第二話 霧島十歩の困窮 ⑤

 夕方の庭を、一人の女性がポリタンクを持って歩いていた。その行く手を遮ったのは、霧島十歩と秋月いちだ。


「犯人はお前だ!」


 十歩が勢いよく指を指すと、その女性――秋月ろくはきょとんとした顔をした。


「何のことですか? ……まさか、私が誠一さんを殺した犯人だって言うんじゃないでしょうね?」


 しらばっくれるろくに、十歩は眼光を強めた。


「そのまさかですよ、奥さん。しかもあなたが殺したのは誠一さんだけじゃない。一年前のあの事件、当時の奥さんのちひろさんもあなたが殺害した。……そうですね?」


「何を馬鹿なことを。大体、私にはどちらの犯行も不可能ですよ」


「そう、あなたには出火当時のアリバイがある。――ですが、その出火時間はトリックによってずらされたものだったんです」


「トリックですって?」


 十歩のかたわらに立ついちが、心配そうに十歩を見る。十歩は胸を張った。


「これは誠一さんの部屋にあった本から得た知識なのですが――」


 そう前置きし、十歩は推理を始めた。


「燻焼という言葉があります。これは炎が起こらないまま、ゆっくりと火災が進むものです。特に布団や座布団など、中に綿が入っているものはそれが起こりやすく、表面上は出火していないように見えて、中の綿だけがゆっくりと燃えていく――と、こういうものです。


 ……つまりあなたは被害者を何らかの方法で眠らせ、被害者の座っている座布団の綿に火をつけたのです。綿についた火はゆっくりと燃え広がり、一酸化炭素を放出する。そして一酸化炭素中毒によって被害者は時間をかけて死亡した」


「あら、それはおかしいですよ。誠一さんは全身丸焦げになっていたじゃない。燻焼を使ったっていうなら、遺体はきれいなままのはずでしょう?」


「え、えっと、それは――」


 思わぬ反論に十歩はしどろもどろになる。その時、十歩の後ろから現れたのは、江戸探偵だった。


「それは、あなたがどうしても遺体を焼かなければならない理由があったから。違いますか?」


 十歩は振り返り、声を潜めて江戸探偵に尋ねた。


「江戸」


「こっちは大丈夫だ。話を続けよう」


 江戸探偵も小声でそう返し、すぐにろくの方に目をやった。


「この事件は計画的に起こったものではない。誠一さんは何らかの方法――おそらくは鈍器か刃物によって、衝動的に殺害されたのです」


「そ、そうなのか?」


「そうなんだよ、黙ってろ」


 茶々を入れる十歩を、苛立った様子の江戸探偵はじろりと睨みつける。十歩は身を縮こまらせた。


「誠一さんを突発的に殺してしまったあなたは焦ったはずです。遺体に残った傷跡を見られてしまえば、事故ということで押し通すことはできませんから。だからあなたは遺体に油のようなものをかけた。たとえば――その手に持っている灯油のようなものを。」


