第一話 霧島十歩の混乱 ⑥

 イヌの捜索、二日目。秋月いちは招き猫を抱えて壁にもたれかかり、秋月十一もその隣で壁に体を預けて片足をぶらつかせていた。


 日曜日だったため、早朝から駆り出された秋月姉弟は、午前中いっぱい使っても手がかり一つ見つからないことに苛立ち始めていたのだ。


「見つからないわねえ」


「見つからないなあ」


「手がかりもないなんておかしいわ」


「まるで手がかりを片っ端から潰されてるみたいだ」


「本当にイヌはいるのかしら」


「ここまでくると、イヌの実在を疑ってみるべきじゃないか?」


「いや、昨日確かにイヌは私たちの前に現れたわよ」


「いや、あれは俺たちが見た幻覚なのかもしれないだろう」


「実在してたわ」


「いいや、幻覚だね」


「実在」


「幻覚」


「実在!」


「幻覚!」


「なーにさぼってんだお前ら」


 喧々囂々と言いあう二人の間に現れたのは、二人の雇い主の霧島十歩だ。十歩はげんこつを二人の頭の上に乗せてぐりぐりと押し付けた。


「猫のイヌを探せって言ってんだろうが!」


「痛い痛い!」


「痛いです、十歩さんー!」


 双子は頭を押さえて、十歩の攻撃から逃れた。


「なんでお前らはこう俺の仕事の邪魔ばっかりするんだ」


 二人は揃って首を傾げた。


「邪魔?」

「邪魔?」


「なんだ。何か文句でもあんのか」


 秋月姉弟は目配せをした後、唇を尖らせて主張した。


「心外だわ、十歩さん」

「お前よりは働いてるぞ、十歩」


「ああん?」


 十歩が凄んでみても、秋月姉弟にはまるで効いていないようだ。これはもう、普段の行いのせいというやつだろう。


「黙ってろ、地の文!」


 秋月いちはため息をついた。


「もう、また地の文さんに八つ当たりをして」


 秋月十一もため息をついた。


「また幻覚を見てるのか十歩は」


「うるせーッ!」


 腕を振り上げる十歩に、秋月姉弟はきゃらきゃらと笑って逃げていった。


 そうやって騒々しく歩いていくと、進行方向に人垣ができていることに三人は気がついた。


「……なんだ?」


 人垣をかきわけて進んでみると、そこでは即席で作られた柵の向こう側に制服に身を包んだ警察官たちが行き交っていた。

 十歩はその中に見知った顔を見つけて、柵を乗り越えて駆け寄った。


「篠田警部!」


「ああなんだ、霧島十歩か」


 篠田警部は振り返り、頭一つ分は下にある霧島十歩を睨みつけた。


「……何かあったんです? もしかして事件ですか?」


 十歩が辺りを見回しながら尋ねると、いかにも不機嫌そうに眉を寄せながら、篠田警部は答えた。


「殺しだ。最近起きてる連続殺人事件だな」


「ああ、例の……」


「なんだ、知ってたのか」


「ええまあ、こっちのツテでちょっと」


 へへ、と十歩が笑うと、篠田警部は眉間のしわを深くし、どこから漏れたんだ、と小さく呟いた。十歩はそんな様子に構わず、篠田警部にすり寄った。


「それで――ホシの目星はついてるんですか?」


「教えるわけないんだろう。こっちは警察だぞ」


「ですよねー……」


「ほら、俺たちは忙しいんだ。帰れ帰れ!」


 犬猫を追い払うように手を払われてしまえば、すごすごと立ち去るしかない。

 しかしそこで諦めないのが霧島十歩という男であった。


「隠されれば見たくなる。それが人間の性ってもんだよな」


「十歩さん?」


「おい、ガキども。ちょっと帽子と上着持ってろ」


 そう言うと十歩は、十一に着ていた探偵然とした上着を押し付け、いちの抱えた招き猫に鹿撃帽を被せて、警察官たちの中に潜り込んでいった。


 柵の奥に入っていくと、そこでは現場検証の真っ最中だった。


「ガイシャの名前は原祐樹、65歳。一人暮らしの男性で、隣近所とのいさかいなどはなかったようです」


