第二話 霧島十歩の困窮 ②
霧島十歩は頬を引きつらせた。当時の十歩は22歳。まだ20歳を超えたばかりの若造である。そんな自分に対して、言うに事欠いて『おじさん』呼ばわりとは。
十歩は腰をかがめて二人に視線を合わせ、できる限り優しい声を作って訂正した。
「おじさんじゃなくて『お兄さん』だよ、坊ちゃんたち」
「えー、おじさんだよ」
「おじさんだわ」
ねー、と双子は顔を見合わせる。十歩は怒鳴り出しそうになるのを必死でこらえた。
「何者かしら」
「きっとパパが拾ってきた貧乏人だよ」
「可哀想だと思ったのね」
「お屋敷で働かせるのかな」
「でも無能そうだわ」
「大丈夫かな」
「学はなさそうだし」
「身なりも汚いし」
「家事はできなさそうだし」
「洗濯すら無理なんじゃない?」
「ねえ、おじさん。あなた何ができるの?」
「ねえ、おじさん。あんた何ができるの?」
駄目だ、駄目だ怒っちゃ。相手は依頼人の子供だぞ!
十歩は怒りを押し殺すために、拳を握って震えた。いわれのない中傷ならまだいい。自覚があるだけに余計に腹が立つ。
双子の父である誠一は眉をひそめて、二人を軽くたしなめた。
「こら、二人とも。この方は調査に来てくれた探偵さんだよ」
「探偵?」
「浮浪者の間違いじゃなくて?」
「このクソガキ……!」
ついに漏れてしまった言葉に、双子はびっくりした顔をした後、何が可笑しいのかきゃらきゃらと笑い出した。
「すみません、うちの子供たちが」
「い、いえいえ! 気にしていませんので!」
両手を前に出して、首をぶんぶんと横に振る。失言をしたのに逆に謝られてしまい、十歩は恐縮することしかできなかった。
誠一は置時計をちらりと見て、十歩に笑顔を向けた。
「とりあえず、一旦昼食にしませんか? 探偵さんもおなかが空いてらっしゃるでしょう?」
ちょうどその時、ぐう、と腹の虫が鳴いて十歩は赤面した。
二日ぶりの食事は、普段、干物と白米と漬物のみの生活を送っている十歩にとっては、信じられないほどのご馳走だった。
メニューはカレーだったのだが、具材の量が尋常ではない。人参、玉ねぎ、濃厚なルウ。こんなに大きく切られた肉なのに、ここまで柔らかいということは、この昼食のためだけに何時間も煮込まれたものだということだろう。
がっついてはいけない、がっついてはいけない、と自己暗示をかけながらも、十歩は猛烈な速さでスプーンを口に運んでいった。
仕方がない。十歩が栄養らしき栄養を摂取したのはウンか月ぶりなのだ。その場にいる全員が、その浅ましさに内心同情の目を向けていた。
「浅ましくて悪かったなカミサマ」
だから私はカミサマではないと言っているだろうに。
あっという間に大盛りのカレーを胃の中に入れると、十歩はふーと息を吐いて、口元をナプキンで拭った。
「お味はいかがでしたか、霧島さん」
「さ、最っ高でした! こんなに美味いカレーを食べるのなんて初めてです!」
「そうですか、それはよかった」
屋敷の主人である誠一は、穏やかに笑うと、昼食の席についている一同を見回した。
「それでは面識のない方もいらっしゃることですし、私から皆さんをご紹介させていただきますね」
異論がある者などいるはずもなく、一同はこくりと首肯した。
「まず、私は秋月誠一。この屋敷の主人です。こちらは妻の――最近再婚した妻の、秋月ろく」
誠一は近くに座っていた身なりのいい婦人を指した。まだ若い女性で、三十代前半、下手をすれば二十代にも見える。服装は落ち着いた色の和服で、身長は低かった。
「こっちの子供たちは、男の子が秋月十一、女の子の方は秋月いちと言います」
次いで誠一が指したのは、ろくの向かいに座っている二人の子供たち。先ほど十歩をからかってきた、十一といちだった。
「あの人ったら相当おなかが減っていたのね」
「犬食いするんじゃないかとヒヤヒヤしたよ」
「でもこぼさなかったのは点数が高いわ」
「食い散らかしたらあとで掃除が大変だもんね」
うるせえうるせえ……!
