第一話 霧島十歩の混乱 ⑤

 南青山の高級住宅街を、十歩たちは行く。先頭は依頼人の富士省吾。続いて面倒そうに歩くのは霧島十歩。その後ろを楽しそうについていくのが秋月姉弟だ。


「富士さんはこの辺りにお住まいなんですか?」


「ここってかなりのお金持ちの街ですよね?」


 子供二人からの遠慮のない質問に、省吾は苦笑で返した。


「そうだね、一応はそうなるかな」


 頬を掻きながらのその言葉に、二人は顔を近づけてひそひそと囁き合った。


「金づるだわ」


「金づるだね」


「ん、何か言ったかい?」


「なんにも言ってないですよ」


「ええ、なんにも」


 腕に抱えた招き猫をぎゅっと抱きしめながら、いちはうふふと笑った。十一も口元を隠してふふふと笑う。


「でも最近、野良猫が殺される事件が何件かあったから心配ですよね」


「……そうなのか?」


 ムスッとしたままついてきていた十歩が顔を上げる。


「はい。内臓まで切り開かれて、ひどい有様だったらしいですよ」


「へー」


 興味なさそうに十歩は答えた。どうやら本当にやる気がないようだ。しかし、不意に何かに気付いたようで十歩は顎に手を置いた。


「待てよ、高級住宅街、金持ち、金づる……?」


 そうやってぶつぶつと呟いた後、十歩は下から覗きこむように省吾の顔を窺った。


「ところでぇ……聞き忘れていたんですが、省吾さん。猫探しの報酬はいかほどになるんですかね?」


「え? ええと、八十円ぐらいでどうでしょう? 足りませんかね?」


「は、八十円!?」


 このころの一円は今でいう三千円相当の額である。つまり十歩に提示された額は二十四万円ぐらいのものだと読者の皆様には理解していただきたい。


「へっへへ、そうならそうと早く言ってくださいよ、旦那ぁ。この霧島十歩、全身全霊をかけて猫ちゃんを見つけてみせますよ!」


 秋月いちは目をぱちくりさせ、秋月十一はぱちぱちと手を叩いた。


「十歩さんったら、綺麗な手の平返しだわ」


「本当にクズだな十歩は」


「うるせえぞ、そこの双子―」


 振り向かないまま、十歩が言う。双子はそんな十歩の背中に声を投げかけた。


「というか報酬のことに今まで気付いてなかったんですね」


「愚鈍そのものだな」


「うるせえ!」


 十歩は振り返って双子を怒鳴りつけた。双子はそれが面白いようで、きゃらきゃらと笑いあった。


「はは、賑やかでいいですね」


「……そうですかあ? うるさいだけですよ」


「いやいや、子供というのはそこにいるだけで周囲に幸せを振りまくものですから」


 ははは、と笑ってみせてから、省吾はふっと遠い目をした。


「実は……お恥ずかしい話、先日妻に逃げられまして。子供たちもみんな妻についていってしまって、もう寂しくて寂しくて」


「おや、そうだったんですね……」


 しんみりとした空気が場に流れる。楽しい道中が、一気にお通夜のようだ。その雰囲気に耐えきれずに秋月姉弟が声を上げようとしたその時、聞き覚えのある声が前方からかけられた。