「これまでの事件との共通点は鋭い刃物のようなもので背後から一突きされて殺されていること。家が荒らされていること。それから、全ての家で猫を飼っていたことです」


「今回も屋内飼いしていた猫が行方不明になっています」


「これまでの事件では、同日、猫の死骸が近隣の公園に放置されていました」


 捜査員は机の上に、猫の死骸の写真二枚を置いた。十歩はさりげなくそれを拝借し、懐に入れた。


「何かのメッセージでしょうか? それか猫関連のトラブルとか……」


「可能性はあるな。犯人は相当の猫嫌いなのかもしれない」


「そういえばガイシャの飼っていた猫は純血種のアメリカンショートヘアで――」


「霧島十歩」


 背後から響いた重低音に十歩がそっと振り向くと、そこには篠田警部が鬼のような形相で立っていた。


「何をやってるんだ貴様」


「えへへ、篠田警部、これにはふかーい事情が……」


 言い訳をしようとした十歩の首根っこを篠田警部は引っ掴み、現場の外へと放り出した。


「帰れ!」


「す、すんませんー!」





「情けないですね十歩さん」


「法外な手段なんて取るからだぞ十歩」


「うるせえな、黙ってろよガキども」


「――あれ? 探偵さん?」


 帽子をかぶり、上着を着て、賑やかに現場を立ち去ろうとしていた十歩たちの前に現れたのは、昨日にも会ったジャーナリストの葉桜二子であった。


「奇遇ですね。何かの事件ですか?」


「あー、俺たちは別件なんですが、あっちでは事件があったそうですよ」


「ほう! その辺り詳しく聞かせていただいても!?」


「え、ええ。構いませんが」


 二子の勢いに若干引きながらも、十歩は頷いた。


「また連続殺人事件だそうですよ。警察が来ていました」


「おお、やはりですか。被害者の名前とか……分かりませんかね?」


「あー被害者の名前? 確か、原祐樹、とかいったかな」


「ふむふむ、原祐樹、と。第一の被害者が大脇徹、第二の被害者が宮本博なので、これで三人目ですね……。情報ありがとうございます!」


 二子はさらに二つ三つ十歩に質問をすると、それで満足したのか、大きく手を振って慌ただしく事件現場の方に去っていった。


「元気な方でしたね」


「騒々しい人だったな」


「調査するのは楽だが、調査されるのは存外疲れるもんだな……」


 十歩はぐったりと肩を落としながら、いちは招き猫を抱えながら、十一は十歩の顔を覗き込みながら、三人は依頼人――富士省吾の自宅へと向かっていた。


「しかし関わるなと言われるとやはり関わりたくなる……」


「だめですよ十歩さん、私たちは猫のイヌを見つけなきゃいけないんじゃないですか」


「そうだぞ、十歩。猫のイヌを捕まえないと報酬は無しなんだからな」


「分―かってるよ、んなこたあ!」


 にゃーん。


 十歩の叫びに答えるように響いた鳴き声に一行が目を向けると、そこには一匹のアメリカンショートヘアが座り込んでいた。


「あーっ! イヌ!!」


 十歩の大声に驚いたイヌはびくっとして立ち上がり、今にも走り出しそうな姿勢でこちらを窺い始めた。


「待て、この!」


 十歩が足音も荒く襲い掛かると、当然ながらイヌは立ち上がりかけた勢いのまま駆け出した。


「逃がさない」


 その進行方向にいたのは秋月いちだ。いちは招き猫を弟に押し付けると、鞄から何かを取り出した。

 猛烈な勢いで駆け抜けようとしていたイヌは、それを見つけると急停止して、それに飛びついた。


「作戦通りね」


「作戦通りだね」


 イヌが飛びついたのはいちの持っている猫じゃらしだった。イヌは猫じゃらしを甘噛みしながら地面を転がりまわっている。


「押してダメなら引いてみな、ですよ」


「ごり押しじゃだめってことだな、十歩」


「ぐうううう」


 いちは楽しそうに遊ぶイヌを抱え上げると、とんとんと揺らしてあやした。


「よしよし、いいこいいこ」


 にゃーん。