十歩が二人を睨みつけると、二人はひゃあと声を上げたあと、声を潜めて何事かを言いあい始めた。
「そちらの方は江戸正樹さん。前妻、ちひろの事故の時も調査に来ていただいた探偵さんです」
どうも、と軽く頭を下げてきたその男は、十歩を軽く睨みつけてきた。いや、睨みつけているのか、それとも元から仏頂面なのかは分からなかったが。
「そして、そちらの端に座っていらっしゃる方は、霧島十歩さん。江戸さんと同じ探偵さんです」
「どうも、霧島十歩です」
十歩が堂々とそう名乗ると、江戸探偵は仏頂面をさらに不機嫌そうにして、十歩を睨みつけた。
「お伝えした通り、探偵さんたちには、ちひろの死の真相について調査をしていただきます。調査の上で、必要であれば私たちに何でも仰ってください。――これまでの調査資料は、江戸さんが持っていらっしゃるので、霧島さんも共有なさってください」
十歩がちらりと視線を江戸に向けると、江戸は十歩のことなど視界にも入れていなかった。
「それでは探偵様方。調査の方、どうぞよろしくお願いいたします」
そうやって昼食が終わり十歩が江戸探偵の持っている資料を見に行こうとしたその時、屋敷の主人の誠一さんが十歩を呼び止めた。
「霧島さん」
「はい、何でしょう」
「こちらを」
誠一が手渡してきたのは一枚の地図だった。
「こちらはこの屋敷の地図です。広いので迷わないようにお気を付け下さい。ああ、線のように走っているのはガス管と電線です。それから、私の部屋――ここの丸で囲んである場所は自由に使っていただいて構いませんので」
「え、でも、大事なものとかがあるのでは――」
誠一は静かに首を横に振った。
「実は妻の死について、私なりに調べていまして、その資料が私の部屋にまとめてあるのです。どうぞご活用ください」
「そうですか、それでは遠慮なく」
十歩が受け取った地図をしまおうとしたその時、誠一はもう一枚、紙切れを十歩に差し出した。
「ああそれから、霧島さん」
「はい?」
「こちらを」
人目をはばかるようにして渡されたそれには、十二支の名前が円形に描かれ、丑と寅の間には鳥居のようなものが書いてある。その上、『子、巳、丑、酉』と円形の下にも書いてある。
「これは……何ですか?」
「すぐに分かりますよ」
にっこりと笑う誠一に、それ以上追及することもできず、十歩はこくこくと頷いた。
部屋を出た十歩を待っていたのは、相変わらず不機嫌そうな顔をした江戸探偵だった。
「なんだアンタ。何か俺に不満でもあんのか?」
十歩が低い位置からそうやって凄むと、江戸探偵は眉間にしわを刻んで答えた。
「無い。情報共有をするんだろう。さっさと始めよう」
そう言って、近くの部屋に入った江戸探偵は机の上に封筒に入った紙をばさりと広げた。
「事件があったのはこの屋敷の蔵だ。この方向に建っていて、蔵の入口はちょうど母屋からは死角になっている」
江戸探偵は地図の一か所を指した。十歩は警戒しながらもそれを覗き込んだ。
「当時、被害者のちひろさんは、この蔵にこもって調べものをすることが多かった。机や座布団、灯りを持ち込んでな」
写真には焼け焦げた文机と座布団が映っていた。
「しかしある日、蔵の中で火事が起きた。火はそれほど上がらなかったが、ちひろさんは一酸化炭素中毒で亡くなってしまったらしい。事件は、ちひろさんが持ち込んでいた明かりの蝋燭の火が座布団に引火した事故、ということで片付けられた」
江戸探偵は悔しそうに拳を机に叩きつけた。
「だが、俺は今でもあれが事故だとは思っていない。ちひろさんの無念は必ず俺が晴らしてみせる。お前ではなく、俺がな」
ぎろりと睨みつけてくる江戸探偵に、十歩は後ずさりながら呟いた。
「な、なんだお前、意外と熱い奴だな」
「ふん、なんとでも言え」
江戸探偵は鼻を鳴らし、広げていた資料をまとめて封筒にしまった。
「これは資料の写しだ。活用すればいい」
情報を共有した二人は、ひとまず事件のあった蔵へと向かうことにした。
この屋敷の蔵は正面の門の近くにある。白い壁にはほとんど傷はなく、一年前に火事があったことなど感じさせない佇まいであった。
「この蔵は建て替えたのか?」
「いや、事件のままだそうだ。警察に現場を保全するように言われてな」
「その割にはきれいだな」
「ボヤ程度の火事だったからな。……被害者は亡くなってしまったが」
二人は蔵の正面に立ち、閂を外してその中に入った。蔵の中は暗かったが、江戸探偵が電源をひねると天井に吊られた電球が光り、蔵全体をぼんやりと照らし出した。
蔵の中には一年も経ったというのに炭のような匂いがただよっていた。壁には本棚がびっしりと並び、和綴じ本がずらりと並んでいる。奥の方には焦げて朽ちかけた木箱が積まれ、おそらくその中には貴重な陶器などが入っていたであろうことが窺えた。
「だがもうすぐ取り壊すらしい。その前に最後の希望として俺たちが呼ばれたということだろう」
蔵の中身の残骸の中心には、同じく焼け焦げて今にも壊れそうな文机が、写真のままに残っていた。横には炭になった座布団もある。