「あれ? 探偵さん、奇遇ですね!」


 そこに立っていたのは、カメラを首からぶら下げた女性だった。いかにも職業婦人といった出で立ちで、秋月いちは、おお、かっこいい、と感嘆の声を上げた。


「あー、あなたは確か……密室殺人事件の時の葉桜二子さん?」


「はい、二子です。あの時はどうもお世話になりました!」


「いえいえ、そちらも大変でしたね。まさかお友達が犯人だなんて」


 深々と頭を下げる二子に、十歩もつられて頭を下げる。


「探偵さんは今日もお仕事でこちらに?」


「ええまあ」


 二子は少し考える素振りを見せた後、曖昧な表情をしている十歩に顔を寄せた。


「もしかして――最近起きた連続殺人事件の捜査ですか?」


「れ、連続殺人事件?」


「あら、ご存じなかったんですか」


 しまった、といった表情で、二子は口を押さえた。秋月姉弟は顔を見合わせて、囁き合った。


「連続殺人だって」


「推理小説みたいだ」


 無邪気に喜びあう子供たちをよそに、十歩はいつもよりは幾分か真剣な顔で二子に尋ねた。


「連続殺人が起きているんですか」


 二子はううんと躊躇った後、諦めたように肩を落とした。


「……これはまだ報道関係者にしか知らされていない内容なので、ここだけの話なんですがね。この南青山の近辺で、二件の殺人事件が起きているんです」


「この近辺でですか」


「はい。二件の殺害の手口が似通っているので、警察は連続殺人事件を疑っているんですよ。流石に具体的なことまではお教えできないんですが」


「ああ、いえいえ、それ以上首を突っ込むつもりもありませんので、お気になさらず」


 首を振る十歩に、双子はひそひそと言い合った。


「十歩さんって性根はクズだけど、敬語とかはちゃんと使えるよね」


「クズはクズなりに考えて世渡りしてるんじゃない? 知らないけど」


「……そこの馬鹿ども、あとでお説教な」


 ええー! と不満の声を上げる秋月姉弟を十歩は睨みつけた。そんな秋月姉弟に、二子は急に顔を近づけて、まじまじと二人を見つめ始めた。


「んんー?」


「なんですか?」


「なにか用ですか?」


「何だ。いち、十一。お前ら何かやらかしたのか」


 十歩のその言葉に、二子は目を輝かせて双子に詰め寄った。


「やっぱり! この前会った時からもしかしてって思ってたけど、秋月いちちゃんと、十一くんよね?」


「はい……」


「そうだけど……」


「久しぶりね! ほら、三年前の。覚えてない?」


 秋月姉弟は揃って首を横に振った。心当たりは無いようだ。二子はがっくり肩を落とした。


「そうねえ、子供の三年って大きいものねえ。お姉さん、寂しいわあ」


 明らかに落胆した様子の二子に、秋月姉弟は何か声をかけるべきかと悩んだが、二人が口を開く前に、二子はがばっと顔を上げた。


「……っと、お仕事の邪魔しちゃってごめんなさいね。私はこれで!」


 二子はたたっと数歩駆け出し、振り返って十歩たちに手を振った。


「また会いましょうね、秋月ちゃんたちー!」


 軽やかな足取りで去っていった二子を、十歩たちは呆然と見送った。


「嵐のような人でしたね……」


 ぼんやりと呟かれた省吾の言葉に、一同は大きく頷いて同意した。





「それにしてもイヌはどこに行ってしまったのやら」


「イヌちゃん、あんなにきれいな猫なのに見つからないものなんですねえ」


 しみじみと話しあいながら十歩と省吾は歩いていく。その後ろには招き猫を抱えたいちと十一が続いている。


「イヌちゃんの特徴とかないんです? ほら、こんな柄があるとか」


「そうですね……特徴というほどのものではないんですが、あの子の背には黒い円のような模様があるんです」


「円、ですか」


「はい。ほら、ちょうどあんな感じの……」


 省吾が指さした先には一匹の猫がいた。猫は塀の上に行儀よく座って、こちらを見つめている。


 にゃーん。


 鳴き声を聞いた省吾はわなわなと震えだし、その猫を勢いよく指さした。


「ああああ! イヌです! あの子です! あの子を探してたんです!」


「ええっ! あの子が!?」


 大声に驚いたのか、イヌは立ち上がり、塀を伝って逃げ出した。


「こら待て、イヌ!」


 首輪につけられた鈴がちりんちりんと鳴り、イヌはどんどん遠ざかっていく。息を切らしながら十歩がそれを追い掛けていると、その横を猛烈な勢いで省吾が駆け抜けていった。


「速っ!?」


 省吾とイヌはしばらく行った先の角を曲がり、あっという間に見えなくなってしまう。十歩もぜえぜえと息をしながら、角を曲がってみると、そこには省吾が悔しそうな顔をして立っていた。