「にゃーん」

「にゃーん」


 共鳴するように双子も鳴き声の真似をする。十歩は二人に歩み寄り、ふと何かに気がついた。


「ん? 首輪に何か挟まってるぞ?」


 それは一枚のメモだった。十歩は注意深くそれを開くと、中に書いてあった文字列を読み上げた。


「ええと、なになに? ――『カタネ・(タ)オマ・イタサ』?」





「捕まえましたよ、富士さん! イヌです!」


 連れ帰ったイヌを手渡すと、依頼人――富士省吾は喜色満面といった様子でそれを受け取った。


「おお! ありがとうございます! 何とお礼を申し上げたらいいやら」


「いえいえ、これが仕事ですから」


 ははは、と謙遜して笑う十歩の陰で、秋月姉弟はひそひそと言い合った。


「捕まえたのは私たちなのにね」

「手柄を横取りするなんてひどいな」


「黙れー、そこの双子―」


 三人の掛け合いに省吾は微笑ましそうに声を出して笑った。十歩はふと思い出して、ポケットを漁った。


「あっ、それからですね、イヌの首輪にこんなものが挟まっていたんですが、心当たりあります?」


 十歩が取り出したのは九文字のカタカナが書かれた、あの謎の紙切れだった。省吾はそれを見た途端顔色を変え、抱いていたイヌを取り落して、十歩の手からそれを奪い去った。


「え?」

「あっ」


 床に落ちたイヌが走り去っていく。十歩と省吾は見つめ合った。


「どうかしたんですか、省吾さん」

「い、いえ、なんでも……」


 省吾は目を泳がせる。十歩はさらに追及した。


「……何かやましいことでもあるんですか?」


 しばらくの間省吾は沈黙していたが、やがて観念したのか、ポケットの中から一枚の紙切れを取り出した。


「実は自分も同じものを持っているんです」


 何度も折りたたまれたそれには『フシタ・タヤル・ナタイ』とだけ書かれていた。


「自分にはこれが何語なのか分からないのですが……」


「ふむ、五か国語をおさめている私にも分かりませんな……」


 ちなみに五か国語をおさめているというのは大嘘である。それどころか日本語すら怪しいのが霧島十歩という男なのだ。


「うるせえ黙ってろ、地の文!」


 虚空に向かってがるるると歯をむき出して十歩は威嚇した。


「探偵さん?」


「ああ、いえ。何でもありません。お話の続きをどうぞ」


 十歩は笑顔を作り、省吾へと向けた。省吾は戸惑いながらも頷いた。


「あ、はい。ええと、それでですね。実はここには父の遺産の在処が書いてあるらしいのです」


「遺産、ですか」


「はい。私の父は一か月ほど前に亡くなったのですが、死ぬ前に財産のほとんどをどこかに隠してしまっていたんです。私に残された手がかりは、飼っていた三匹の猫だけ。それで私はイヌを探して……」


「そうだったんですね……」


 十歩はもっともらしく頷いた。すると、省吾は勢いよく十歩に頭を下げた。


「お願いです、探偵さん! この暗号を解くのを手伝ってはもらえませんか!」


「暗号をですか……しかしそういったものは私の専門外でして……」


「もちろん報酬は弾みます!」


 省吾の言葉に、十歩はにやにやと嫌らしい笑みを浮かべた。


「……へへ、ちなみにおいくらほどで?」


「そうですね、猫探しのお礼の倍は出しましょう! 足りなければもう十円上乗せします!」


 それを聞くと、十歩は上機嫌になって手を揉んだ。


「おお! そうですか! げへへ、そうですか!」


 十歩は下品な笑顔を浮かべたまま、省吾に対して堂々と胸を張った。


「ご安心ください省吾さん! この名探偵、霧島十歩にお任せあれ!」


 こうして十歩たちは富士家の遺産を探し始めた。


 しかし二枚のメモ書き以外の手がかりはなく、調査はすぐに暗礁に乗り上げてしまうのであった。

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