第一話 霧島十歩の混乱 ②
話は遡って事件が起こる数時間前。
パーティの参加者たちは大部屋で食事をしていた。
メニューは前菜、スープ、ビフテキ、ワイン。気取った洋食のフルコースだ。食器は当然、銀食器で、部屋の隅には女中も控えている。この屋敷の持ち主の戸田家は、出は平民だが財を成して中流階級に上り詰めた家柄なのだ。
それ故、同級生四人は同じ尋常小学校に通っていた。しかしその財力の差から、その後の未来は大きく分かれていくことになった。
被害者、戸田久助は高等師範学校を出て、中等学校の教諭になっていた。
等々力七海は戸田家と同様に中流階級の出だったために、自分から働きに出ることはなく、花嫁修業のために女学校に通わされていた。
葉桜二子は学費が払えなくなったために女学校を中退し、ジャーナリストを志して新聞社で働くようになった。
宇田明夜は尋常小学校を出た後は進学せず、すぐに工場で働きだした。
四人の道は大きく分かたれることにはなったが、四人の友情は無くなることはなく、こうして一同に会しているのであった。
「いやあ、まさか久助と七海ちゃんが結婚するとは」
「俺もまさかオーケーを貰えるとは思っていなかったよ」
「私も、すっかり行き遅れちゃったからそんな久助くんからお話を貰えるとは思っていなかったわ」
ほら、私あんまりおしとやかな方じゃないから、なかなかお相手が決まらなくて。
そう小声でこぼす七海に、周囲は「確かに」と笑いあった。
ただ一人、久助だけは少し俯いて小さく呟いた。
「……そうだと分かってたらもっと早くにアプローチをかけてたんだけどな」
「え?」
久助の弟、克己はニヤニヤしながら七海に体を向けた。
「知らないのか? 久助兄さんは七海さんと結婚したくて色々な見合い話を断ってきたんだぜ?」
「えっ、そうなの?」
「ええと、まあ……」
「あらあらうふふ」
和やかな会話が続き、そのまま食事は終わるかと思われたが、ふと被害者の久助は口元に手を当てて呻いたのだった。
「悪い、なんか気分悪くなってきた」
「え、大丈夫かよ」
「久助さん、あまり無理はしないでね」
「……ああうん、そうだな。俺は部屋に戻らせてもらうよ」
久助が立ち上がったところで、残された面々は顔を見合わせた。
「俺たちはどうする?」
「パーティの主役がいないのに続けるのもねえ」
顔色の悪い久助は、それでも首を横に振った。
「いやいや、お前たちだけでも楽しんでくれ。折角の同窓会なんだ」
残された面々は渋々と頷いた。よろよろと扉に向かう久助に、宇田明夜は声をかけた。
「久助! ちゃんと水でも飲んで休むんだぞ!」
回想終わり。
「なるほど、そういうことか!」
霧島十歩は指をパチンと鳴らして頷いた。しゃがんで黙り込んでいた十歩を、左右から双子が覗きこむ。
「分かったんですね、十歩さん!」
「妄想もほどほどにしろよ、十歩」
「妄想じゃないったら」
「妄想だよ」
「妄想じゃない!」
「妄想だ!」
「シャラップ! 黙ってろ、お前ら!」
十歩は立ち上がると、篠田警部のところへと駆けていった。
「警部! 謎は全て解けました!」
「は? またか霧島十歩」
「へへ、またですぅ篠田警部」
長身の篠田警部を下から覗き上げ、十歩は手を揉みながら擦り寄った。篠田警部は頭痛をこらえるように目の間を揉んだ。
「貴様の推理は当たるか外れるか半々だからな……」
「へへへ、申し訳ありません。でも今日は間違いないので!」
篠田警部は十歩をぎろりと睨み下ろしたあと、腕組みをして「話してみろ」と言った。十歩は腰を九十度に曲げ、「ありがとうございます!」と叫んだあと、途端に偉そうな顔になって容疑者たちの前に立った。
「皆さん、久助さんは食事の途中で気分を悪くして部屋へと戻った。そうですね?」
容疑者たちは胡乱げな視線を十歩に向けながらも頷いた。
