十歩は、落とし主の顔を見てぎょっとした。落とし主は顔を包帯でぐるぐる巻きにした女性だったのだ。


「……ありがとうございます」


 女性はくぐもった声で礼を言うと、そそくさと三人の前から立ち去ろうとした。それを呼び止めたのは二子だ。


「あれ? あなたもしかして――」


 二子が言いかけた言葉に、包帯の女性は慌ててどこかへと駆け出した。その後を二子も追う。


「あ、待ってくださいー!」


 取材させてー! と叫びながら二子は包帯の女性を追い掛けていった。


 駆けていく二人を隠すように、今度は狐のお面をつけた女性が横切り、江戸探偵はぼやいた。


「妙な奴らばっかりが集まってるな……」


 言いながら江戸探偵は霧島十歩にも視線を向けた。


「ん? おい。その妙な奴らの中に俺は入ってねえだろうな」


 十歩は凄んでみせる。江戸探偵は苦笑いしながら目を逸らした。十歩にも一応、自分が奇人変人の一員である自覚はあるのであった。


「うるせえ、地の文!」


 十歩が地の文に噛みつき、江戸探偵の『霧島十歩は変人』という認識を深めていると、双子がどこからか十歩のもとに戻ってきた。


「十歩さん、こんなところにいたんですか」


「探したぞ十歩。大人のくせに迷子になるなんて情けないな」


「なってねーよ、迷子になったのはお前らだろうが」


「あら、私たちはちゃんと川端さんと一緒にいたもの」


「そうだぞ、ふらふらどこかに行ったのは十歩の方だ」


「駄目ですよ、十歩さん。こういうところで子供から目を離したりしたら」


「ほら、手をつないでやるから、これで安心だな」


「それは良い案ね、十一」


「これでもうはぐれないね、姉さん」


「はなせ馬鹿、恥ずかしい!」


 両側から双子に腕を取られた十歩は、がーっと叫びながら二人を振り払った。江戸探偵はそんな三人の様子を微笑ましそうに見ていた。


「仲が良いようで何よりだ」


「ああ? どこがだどこが!」


 あの事件に居合わせた江戸探偵にとっても双子のその後は気になるところだったのだ。しかしあの事件以降、十歩と顔を合わせるたびに、十歩の後ろをついてまわる双子と会うたびに、それは杞憂だったと知るのであった。


