チャリ飲みのススメ
夜の
都会の喧騒も閉ざされた室内までは届かない。
広い事務所内に整然と並ぶ机。
その部屋の奥の角。雑然とした机の上で、僕は書類を広げていた。事務処理の傍らSNSを開いて独り言を書き込む。
僕の名前は
小さい頃のあだ名はにった。だからというわけでもないけど、SNSでは「にったん」というハンドルネームを使ってる。
「今日も残業。帰りたいの~に帰れ~ない」と、書類が分からない程度に際どい仕事場の風景写真と共に、SNS上にアップする。
すぐさまライブ仲間でツッコミ役のミコりんから「仕事しろよwww」とコメントが付いた。
こんな僕に構ってくれる仲間は、意外といる。有難いやね。
これは完全に自慢だけど、僕はどんな事でもだいたい卒なくそれなりにこなす。いわゆる器用貧乏ってやつ。頼まれ事も大抵は気前よく引き受けるので、残業などは日常茶飯事だ。
頼られるのは、好き。
時計の針は夜7時を回るところ。
家に帰れば夕飯が待っているであろう有難い境遇だが、独り身の肩身の狭さもあってあんまり家には居たくない。
生温い空気の中で独り黙々と作業をこなしながら、今日も飲んで帰ろう。そう思う。外はきっと蒸し暑い。
車に乗らなくなって早十年。今はマウンテンバイクを愛用している。草野球をやってるから、体力作りも兼ねてる。毎日の通勤で往復30㎞は走ってるかな。結構な距離だけど、もう慣れちゃったよね。
そんなに走って、良い運動なはずなのに、何で僕は丸いんだろうね? 不思議。
愛チャリに跨って颯爽と漕ぎ出す。
商店街を抜けて
身体は少々丸くなったものの、学生時代、野球で鍛えた足腰は伊達じゃない。
すり抜ける風が気持ち良い。
余談だけど、「
暗渠とは、水の流れが隠れているところ。元々流れがあったところに蓋がしてある状態を言う。
道路の端っこにあるドブも、下水道も暗渠。河川を埋設したのも暗渠。
この暗渠っていうのが、僕は大好き。
暗渠の反対語は開渠。水の流れが見える河川は開渠ってわけ。
もとの川の流れを知ること、地形を知ることで見えてくるものがある。
僕が住んでいるところと会社まで。どちらも駅からちょっと距離があるし、めんどくさい乗り換えが多い。距離としては片道10kmほど。
家からバスや電車を使うと1時間くらい。車なら40分前後で着くが、踏切や渋滞は想定外の時間を浪費してしまう。
都内で計算できて一番早い乗り物は、実は自転車だ。車と同じくらいの時間で会社に着ける。渋滞は関係ないし、踏切も無視できる場所があるからだ。
家から会社まで、ちょっとした山と川を経て西から東へ。地図アプリの徒歩で調べると最短距離が出てくる。起伏が結構ある道のり。
さすがに山を登るような道は避けていたんだけど、ある時からちょっとしたことに気づいちゃった。
数ヶ月、同じ道を走っていたが、ふと思い付き、いくつかある丘を避けて平坦な道へ切り替えた。
結構遠回りになるかなと思っていたけど、あんまり時間は変わらない。何せ坂を登らないで済むのが楽だった。
無意識のうちに川沿いを走る。時には緑道沿いも走る。これがまた緩やかで走りやすいんだ。交通量もさほどなく、見通しも良い。
そう、川沿いに走れば坂は少ない!
走りやすいならば、川の流れる道を覚えよう! そう思って、検索して地形図を見た。すると川沿いはやっぱり起伏が少ない。
そもそも水は高地から低地へ流れるんだから、当然といえば当然だったよね。
ほぼ同じ場所の地図を見てみたら、殆どの流れが暗渠だ。分かり易い暗渠の目印としては、例えばマンホールとかね。側溝の蓋してあるのも分かりやすい。
隠れている川を知ること、つまり暗渠を地理上把握していれば、快適に走ることができるという訳だね。
都内での楽しいチャリンコライフには暗渠を知ることが不可欠なのだ。と、僕は思っている。
40分ほど走って地元駅付近までやってきた。ガード下には新旧居酒屋が軒を連ねている。
駐輪場に愛チャリを預け、その中の一軒に足を向けた。
ぽにょりとした太鼓腹をひとつ、ぽん! と叩いてさする。立ち並ぶ飲み屋から漏れる美味しそうな匂いに、お腹も空いてきた!
辿り着いたのは、大阪串カツのチェーン店。首に掛けたタオルで汗を拭ってから
店に入るとカウンターに案内される。ま、一人だから当然だね。
ちょっと高めの固定椅子に腰掛ける。脚が短いわけじゃないんだよ。本当だよ?
