12-6
「ちょっと待ったぁっ!!」
うら若い少女の雄叫びが、緊迫した空間を切り裂いた。
流石のユディトも、この事態は想定していなかったらしく、驚きに目を見開いたまま凍り付いている。
その隙に衛兵は剣を引き離した。
「やっぱりここにいた」
ユディトを見て一言、闖入者ことエステルは安堵の息をついた。
シード邸にいると思い込んでいるオリアスは、周囲の目があるにも関わらず素っ頓狂な声を上げた。
「どうしてここに!?」
仇敵に対し、エステルはどこまでも穏やかに微笑んだ。
「私がいてなにか不都合でも?」
これ以上罪を重ねないためにも、誘拐の事実を知られるわけにはいかないオリアスは、その笑顔に押し黙る。
しかし同時に、エステルがそのことを追求しないのを訝しんだ。それを言わないのであれば、何をしに来たのかと。
「司書官エステル・モルディアス。陛下に奏上したき旨があり、僭越ながら乗り込ませていただきました」
乱暴な侵入の仕方に反し、どこまでも丁寧に王へ謝罪を述べる。
「陛下、私に時間をください。この男に話があるのです」
なんだかよく分からないが、エステルの勢いに押され首を縦に振る。
許可を出し、衛兵を一時的に引かせた。
「数日ぶりです、ユディト。お元気そうでなにより」
「なんの皮肉だ。それに、トビトはどうした?どうしてお前がここにいる?」
この状況に似合わない言葉を平気で言うエステルに、ユディトは苦虫を噛潰したような顔をした。
質問攻めを華麗に受け流してエステルは話を進める。
「どうしてトビトさんに私を助けるように命じたのですか?」
完全に話を聞く気がない。どこか怒気のようなものを漂わせながら、エステルはじっと質問の答えを待っている。
「…別に。トビトを俺から引きはがすためだ。それと、お前を巻き込んだのは完全に俺の勝手だ。誘拐しやすいようにお前を資料室に誘導したのは事実だが、俺は別にシード家の策略に加担するつもりはない。俺の都合でお前が不幸になるのは後味が悪いからな」
どこか言いづらそうにそう答えると、エステルは何故か少し満足そうに笑った。
それを気まずく思ったのか、ユディトは話題を変えようと躍起になった。
「聞きたいことはそんなことか?」
「いいえ。本題はここからです。私との約束、守ってもらいますよ」
「約束?」
「忘れたのですか?私があなたの仕事を言い当てたら、願いをかなえるというやつですよ」
完全に、ユディトの中でその約束は記憶の奥に埋没していた。
約束をしたような気がするが、どうせ軽口だったのだろう。そんなことをいちいち覚えているエステルに、少し敬意を抱いた。
「さあ、問題の答え合わせをしましょう」
「それだけ自信満々に言うんだから、正解してるんだろうな?」
あまりエステルという人間の頭を信頼していないため、その声はどこまでも怪訝そうだ。
そんな失礼な感情を向けられても、エステルはどこまでも揺るがない。
「特別書記官ナザレ・ミスティ。それがあなたの正体です」
「…どうしてそう思う?」
「手がかりは『異端見聞録』です。そもそもおかしくないですか?未だ執筆途中のものが非公開文献として地下書庫にあるなんて。調べてみればすぐに分かったことですが、『異端見聞録』は非公開文献ではなく、正式な書物として認められていない非公認文献でした」
つらつらと得意げにエステルは事実と推論を織り交ぜて、持論を展開する。
「しかし何故、そんなものが地下書庫にあったのか。それは、これが執筆されたのがあの場所だから。そうではありませんか?」
それはつまり、あの場所に著者であるナザレがいるということだ。そして、あの場にいた人間の中でナザレになりうるのはユディトだけだった。
「それだけではありません。図書館の人事記録にあなたと考えられる人間はいなかった。確かに、あなたは一度も図書館で働いているとは言っていなかった。だからと言って、囚人の身であるあなたが外で仕事を得られるはずがない。ならば王城関係の仕事しか残されていないはず。そして、王城に仕える人間の記録は、全て王城資料室にある」
しかし、王城で働く官吏の数は膨大であり、炙り出すにも時間と手間がかかりすぎる。そこからは単に消去法で絞り込むしかなかった。
「両腕のないあなたにできる仕事、それも一度も人目に触れることなく、誰とも会うことなくできる。そうやって調べていたら一人だけ、おかしな人がいた」
「それが特別書記官ナザレ・ミスティだった?」
ユディトの言葉に無言で頷く。
すべての条件が、その人物の上で符合していた。それは奇妙なまでに。
「今から三年前、ちょうど陛下が即位された年に登試に合格し現在の役職に叙任されている。書記官という仕事は基本的に様々な会議や議会に参加し、その記録を取ること。しかし、このナザレという書記官が会議の記録を務めたという記録がどこにもない」
両腕のないユディトだが、文字を書くことは可能である。ユディトが何か書き物をしている姿を、何度も目撃していた
「見つかったのは別の書記官による議事録の清書をしたというような記録ばかり。そもそも歴史書編纂は通常の書記官の職務ではない。特別書記官だからとはいえ、普通であればそんなことはしない」
ちなみに給料についても調べたが、他の書記官に比べて特別と名に冠しているにも関わらず非常に割安だった。
「あなたがナザレであれば多くのことに説明がつく。異端見聞録は、他の歴史書とまるで違う構成だった。あんなものを作れるのは、司書官ですら閲覧に制限の掛けられるこの地下書庫の書物を利用しているから。そうじゃないの?」
地下書庫にある書物を使って執筆しているからこそ、ユディトはこの場所を離れることはできない。
あれほどまで頑なに地下書庫から離れようとしなかった理由は、そこにあるとエステルは考えていた。
「あなたの言っていた地下書庫ここでやることって、あれの執筆のことではないかしら?」
「…大方あっているが、一部は違うな」
エステルの推測を、ユディトは比較的やんわりと否定する。
「お前の言った通り、特別書記官ナザレ・ミスティは俺だ。あまり知られていないが、ナザレは俺の父親、アシェル王の本名なんだ」
「なら、何が違うんですか?」
「想像力を働かせたことは褒めてやるが、俺の書いた内容はどの歴史書にも載っていない。それに、俺がここでやりたいことはそれの編纂だけじゃない」
「答えは、聞いてもどうせ守秘義務といって逃げるんでしょう?」
「断じて逃げているわけじゃないが、よく分かっているじゃないか」
ここ一月、この男の相手をしてきて学んだ。同じことを何度も繰り返すつもりはない。
「正解にたどり着いたことは褒めてやる。だが、さっきも言ったがお前を資料室に誘導しようとしただけで、深い意味はない。ナザレの名も。単なる俺という存在の目くらましにすぎん。それを突き止めたからと言ってそれには何の意味もない」
いままでの努力を無意味の一言で切り捨てようとする男に、エルテルは必死で食らいつく。
「言い当てたら何でも願いをかなえてくれるんでしょう?まあ、それは後でいいです。私が言いたいのはそれだけではないので」
これまでの御返しだと言わんばかりに、エステルは胸を張ってユディトに放った。
「『異端見聞録』の序文に、あなたの思いを見ました」
その言葉に、ユディトの表情から一瞬にして今までの余裕が消え去る。
確かな反応に、エステルは確信を得た。全てを伝えるためにエリヤと向き合う。
「陛下、奏上いたします。これが、この男の本心です」
そうして、エステルは地下室で埋もれつつあった感情を丁寧に掘り起こし始めた。
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