 ろくはびくりと震え、手に持ったポリタンクを握りしめた。


「さらに言うのであれば、そう――あなたは被害者の誠一さんによって蔵に呼び出され、そこで衝動的に殺人を犯してしまった。そうですね?」


「ど、どこにそんな証拠があるっていうんですか!」


 見るからに動揺した様子でろくは叫ぶ。江戸探偵は落ち着き払って最後の一撃を叩きつけた。


「あなたの犯行を目撃した人間がいるからです」


「そうだぞ。おい、真犯人」


 便乗するように声を上げた十歩は、傍らの秋月十一の頭に手を置いた。


「お前がさらったのは『秋月いち』じゃない。ここにいるこっちが『秋月いち』だ」


「え」


 十歩は秋月十一……いや、秋月十一の格好をした秋月いちに尋ねた。


「いち。お前、犯行現場で犯人が――秋月ろくが蔵から出てくるのを見ただろう」


「えっ、なんで知ってるの」


「カミサマに教えてもらったんだよ。ほら、どうなんだ」


 いちは動揺するろくを見て、また十歩に視線を戻して頷いた。


「うん、見た」


「灯油タンクを持って蔵から出てきたのは、あいつで間違いないか?」


「うん」


 いちの肯定にろくはわなわなと震えだした。


「そんな……嘘よ……」


「残念だったな、犯人。ついでにお前が捕まえてた十一も保護したってよ」


 ちょうどその時、使用人たちが秋月いちの格好をした秋月十一を連れてやってきた。


「姉さん!」


「十一!」


 双子は駆け寄り、抱きしめ合う。


「犯行の動機はここに書いてありましたよ」


 江戸探偵は懐から一通の封筒を――金庫の中にあった誠一の遺書を取り出した。




『一年前、私は、愛人のろくと共謀して、妻のちひろを殺害しました。動機はお察しの通り、妻が持っているはずの宝石です。私は宝石のために妻を殺し、探偵を雇って妻の遺品を漁らせました。ところが見つかった金庫を開けてみると、中に入っていたのは宝石ではなく、家族の思い出の品だけだったのです。


 私は妻を殺してしまったことを悔いました。しかし、今更警察に名乗り出ても、証拠は既にありません。共犯のろくもしらばっくれてしまうかもしれません。


 ろくを捕まえるのには、私の自白だけでは不十分でしょう。だからお願いです、探偵さん。彼女を『私を殺した犯人』として捕まえて、公の場で裁いてやってはもらえないでしょうか』




「秋月ろく! お前は完全に包囲されている!」


 手紙を読み終わると、十歩たちの周囲には警察官たちが集まっていた。使用人たちから事情を聞いたのだろう。警察官たちは皆、拳銃をろくに向けて、彼女を包囲していた。


「こ……こんなところでっ!!」


 ろくはそう叫ぶと、ポリタンクを振り回しながら、屋敷に向かって駆け出した。警察官たちは発砲したが、運悪くろくには一発も当たらない。屋敷に駆け込んだろくはポリタンクの中身を廊下にぶちまけると、持っていたマッチを擦って、その場に落とした。