「逃げられてしまいました……」


「そうですか……。ところで省吾さん」


「はい?」


「これ、私は要らなかったのでは?」


 省吾は渋い顔をした後に、「し、四六時中、探し回るわけにもいかないので」と答えた。

 十歩はいまだに乱れている息を整えながら、肩を落とした。





「一旦、家に行って、お茶でも召し上がっていきません?」


 そう言う省吾の好意に甘えて、十歩たちは省吾の自宅へとやってきていた。


 通されたのは洋室の応接間で、普段であれば絶対に体験することのないふかふかのソファの感触を十歩たちは楽しんでいた。


「お茶の用意ができました」


「おお、ありがとうございます」


 しずしずと現れた一人の女中が、十歩たちの前に紅茶の入ったティーカップを置く。秋月十一は角砂糖を一個入れてから、秋月いちは何も入れないまま、カップのふちに口をつけた。


「女中さん、女中さん」


「はい、何でしょう」


 十歩の呼びかけに、女中は腰を折って顔を近づけてきた。


「私たち、猫を探しているんですがね、写真以外の情報ってありませんかね。どこを縄張りにしていた、とか」


「情報ですか……そうですねえ……」


 女中は少し考えた後、「ちょっと待っててくださいね」と言い残して部屋を出た後、五分も経たずに戻ってきた。


「実は先代の旦那様が飼っていた猫は三匹いたんです」


 彼女が十歩に手渡したのは三枚の写真だった。


「一匹は探偵さんが探していらっしゃるアメリカンショートヘアのイヌ。それから、すらっとした黒猫のギョーブ。最後に真ん丸に太った赤茶色のガミ」


「随分変わった名前ですね」


「でしょう? イヌはともかくとして、残りの二つは何語なのかしら」


「きっとフランス語か何かでしょう。響きがそれらしいですから」


「あら、お詳しいんですね」


「はっはっは、これくらい当然の教養というやつですよ」


 適当なことを抜かす十歩に、女中は素直に感嘆しているようだった。


「適当なこととは何だ、適当なこととは」


「探偵さん?」


「い、いえ、なんでもありません。お話の続きをどうぞ」


「はい……。この三匹の猫は放し飼いでして、それぞれよく遊びに行っている家があったらしいんです」


「ほう、それでその家というのは?」


「いいえ、そこまでは。先代の旦那様は把握しておられたようですが、それ以外の人間には教えて下さらなかったので……」


「そうですか……。女中さん、ご協力ありがとうございます」


「いえいえ、これが仕事ですから」


 女中は立ち上がると、一礼して部屋から出ていった。


「ほら、お前ら。茶は飲み終わったか? もう行くぞ」


「ええっ、待ってください、十歩さん」


「もうちょっとだから!」


 双子は慌てて紅茶の残りを流し込んだ。そうして三人は応接間を出て、ちょうどやってきていた省吾と鉢合わせた。


「省吾さん、それでは我々は捜索を続けます。成果があってもなくても、また明日こちらに伺いますね」


「えっ、ああ、はい。よろしくお願いします」


 屋敷から出ると、十歩は天に向かって拳を突き上げた。


「さあ、やるぞ、ガキども!」


「はーいっ!」


「ええー……」



 それから十歩たちは屋敷の周辺を探し回った。生垣をかき分け、隣家の庭を覗きこみ、犬に吠えられ、カラスに威嚇された。

 しかし、やはりというかなんというか、日暮れ過ぎまで行われた捜索の成果は芳しくないものであった。

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