「いらっしゃいませ。お客様、当店のご利用は初めてですか?」
可愛いお姉さんが、お通しのキャベツとソース、おしぼりを持って来てくれた。
濃紺の前掛けに同じような色の三角頭巾で、結った髪を纏めている。
「初めてじゃないよ〜」
おしぼりを受け取り、手にしたメニューからとりあえずビールと、味玉串とレンコン串を頼む。
店内はシンプルな白壁で、カウンターも低めのテーブル席も木造り。壁には所々にラミネートされたポップやメニューが貼ってある。カウンターからはテレビがよく見えた。
ちょうど野球の試合が放送されている。今日こそ勝てよ〜! と心の中で僕のご贔屓を応援する。
それなりに賑わってる店内には、僕と同じく野球に見入っているおっちゃんも居た。どっち応援してるのかな?
程なくしてビールが運ばれてきた。よく冷えてジョッキの外側には水滴が浮いている。
まずはひとくち。今日も適度に頑張った。僕、お仕事お疲れ様! 空中に独り乾杯する。
ゴクリと喉を潤すしゅわしゅわは、仕事とチャリ漕ぎの疲れを流してくれる。
揚げたて熱々を楽しみに待ちながら、お通しのキャベツでソースを掬ってあんぐり。ソースは二度づけ禁止です!
しゃきしゃきキャベツに甘辛いソースがよく合って美味い! これだけでもビール1杯余裕だね!
カウンター越しは調理場。上の方の壁にはメニュー札が並んでる。カウンター前の台が高いから中はよく見えないけど、串カツを揚げる油の、良い音が聞こえてくる。ふんわり香りもする。トンカツなんかはラードで揚げるとか言うけど、ここのは何だろう?
ぼんやりと店内を眺めていたら、串カツも運ばれて来た。
熱々出来立ての串が、銀の網付きの小さな四角トレイに乗せられて、目の前に置かれる。
しっかり油が切れて、べしょべしょしなくて良いね。ここの串カツは、油が軽くて食べやすいんだよね~!
半月切りで1cm厚くらいのレンコン串を持ち上げ、トプンとソースに浸ける。少し置いて衣に吸わせる感じ。甘辛ソースがたっぷり絡んだレンコンの、さっくりポクっとした食感が美味しい。
味玉串にもたっぷりとソースを絡めて、キャベツと一緒に頬張る。しゃきっとキャベツと、やや完熟よりで半熟の、柔らか味玉とのコントラストがこれまた美味い♪
甘めにしっかり味付けされた味玉は、それだけでも美味しいつまみだね! 小皿で味玉ってあったから後で頼もうかな?
レンコン串完食でジョッキを空けて、お姉さんを呼び止める。もう1杯ビールに、牛肉串と玉ねぎ串も追加。
お姉さん、にっこり笑顔が可愛いですね。流石に面と向かっては言えないけど。
ビールは割と直ぐに出て来るの。まだキャベツあるからね、これで飲みます。味玉も半分残してる。
ペース配分は、大事。
テレビ画面の中では僕の応援しているチームが押され気味。さっき見入ってたおっちゃんは声を大にして喜んでる。
これからですよ、これから。うん。野球の話は、あんまりしない方が、喧嘩しなくて良いね?
僕は、心の中で応援します。
SNSに写真付きで「飲んでるなう」な、呟きをアップする。「お姉さんが可愛い」とか書き込んじゃう。
そんでライブ仲間の女性陣からは「にったんキモイw」とかコメントが来るわけですよ。
男性陣からは「誰に似てる?」とか「写真早よ」とか。まあ男はどうでも良いのですよ。ええ。
そんな事やってると、牛肉串と玉ねぎ串も運ばれて来る。
牛肉は厚みこそ3mmくらいだけど、柔らかでほろっと
半月に1.5cmくらいの厚みで切られた玉ねぎは、衣の中がしゃくっとトロっと、熱々で甘い。これはジューシーだ!
甘辛ソースも絡んで、とても美味しいです。
2杯目のジョッキも空に近づく。そろそろ最後にしようかな? おつまみ味玉は、また今度。
この店での最後は、だいたい決まって肉吸いで締める。肉吸いっていうのは牛肉とお出汁に豆腐とおぼろ昆布が入ってるの。
ラーメンみたいにしつこくなく、お茶漬けとも違って優しい出汁の味で、やんわりお口とお腹を締め括ってくれるのよ。
僕は好きです。がっつりラーメンも勿論大好きです。大好きです。
「ごちそうさまでした~」
「ありがとうございました!」
がらがらとガラス戸を閉めて、店を後にする。
テレビで流れてた野球の結果は、9回裏、逆転満塁ホームランで見事に大勝利!
それはもう鼻歌交じりで、駐輪場まで、愛チャリを取りに行く。
程よく酔っ払って気分も良い♪ 自転車は、飲酒運転で怒られちゃうから、一応ちゃんと押して帰りますよ~。
15分ほど音楽を聴きながらチャリを転がすと、実家の明かりが見えてくる。家の中からはテレビの音と笑い声が漏れていた。
夕飯、用意されてるんだろうな。まあ、明日の朝にでも食べようね。
明日は、早朝から草野球の試合があるから、早起きしなきゃ。
「今日もおつかれちゃん」
会社を出た時にぬるかった空気は、すっかり夜の涼しさを感じさせるようになっている。
愛チャリをひと撫でして、僕は家へと入った。
明日は僕も試合に勝って、気持ち良く美味い酒を飲めることを願う。
縁は異なもの味なもの? tolico @tolico
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