「いい話にしようとしてんじゃねえぞ、地の文」


 地を這うような声で十歩はそう言う。


 十歩の機嫌が悪くなってしまったので、この話はまたの機会にするとしよう。読者の皆様はその時が来るのをどうぞお楽しみに。


「そうだ、見てください十歩さん!」


 いちが十歩の目の前に掲げたのは、『三十二』と書かれた木の札だった。


「あ? なんだそれ」


「龍神様のお嫁さんを決めるくじ引きです!」


「女の子なら誰でも貰えるんだってさ」


「前夜祭でくじびきをしてお嫁さん役を決めて」


「当日にそのお嫁さん役が皆の前で神事をするんだって」


「選ばれたらどうしよう!」


「頑張ってね、姉さん」


「あら十一。ちょっと寂しそうね?」


「寂しそうなんかじゃない」


「もしかして……十一もくじ引きに参加したかった?」


「そっ、そんな訳ないだろ!」


「じゃあどういう訳なのよ」


 十一は俯いて、もじもじしだした。


「え? ええっと……姉さんばっかりお祭り楽しめてズルいなあって……」


 それを聞いたいちは一気ににやにやと笑うと、十一に抱き着いた。


「私の弟がかわいい!」


「は、放してよ、姉さん!」


「照れなくてもいいのにっ!」


「そうじゃなくて、苦しっ……!」


 読者の皆様はそろそろお忘れのこととは思うが、いちは筋力が非常に強いのだ。


 ぎりぎりと抱きしめられる十一はいちの背中をばんばんと叩いて、降参の意を示す。


 必至の訴えの甲斐あって、数十秒後、いちは十一を解放した。


「大丈夫よ、十一。お祭りはくじ引きだけじゃないもの」


「そ、そうだね姉さん。そうだよね」


「たとえば出店で買い食いするとか!」


「買い食い? でも今日僕たちあんまりお小遣いは……」


「そんなもの、十歩さんに出してもらえばいいのよ!」


「名案だね、姉さん!」


「そうしよう!」


「そうしよう!」


「おいこらそこの二人、何勝手に決めてんだ」


 すっかり二人の話から興味を失っていた十歩は、話の雲行きが怪しくなってきたのを察知して舞い戻ってきた。


「ただでさえぎりぎりの予算なんだ! 無駄遣いは! しねえからな!」


「あら、無駄遣いじゃないわよ、十歩さん」


「そうだぞ十歩。旅行先で楽しむためにお金を使わないで何のために使うんだよ」


「そうよそうよ。ケチも度が過ぎると身を滅ぼすわよ」


「うるせえ! だめったらだめだ!」


「ケチー!」


「ケチー!」


 ぎゃあぎゃあと騒ぐ三人に隣で見ていた江戸探偵は眉を下げた。


「まあまあ二人とも。ほら、おじさんがお小遣いをあげよう」


「いいの!?」


「いいの!?」


「少ないがね、これでおいしいものでも食べなさい」


「やったー!」


「やったー!」


「ありがとう、江戸さん!」


「ありがとう、江戸さん!」


「もう十歩さんの助手止めて江戸さんの助手になろうかなあ」


「いい案だね、姉さん。十歩はドのつくケチでついでにクズだもんな」


「てめえら……!」


 青筋を立てる十歩に、二人は顔を見合わせて笑った。


「嘘ですよ、十歩さん」


「俺たちが十歩の助手をやめるわけないだろ」


 ねー、と笑う双子に毒気を抜かれて、十歩は振り上げかけた拳を止めた。二人はその隙にきゃらきゃらと笑いながら出店に向かって駆けていった。


 その背中を見送って、十歩は大きくため息をついた。


「おい、江戸」


 十歩は困ったように江戸探偵に声をかけた。


「いいんだよ、俺にとってもあの子たちは気にかかる存在だからな。これぐらいはさせてくれ」


「だが……」


 江戸探偵は全てを見透かしているかのような意地悪い笑みを浮かべると、低い位置にある十歩の頭を見下ろした。


「しつけの一環なのは分かるがな。こういう場所ぐらい羽を伸ばしてやるのもいいと思うぞ」


 十歩は一気に赤面して叫んだ。


「しっ、しつけなんかじゃねえし! ただ俺が! 金を! 無駄遣いしたくねえだけだよ馬鹿じゃねえの!」






「はい、十歩さんの分!」


「買ってきてやったぞ、感謝しろよ!」


 手渡された串焼きをムスッとした顔で受け取り、十歩は頬張った。


 時刻は既に六時半過ぎ。日は落ちて、龍ヶ淵の前に作られた舞台の四隅には松明が立っている。松明の光の中、集まった観客が待っているのは、例の『嫁選び』の儀式だ。


 そんな中、いちはそわそわと辺りを見回した後、『嫁選び』の札を十一に手渡した。


「十一、ちょっとこれ持ってて」


「え、姉さんどこいくの」


「はばかりよ! 言わせないでよもう!」


 ちなみに、はばかりとは便所を少し上品に言い換えた言葉である。


 いちは走り去っていき、十一は舞台に視線を戻した。『嫁選び』の方法は大きな箱から神主がくじを引く、というだけの簡単なもののようだった。


 観衆が見守る中、神主は箱の中に手を入れて、一枚の札を取り出した。


「三十二番!」


「えっ」


 読み上げられた数字に周囲はざわめいた。一体誰が当たったのかと探しているのだ。十一は舞台の上の木札を見て、次いで自分の持つ木札を見て、顔を青ざめさせた。


 いつまで経っても現れない『嫁』に、ざわめきが広がっていく。


 十一はそろそろと右手を挙げた。


「あ、あの……」


 掲げられた数字は三十二番。十一の持っている札も三十二番。十一は泣きそうな顔で申告した。


「当たっちゃった、みたいです……」

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