「ここに被害者は倒れていた。おそらく一酸化炭素中毒で亡くなった後、服に火が点いたのだと思われる」
「……むごい死に方だな」
十歩がそうこぼすと、隣で江戸探偵も頷いた。
「現場はこんな感じだ。何か質問はあるか?」
「あ、ああ。じゃあ事件当時のアリバイを確認したいんだが」
「分かった。これを見てくれ」
江戸探偵は封筒の中から今度は一枚の表を取り出した。そこに記されていたのは当時この家にいた人々のアリバイだ。
「燃え方から推定された出火時間は午後五時ごろ。この時、主人の誠一さんは二人の子供たちと一緒に書斎にこもっていた。同居していた使用人三人も、ちょうど夕食の準備中で全員が全員のアリバイを証明している」
「出火時間はどうやって推定されたんだ?」
「燃え広がり方の規模だな。これは警察が推定したものだからほぼ間違いないと思う」
「なるほど……」
十歩は顎に手を置いて考え込んだ。確かのこの状況では、事故として処理されても仕方のない事案だ。だが、やはり消えた宝石というのが気になる。
「私が提供できる情報は多分これぐらいだ。他に何か聞いておきたいことはあるか?」
そう問われて、十歩はふと思いついた疑問を口に出してみた。
「なあ、一つ疑問なんだが」
「なんだ」
「どうしてここまで俺に協力してくれるんだ? 俺たちは商売敵だろう?」
当然の疑問ではあった。この事件に関して十歩が新たに呼ばれたということは江戸探偵が無能であるということを証明することに他ならない。だというのに何故、江戸探偵は十歩に情報協力をしてくれるのか。十歩はそれが不思議でならなかった。
江戸探偵はまっすぐに十歩を見下ろした。
「お前もここにいるということは才川さんのあの試験を突破してきたということだ。協力するのは本意ではないが、実力はあるということは認めよう」
「ふ、ふん、当然だ!」
鼻を鳴らす十歩に、江戸探偵はほんの少しだけ表情を緩めた。――とはいっても元が仏頂面なので、その差はほんとうに微々たるものであったのだが。
「それではここからは別々に調査を始めよう」
「おう、負けねえからな」
「その意気だな、若造探偵」
「誰が若造探偵だ!」
今にも江戸探偵に噛みつきそうな顔をしながら蔵の外に出ると、そこでは例の双子が十歩を待ち構えていた。
「あっチビの探偵だ」
「チビの探偵だわ」
「あ!?」
ドスの効いた声で反応すると、双子は十歩を指さしてさらに言った。
「だってお父様よりも小さいもの」
「だって才川さんよりも小さいもの」
そう、読者の皆様にはまだお知らせしていなかったのだが、何を隠そうこの霧島十歩。成人男性の平均身長より5センチほど身長が低いのだ。
たかが5センチ、されど5センチ。
流石に女性よりはほんの少しだけ高いが、ほとんどの男性に対しては下から覗きこむ形になってしまうのが、霧島十歩という男であった。
「てめえら、言わせておけば……!」
「あら、怒るのかしら」
「怒るみたいだよ姉さん」
「楽しみだわ、どうやって怒るのかしら」
「わくわくするね、どうやって怒るんだろう」
さらに怒りを煽ってくる双子に対して十歩は怒りを押さえこむのに必死だった。すさまじい形相で睨みつけてみれば、双子はまたきゃらきゃらと笑うのであった。
「ああこわい」
と、ズボンを履いたいちが言った。
「こわいわこわいわ」
と、スカートを履いた十一が言った。
十歩は斜め上の『私』をちらりと見上げた後、急に冷静になった様子で、二人の前にしゃがみこんだ。
「何、おじさん?」
「何かしら?」
「……お前ら、入れ替わってるだろ」
双子は一気に不機嫌そうな顔になった。
「なんで分かったの」
「自分たちでもどっちなのか分からなくなるのに」
そう、いちと十一は互いに服を交換して、喋り方も交換していたのだ。
見破られてムスッとする双子に正直胸がすく思いをしながら、十歩は鼻高々に答えてやった。
「実は俺には特殊能力があってな」
「特殊?」
「能力?」
十歩は双子だけに聞こえるように顔を寄せて小声で言った。
「――カミサマの声を聞くことができるんだよ」
二人はきょとんとした後、一度顔を見合わせ、また十歩を見て、同時に言った。
「嘘だ」
「嘘つきだ」
「嘘じゃねえよ。カミサマの気分次第では過去のことも未来のこともいくらだって知ることができるんだぞ」
双子は、今度は十歩を指さしてにんまり笑った。
「嘘つきー!」
「嘘つきー!」
「嘘つきは地獄に落ちるんだよー!」
「嘘つきは閻魔様に舌を抜かれるのだわ!」
うーそつき、うーそつき! と言いながら双子は十歩の周りをぐるぐる回る。十歩は苛立ちが抑えきれなくなってつい怒鳴ってしまった。
「うるせえ!」
すると双子は楽しそうにきゃらきゃらと笑いながらどこかへと逃げ去っていった。あとに残された十歩は肩を落として、大きくため息を吐いた。
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