第二話 霧島十歩の困窮 ③

 飛んでいったボールを追い掛けていった秋月いちは、ふと蔵の方に人影があるのに気がついた。人影はいちに気付くと、そそくさとその場を立ち去っていった。


「どうしたの、姉さん。蔵に何かあった?」


「ううん、なんでもない」


 いちは十一に首を振った。


 時刻は昼下がり。蔵の近くにいた十歩を散々からかった後、お互いの服を元の通りに交換し合った秋月姉弟は庭の門の辺りで遊んでいた。


「見破られちゃったね」


「見破られちゃったね」


「悔しいね」


「悔しいね」


「何か仕返しをしてやろうか」


「いい考えだね、十一」


「仕返ししようか、いち」


「ふふふ」


「ふふふふ」


「ねえ、そこのお嬢ちゃんたち!」


 門の方から女性の声が響き、二人は振り返る。そこには体の線の出るワンピースを着て、大きなカメラを首から下げた一人の人物がいた。


「おばさん誰?」


「お客さん?」


 駆け寄った二人がそうやって尋ねてみると、彼女は頬を引きつらせた。


「おばさんじゃないのよー? お姉さんよー?」


 それはそれは恐ろしい形相で、それでも声は限りなく優しくそう言われ、双子は一気に縮こまった。


「ごめんなさい……」


「もう言いません……」


「うん、いい子」


 頭をぐしゃぐしゃと撫でられ、後ずさりながら二人は尋ねた。


「僕たちに何か用?」


「私たちに何か用?」


 カメラを持った女性はしゃがみこんで、二人に視線を合わせた。


「あのね、二人とも。――あなたたちのお母様が持っていたっていう幻の宝石について、ちょっと取材させてくれないかしら?」


「取材」


「取材」


 双子は顔を見合わせて、それからすぐに女性に向き直った。


「知らない人と話しちゃ駄目なんだよ」


「知らない人と話しちゃ駄目なのだわ」


 女性は苦笑しながら『そうね、その通りね』と言い、懐から名刺を取り出した。


「新聞記者の葉桜二子です。どうぞよろしく」





 霧島十歩は悩んでいた。


 江戸探偵から既に資料は貰った。現場も直接見た。これ以上は新しい情報を自分で見つけていくしかない。


 とはいえ調査対象は一年も前の事件だ。証拠など残っていないだろうし、もし当時はあった証拠でもとっくの昔に犯人に処分されてしまっているだろう。


 ならば自分はどこから調査を始めるべきか。


 犯行当時からほとんど劣化することなく、犯人も処分できないもの、それは――


「あ、才川さん。ちょうどいいところに」


「おや霧島さん、どうかされましたか」


「使用人の皆さんから証言を取りたいのですがよろしいでしょうか?」


 そう、人の噂だけはどれだけ経っても無くなることはない。


「ええ、構いませんよ。……とは言っても、現在このお屋敷で働いているのは私を含めて二人だけなのですがね」


「あれ、そうなんですか? たしか資料では使用人さんは三人いたと――」


「……それも含めてお話します。さあ、こちらへ」


 才川に案内されたのは使用人たちが使っている部屋だった。そこで待っていたのは五十代ぐらいの和装の女性だ。


「中谷真知子といいます。このお屋敷で女中をしております」


「霧島十歩です、探偵です。……一年前の事件のことについてお聞きしたいのですが」


 中谷は才川と目配せをして、十歩に頷いた。


「ろくさんのことですよね。存じ上げております」


「え? ろくさん……って今の奥様ですよね?」


「はい。ですがあの方は、一年前まではわたくしどもと同じ使用人だったのです」


 どういうことなのか、と視線で問うと、中谷は言いづらそうに語り出した。


「当時のろくさんはその……旦那様の不倫相手だったのでございます。二人の関係がいつから始まったのかは定かではありません。ただ、少なくとも前の奥様がご存命の頃からそういった関係だったことは間違いないとは思います」


「奥様があの事件で亡くなってからすぐに、ろくさんは旦那様と再婚なさいました。その手際があまりによかったので、わたくしども二人はろくさんが奥様を殺したのではないかと疑っているのです」