 屋敷の外にいた十歩は、地の文を読んで顔色を変えた。


「あ、あいつ、屋敷に火をつけやがった!」


「何!?」


 その瞬間、猛烈な勢いで炎が屋敷の玄関から噴きだしてきた。その場にいる全員が一瞬パニック状態になり、水を運べそうなものを必死で探し始めた。


「早く火を消せ!」


「だめだ! 勢いが強すぎる!」


 バケツを運んでいた江戸探偵は、同じく桶を運ぼうとしていた十歩に怒鳴った。


「十歩! お前は子供たちを安全な場所に!」


「わ、分かった!」


 十歩は双子の手を引っ掴むと、屋敷から離れた場所へと連れていった。


 火の勢いは留まるところを知らず、炎は屋敷中へと燃え広がっていく。


 夕方の空に燃え上がる屋敷を、まるで目に焼き付けようとするかのように、双子はじっと見つめ続けた。





 結局、消火活動の甲斐なく、屋敷は全焼してしまった。


 真っ黒に焼け焦げてしまった生家を前にして、双子は立ち尽くしていた。


「なくなっちゃった」


 どちらともなく言う。


「パパもママもいなくなっちゃった」


 二人の顔に表情はなく、目の前の光景が信じられずにいるようだった。十歩はそんな二人に歩み寄り、二人の頭に手を置いた。


「十歩……」


「十歩……」


 振り向いた二人の目にはようやく涙が溜まり始め、二人は徐々に顔をくしゃくしゃに歪めていった。十歩は少しためらった後、膝をついて二人を抱きしめてやった。


「うわあああん」


「わあああん」


 十歩に縋り付いて、二人は声を上げて泣き続けた。







 秋月家の財産は、ほとんどが炭になってしまった。


 残った遺産も雀の涙ほどしかなく、秋月家の親類の中には好んで双子を引き取ろうという者はいなかった。


 誰も二人にはそのことを言わなかったが、二人はそれを察していた。




 数日が経ち、ようやく引き取り手が現れたというので、二人はとある部屋で待たされていた。


 いちはずっと俯かせていた顔をキッと上げると、十一の顔を正面から見た。


「あのね、十一」


「うん」


「私、強くなるから」


 十一は目を瞬かせる。いちは強い眼差しで、続けた。


「十一を守れるぐらい強くなるから」


 何かを十一が言い返そうとしたその時、控えめなノック音が部屋の戸から響いてきた。ややあって入ってきたのは、使用人の才川だ。


「引き取り手の方を連れてきましたよ」


 二人は顔をこわばらせた。


 どうしよう。何て声をかけよう。いい子にしてた方がいいのかな。してないと捨てられちゃうかも。


 様々な想いが二人の脳裏をよぎる。緊張で体が震える。コツン、と足音を立てて誰かが部屋に入ってくる。


 そこに現れたのは――身なりがあまりよくない低身長の男、霧島十歩であった。


「十歩、なんで……」


 驚愕で目を見開いたまま、双子は動けずにいた。十歩はムッと顔をしかめて両手をパッパッと振った。


「あー、うるせーうるせー。何だっていいだろそんなのよー」


 ほら行くぞ、十歩は双子に手を差し出した。双子は呆然としながらその手を取った。


 二人は何かを尋ねようと口を開いたが、言葉を発する前に、真っ赤になっている十歩の耳に気がついた。


「かっ、勘違いするなよ! 俺は別にお前らが可哀想でお前らを引き取ったわけじゃない。あくまで! お前らの持ってる遺産が目当てなんだからな!」


 二人は顔を見合わせ、どちらともなく笑い出した。


「分かってるよ」


 十歩は二人の手を引いて、のしのしと歩き出した。


「いいか、自分のことは自分でやれよ」


「うん」


「食事も洗濯も当番制だからな」


「うん」


「それから、そうだな……間違ってもパパだなんて呼ぶんじゃないぞ。呼んだらぶっ飛ばすからな」


「うん、パパ」


「分かったよ、パパ」


「こんのクソガキども……」


 早速の発言に青筋を立てながらも、手を離すことはしない。十歩たち三人は、両手を繋いで貧乏事務所に向かって歩いていった。







「ったく……結局、回想に一日かかっちまったじゃねえか」


 回想から戻ってきた十歩はまるで昼寝から覚めたかのような心地でうーんと伸びをした。時刻は午後の四時だ。


 それにしても十歩は何故あんなにも回想を嫌がったのだろうか。別にいい思い出だったではないか。


「うっせー。青臭い自分とか、情に流される自分とか、見たくもねえんだっつーの」


 あーあ、嫌なもん見た。と呟いて、十歩はもう一度椅子に深く腰掛けた。どうやら今日は臨時休業日にするらしい。いいご身分なことだ。


「おー、俺はここの主人だからな」


 この男、本当にクズである。


「うるせー黙ってろ」


 その時、勢いよく入り口のドアが開かれた。


「ただいま、十歩さん」


「ただいまー」


「おう、おかえり、二人とも」


 言いながら十歩は、改めて双子の姿を見る。

 三年の月日を経てすっかり大きくなった二人は、制服を着る年になり、いつの間にか十歩の身長に迫りつつあった。


「何ですか、十歩さん。そんなじろじろ見て」


「そうだぞ十歩。気持ち悪いぞ」


「うるせえ、ガキども!」


 十歩が怒鳴りつけると、双子はいつも通りきゃらきゃらと笑いながら、自分たちの部屋へと戻っていった。それをじとっと睨みつけながら見送り、十歩はハァと息を吐く。


 だがまあ、こんな日々も悪くはないか。と霧島十歩は思うのであった。


「……うるせえぞ、そこの地の文」



第二話「霧島十歩の困窮」(完)

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