第一話 霧島十歩の混乱 ④

「す、すごい所ですね……」


「よく言われます」


 依頼人は、散乱する書類の束に口の端を引きつらせた。その隣ではいたって冷静な様子で秋月姉弟が立っている。


「でも腕は一級なんですよ?」


 いちがそう言うと、十一が即座に反論した。


「いや一級じゃないだろ」


 すると、いちはムッとした顔になってさらに反論した。


「一級なのよ」

「いいや三流だね」

「一級よ」

「三流だ」

「一級!」

「三流!」

「まあまあ喧嘩しないで」


 客人なのに何故か喧嘩の仲裁をやらされ、依頼人の男は、とんでもないところに来てしまったという思いでいっぱいだった。


「失礼しました」

「失礼しました」

「こちらです。どうぞお座りください」


 秋月いちに促されるままに、訪問者は来客用のソファに座ろうとし――ぴたりと立ち止まった。


「どうかされましたか?」

「何かお困りで?」


 姉弟が訪問者の顔を覗き込む。訪問者は困惑しきった顔で、ソファを指さした。


「あの……招き猫が……」


 邪魔なんですが――と言葉尻をすぼめて、訪問者は主張する。来客用のソファの上には、先ほど双子が机の上から退かした招き猫が鎮座していた。


 双子は目配せをしたあと、こう言った。


「どうぞ抱いて座ってください」


「ネコが抱けるのは当事務所ならではのサービスです」


「え、ええー……?」


 真顔で適当なことを言う双子に、訪問者は困惑を深めた。しかし、二人に見つめられてしまえば断ることもできず、訪問者は膝の上に招き猫を抱いて、ソファに座る羽目になった。


「お客さんですよ、どうしますか十歩さん」


「あー、俺は寝る。お前らで適当に聞いといてくれ」


「クズ人間、ここに極まれりだな」


「もう、そんな言い方しないの。確かに十歩さんはクズだけど」


「聞こえてんぞ、お前らぁ!」


 きゃあきゃあと声を上げながら、双子は依頼人の前に戻ってきた。そうしてからスッと真面目な顔を作ると、それぞれ給湯室と戸棚に分かれ、お茶とお菓子を持って戻ってきた。


「粗茶ですが」


「あ、ありがとうございます……」


「それで、どのようなご依頼なのでしょうか」


 真面目に尋ねてくる秋月十一の視線に正気を取り戻した依頼人は、胸ポケットから名刺を取り出した。


「私の名前は富士省吾といいます。お願いしたいのは――猫探しなんです」


 受け取った名刺を興味深そうに裏返していた二人は、それを聞いた途端、顔を見合わせた。


「猫」


「猫だって」


 二人の視線が省吾の膝の上の招き猫に注がれる。にゃーん、という鳴き声が聞こえた気がした。そんな二人の視線を遮るように、省吾は懐から一枚の写真を取り出した。


「この子です」


 写真に写っていたのは灰色と黒の虎模様をした上品そうな猫だ。いかにも純血種、といった佇まいのある猫だった。


「品種はアメリカンショートヘア。名前はイヌといいます」


「イヌ?」


「猫なんですよね?」


「はい。猫なんですがイヌなんです」


 名前の由来は私も知らないんですが、と言いながら頬を掻き、省吾は話を続けた。


「実は父が飼っていた猫なんですが、父の死と同時に逃げ出してしまいまして……方々手は尽くしているのですが、どうしても見つからず、探偵さんのお力をお借りしたいと思って来た次第です」


 秋月姉弟は大きく頷いてみせてから、ソファの背もたれに思いきりもたれかかり、書類の山の向こう側にいる霧島十歩に声を投げかけた。


「だそうです、十歩さん」


「この依頼、受けるのか、受けないのか?」


 すると紙の山の向こう側からは、不機嫌そうな声が返ってきた。


「あ? そんなチンケな依頼、この霧島十歩に合うわけないだろうが。答えは当然――」


 霧島十歩は快くこの依頼を受けた。


「ハァ?」


「お受けくださるんですね、ありがとうございます!」


「ち、ちょっと待て待て! 俺はまだ何も……」


 霧島十歩は快くこの依頼を受けた。


「ああ、助かります! お礼は必ずいたしますので!」


「だーかーら! 俺は何も言って……」


 霧島十歩は快くこの依頼を受けた。


「――テメェか! 地の文! 余計なことをしやがって!! 降りてこい! ぶん殴ってやる!」


「はい? 地の文? 何のことです?」


 霧島十歩は快くこの依頼を受けた。

 霧島十歩は快くこの依頼を受けた。

 霧島十歩は快くこの依頼を受けた。


「や、やめろやめろ! 頭がおかしくなりそうだ!」


 霧島、十歩は、快く、この依頼を、受けた。

 受けたのだ。


「分かった! 分かったよ、うるせえな! やりゃあいいんだろ、やりゃあ!」


 霧島十歩は雄たけびを上げながら、依頼を受けることに了承した。


 ――この時はまだ、この依頼があんな大きな事件につながるだなんて我々の内の誰も、予想していなかったのである。




「あのう……、探偵さんはどうされたので?」


「気にしないでください」


「いつものことなので」

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