 なるほど、計画的犯行か。


 再婚相手だから一年前の事件には関係ないと思っていたがどうやらそうではないようだ。


「中谷さん、才川さん。それは警察には仰いましたか?」


「はい、言うには言ったのですが……」


「……ですが?」


「ろくさんにはアリバイがあるんです」


「出火当時、使用人三人は揃って夕食の準備中でしたから」


 そういえばそうだった、と十歩は思い返した。


『燃え方から推定された出火時間は午後五時ごろ。この時、主人の誠一さんは二人の子供たちと一緒に書斎にこもっていた。同居していた使用人三人も、ちょうど夕食の準備中で全員が全員のアリバイを証明している』


 江戸探偵の調べでは、こうなっていたはずだ。十歩はううんと考えて、一つの可能性に思い至った。


「痴情のもつれの可能性があるのなら――失礼ですが、誠一さんが犯人だってことは……」


 彼にもアリバイはあるが、疑わしさで言えばろくと同等のはずだ。しかし、才川は首を振って否定した。


「それなら今回探偵さんたちを呼んだ意味が分かりません。もし犯人だとするなら、自分で自分の犯行を暴くような真似をしていることになります」


「じゃああの探偵さんが怪しいのじゃないかしら?」


 中谷は突然そう言い出し、十歩はぎょっと彼女を見た。まさかあの事件に燃える熱い男が、そんなことをするはずがないと思ったのだ。中谷は声を潜めて、十歩に囁いた。


「実はですね。あの男、事件の時にやってきたんですが、調査と言って屋敷中を引っ掻き回していたんです」


「はあ」


「わたくしどもはそれが、奥様がご実家から持っていらしたというあの宝石を探していたんじゃないかと、そう思っているわけです」


「宝石……二百万円するというあの?」


「そう、その宝石です。どこから情報を仕入れたのかは分かりませんが、その可能性は十分にあると思います」


「なるほど、なるほど」


 十歩は、真新しい手帳(探偵になることを決めた時に買ったものだ)に、全ての情報を書きつけていった。


「……つまり全員に動機はあると」


 使用人二人は真剣な面持ちで頷いた。こんな疑心暗鬼の渦巻く中、一年もの間、働き続けたことに十歩は同情したが、同時に彼等にもまた容疑はかかっているのだと気を引き締めようとした。


「ご協力ありがとうございます。必ずや犯人を挙げてみせます」


「頼もしいです……!」


「どうぞよろしくお願いします……!」


 頭を下げる使用人二人に胸を張り、十歩はそのまま部屋を退出した。





「さて、と……」


 次に十歩がやってきたのは、誠一の自室であった。誠一の集めた情報を参考にしに来たのだ。


 誠一は部屋にいなかったため、十歩は堂々と部屋の真ん中にあった大机に、誠一たちから貰った資料を広げてみた。


 当時の報告書。現場の写真。そして、この屋敷の地図。


 十歩は資料に顔を近づけて穴が開くほどそれを見つめた後、少し引いて遠くから資料を見渡してみた。はたから見ればただの奇行である。


「うるせーぞ、カミサマー」


 間延びした声で十歩は『私』に語りかけてくる。どうやらかなり集中しているようだ。


「ん? ここの屋敷は鬼門に勝手口があるんだな」


 鬼門、つまりは北東のことだ。悪いものが入ってくる方角として知られているが、むしろ勝手口に鬼門を設置するのは良いものだと言われている。


「へー、そうなのかー」


 十歩は顔を資料から遠ざけ、目の間を揉んだ。堪え性のない男である。


「うっせえ」


 そう吐き捨てながら十歩は部屋の中を見回す。誠一の話によれば、彼が独自に調べた資料が置いてあるはずだ。


「ん、これは……?」


 それは一冊の分厚い本だった。本の表紙には何も書かれていないようだが、ぱらぱらと中身を見る限り、火事についての資料であるようだった。


「んー……」


 何かめぼしい情報はないかとページをめくっていく。すると、その本のとあるページに開き癖がついていることに十歩は気がついた。十歩はそのページに合った項目を読み上げた。