「久助さんはこの時既に遅行性の毒を盛られていたんです。だから気分が悪くなり、一人だけ先に部屋へと戻った。そこからは簡単です。久助さんは自分で自分の部屋の鍵を閉め、自分で密室を作ったのです」
どうですか、当たりでしょう! と十歩は辺りを見回した。すると篠田警部の陰から鑑識が静かに進み出て、静かな声で告げた。
「遺体の状態から見るに、死因は即効性の毒のようです」
「――だそうだが?」
篠田警部はゴミでも見るかのような目で十歩を見下ろした。十歩は慌てて斜め上を見て、『私』に向かって叫んできた。
「お、おい、地の文! もう一回だ! もう一回、回想に入れ!」
至極面倒だったが、これも読者のためだ。仕方がない。
ここからまた回想である。面倒な方は読み飛ばしてほしい。
食事会の前、被害者、久助の部屋には久助とその婚約者、七海がいた。
「みんなに会うだなんて何年ぶりかな」
「もう五年は会ってませんでしたからね。……この服で変じゃないかしら。ちょっと地味すぎるんじゃ」
「ああ、綺麗だよ。それに、それ以上高級なものにするとあいつらが居心地悪くなるだろう? 立場は違ってもあいつらとは友人でありたいんだ。これくらいの配慮はしないとね」
そこに現れたのは弟の克己だ。
「やあ、兄さん」
「克己。おお、お前もいつもよりはかっこよく見えるじゃないか」
「はは、学生の頃の先輩たちに会うんだからね。これくらいはしないと」
「そうだな、お前にとっても思い出の相手だ。今夜は楽しもうじゃないか」
三人が出ていった直後、部屋には女中が入ってきた。女中は部屋の隅で何かをした後、部屋から出ていった。
次に入ってきたのは宇田明夜だ。被害者である久助に頼まれて、忘れ物を取りに来たらしい。
最後に戻ってきた久助がベッドに座り、気分の悪さを誤魔化そうと水差しから水を飲んで――
「それだ!」
急に大声を上げた十歩に、部屋中の人々が注目した。十歩はそんな視線も気にせず、得意げに容疑者たちの前に立った。
「犯人は水差しに毒を入れたんです!」
十歩が堂々と言い放つと、鑑識は慌てて水差しを確認しに走っていった。その様子に十歩は満足げに頷き、話を続けた。
「まず、あの部屋には二子さん以外の容疑者の皆さんは、一度は足を踏み入れている。そうですよね?」
突然話を振られた七海は「え、ええ」と引き気味に頷いた。十歩はうろうろと歩き始めた。
「部屋に戻ってきた久助さんは内側から施錠した後、水差しから水を飲み、命を落とした。タイミングが食事中だったのはたまたまだったんです。犯人としては久助さんがいつ毒を飲んでもよかった。それが偶然、自分たちの食事中に重なっただけだったんです! そうですよね、宇田明夜さん?」
警察も他の容疑者たちも一斉に明夜を見た。明夜は明らかに動揺した顔をして、十歩に反論した。
「な、なんで僕なんですか! そんなの誰だってできます! 部屋に行っていない二子さん以外の全員が容疑者だってことになるじゃないですか!」
「ちっちっちっ。詰めが甘かったですね、犯人さん」
十歩は突然部屋の隅に立っていた女中に視線を向けた。
「女中さん!」
「は、はいっ!」
「最後にそこの水差しの水を替えたのはいつですか!」
「ええと、坊ちゃんたち三人がお部屋から出てきた後です。その後に明夜さんがお部屋に……」
「そういうことです。つまり水差しに毒を入れることができたのは、明夜さん。あなただけなんです」
明夜は観念し、その場に膝をついた。篠田警部はそんな明夜に歩み寄り、手錠をかける。秋月姉弟は霧島十歩に駆け寄った。
「流石ですね、十歩さん!」
「いや、たまたま当たっただけだろ」
「そんなことないわ、実力よ」
「たまたまだ。偶然だね」
「実力」
「たまたま」
「実力」
「たまたま」
「はーっはっはっは! これにて一件落着だ!」
これは――尊大な態度のこの男、「霧島十歩」の物語である。
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