「……何だこれ? 燻焼……?」


 どうやって読むんだこれ、とぼやいたその時、勢いよく部屋の戸が開かれた。


「あー! パパの本を勝手に読んでるのだわー!」


「いーけないんだー! いけないんだー!」


 十歩は死ぬほど嫌そうな顔をして戸を振り返った。そこには案の定というかなんというか、獲物を見定めた様子の双子がにまにまと笑っていた。


「何の用だガキども……」


 眉間のしわを深くしながら、十歩は本を閉じた。双子は笑みを深めながら、十歩に近付いてくる。


「そんなに警戒しないでほしいのだわ」


「そうだよ、僕たちおじさんにお茶を持ってきただけだよ」


 ほら、と差し出されたお盆には確かに湯呑に入ったお茶が乗っている。十歩は疑わしそうに姉弟を見た。


「……まさかこの茶にいたずらしてるんじゃねえだろうな」


「そんなことするわけないじゃない!」


「そうだよ、おじさん僕たちを疑うの……?」


 涙目で縋り付かれてしまえば断ることもできず、十歩は渋々湯呑を手に取った。


「本当に何も入ってないだろうな」


「入れてないったら」


「慎重だなあおじさんは」


 鼻を近づけて先に匂いをかいでから、十歩はおそるおそる湯呑に口をつけた。


「……あれ、普通の茶だ」


「ほら、言ったじゃない」


「人の言うことは信用するものだよおじさん」


「……悪かったよ、疑って」


「分かればいいのだわ!」


「分かればいいんだよ!」


 ふん、と胸を張る双子をよそに十歩は茶を啜っていた。そんな十歩に双子は、今度はお盆に乗ったおまんじゅうを差し出した。


「おまんじゅうもあるのだわ」


「食べるといいよ」


「おう、ありがとな」


 すっかり警戒を解いた十歩は何の疑いもなく、そのおまんじゅうを口に運んだ。しかし、


「しょっぱ!」


 ごほごほとせき込み、慌てて茶を流し込む十歩に、双子はきゃらきゃらと喜び合った。


「引っかかった!」


「引っかかった!」


 涙目になった十歩はぐいっと茶を飲み干すと、湯呑を机に置き、喜び合っている二人の頭上に拳を振り上げた。


「痛っ!」


「痛っ!」


 ごんっと音を立てて拳骨が二人の頭に落とされる。


「殴られたー!」


「痛いのだわー!」


「パパに言ってやるー!」


「おじさんなんてすぐ解雇されちゃうんだからー!」


「うるせえ! クソ生意気なガキはぶん殴る! これが大人の仕事だ!」


 そう言ってふんぞり返る十歩に、双子は痛がるふりをやめて囁き合った。


「大変、十一。この人クズだわ」


「人でなしだね、最低だ」


「聞こえてんぞ、てめえら!」


 もう一発拳骨くらいてえか、と十歩がすごむと、二人はひゃあと声を上げて十歩から距離を取った!


「それから! 俺はおじさんじゃねえ! おにいさんだ!」


「えー、それは無理があるのだわー」


「おにいさんはないよねー」


「うるせえうるせえ! せめて十歩さんと呼べ! おじさんはやめろ!」


「はーい、十歩」


「分かったわ、十歩」


「呼び捨てにするんじゃねえ!」


 ひとしきり双子に雷を落とし終わった十歩は、ぜえぜえと乱れていた息を整えて、双子に視線を合わせた。


「なあ、お前ら。今俺たちは一年前の事件について調査してるんだが何か知らないか?」


 その途端、楽しそうだった双子は一気に表情を消した。


「事件……?」


「あれは事故じゃないの……?」


「あ、ああ、その可能性があるってんで、俺たちはお前らのパパに呼ばれたんだ」


 すると双子は静かに怒り出した。


「嘘だわ」


「だってパパは事故だって言ってたもん」


「だから可能性の話だって。……あの日のこと、ちょっと聞かせてくれないか」


 二人は不満そうな表情のまま顔を見合わせると、渋々といった様子で頷いた。


「あの日、私たちはパパにお勉強を見てもらっていたのだわ」


「勉強をはじめたのは四時ごろだよ」


「四時半ぐらいにあの女――ろくがおやつを持ってきたのだわ」


 そうか、こいつらにしてみれば、ろくの存在はかなり微妙なものになってくるのか。

 吐き捨てるように言う双子に、十歩は少しだけ眉を寄せた。


「火災が起こったのは五時ごろだそうなんだが、お前らその時間もパパと同じ部屋にいたのか?」


 二人は同時に頷いた。


「ええ、パパと一緒だったわ」


「うん、パパと一緒だったよ」


「それで五時二十分ぐらいに『火事だ!』って声が聞こえてきて」


「慌てて外に出てみたら蔵から煙が上がってて」


「火を消した後に中に入ってみたら」


「そうしたら中でママが……」


 双子は俯きながら絞り出すように言う。


「何が調査よ……」


「何だよ今更……」


 双子はがばりと顔を上げて十歩を見た。


「ねえ、十歩はカミサマの声が聞こえるんでしょ!」


「十歩は過去も未来も見えるんだろ!」


 その目には涙が溜まっていて、両手の拳も爪が食い込みそうなほど強く握りしめられていた。


「それが本当ならママの事件も解決してみせろよ、インチキ探偵―!」


「そうよ! それができないのなら十歩は嘘つきだわ!」


 しまった、と十歩は内心後悔していた。


 自分の親が死んだ日のことだなんて、子供に聞くにはあまりに酷な話題だったと今更になって気がついたのだ。


「……すまん。悪いこと聞いたな」


 殊勝な態度でそう呟くと、双子はぼろぼろと泣き出しながら、非力な手足で十歩を殴りつけはじめた。


「ううー……!」


「バカバカバカー!」


 わあわあ泣きながら暴行を加えてくる二人に抵抗もせず、十歩はそれを受け止め続けた。






「霧島さん」


「ああ、奥さん」


 泣きつかれた双子が、バカ! バーカ! と捨て台詞を吐いて、どこかに行ってしまった直後、誠一の妻――ろくが十歩の所にやってきた。


「すみません、あの子たちがご迷惑をおかけして」


「いえ、ひどいことを言ってしまった私が悪いので」


 二人がかんしゃくを起こしているのを聞いていたのだろう。ろくは悲しそうな顔をした。


「あの二人、すごくやんちゃなんですけど、昔はこうじゃなかったんです。きっと母親がいなくて寂しいだけだと思うんです。私が母親の代わりになれたらいいのだけど……」


「奥さん……」


 ろくは目に浮かびかけた涙を指で拭いながら、つとめて明るく十歩に笑いかけた。


「そうだ。探偵さんもお疲れでしょう? よろしければ休憩にお茶などいかがですか?」


「あ、はい。よろこんで」


 誘われるままに十歩はろくと、昼食を食べた部屋へと向かった。


 ろくに紅茶を淹れてもらい、席についた十歩は早々にこう切り出した。


「奥さん。あの、失礼なのですが、奥さんは以前このお屋敷の使用人だったんですよね……?」


「ええ。……ああ、そのことですか」


 ろくはすぐに合点がいったようで、十歩に語り始めた。


「皆さん、勘違いなさってるんですよ。確かに私は以前からこのお屋敷の使用人をしておりました。ですが、主人と恋愛関係になったのは前の奥様が亡くなってからなんです。私は不倫なんてしていません」


「そ、そうでしたか。これは失礼を」


「いえ、時期が時期でしたから。勘違いなさるのも仕方のないことです。……私としては誤解を解いて、いちや十一たちにも心を開いてもらいたいのですが……」


 そうして二人が話しはじめて十五分経った頃に事件は起きた。


「大変だ! 蔵が燃えてる!」


 庭から響いた叫び声に、十歩とろくは慌てて部屋を飛び出した。






 蔵の入口からは真っ黒な煙が漏れ出ていた。


 幸いにもまだ火は小さいようで、使用人たちの消火活動によってどんどん煙は収まっていった。

 十歩も消火活動に加わり、バケツを持って走り回る。


 やがて炎が消え、蔵の中にたまっていた煙もなくなった頃になって、十歩たちは炎の中心にあったそれを目にしたのだった。


「きゃああああ!」


 それは人間の焼死体だった。


 顔はすっかり焼けてしまっていて確認することはできなかった。しかし十歩たちにはその遺体が誰のものなのかすぐに分かった。わずかに燃え残ったこの和装は間違いなく――


「パパ……?」


 蔵の入口に立ちつくした双子が、呆然と呟いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る