12-5

 畏れ縮こまる者。呆然と口を開く者。戸惑いに顔を白くする者。様々な反応を見せる人々の中から、獲物を見つけるように一人の男に焦点を当てた。

「例えば、シード家の正義は『一族の繁栄』。そして、そのために『貴族の娘は正妃になることで幸せになれる』という正しさを生み出した」

 鋭い視線の先でオリアスが青い顔をする。

 それはニーベルク家が栄える以前の世界では一般的に認められていた正義だ。

 少しずつ変化する貴族社会において大っぴらには誰も言わないが、それを信じている人間はいまだ根強く存在する。

 貴族社会における正義の代表として、ユディトはシード家を選んだ。

「正義を果たすために、シード家は俺を使ってエリヤを殺し、王位を乗っ取ろうとしていた。そして、その計画に神官も乗っていた。神官の正義もまた、それによって果たされるから」

 一切の迷いなく、自らが加担しているはずの謀反の計画を明かしていく。

 シード家と神官の裏切り。大方の者は大概最初から予想はしていたが、はっきりと言葉にして明示されたことにより、それらは確信へと変わっていた。

「オリアス!とうとう正体を現したな」

 宰相の怒声に、青を通り越して真っ白な顔をしたオリアスは無我夢中で声を荒げた。

「何を言っている!?罪人の言うことを信じるのか?」

 慌てて否定するも、それはもうなんの意味も力も持たなかった。

 エリヤはただ冷静を装い、指示を出す。

「神官及びオリアス・シードを捕縛しろ」

 命令を受けた衛兵は即座にオリアスたちを拘束し、ユディトと同様に地に臥せた。

 その様子を冷めた目で見ていたユディトは、全てが終わると再びエリヤに向き直った。

「さて、俺もその計画の一端を担っているのだが。俺を処刑しなくていいのか?」

 さも当たり前のように自分を処刑するように言う姿に、エリヤはため息を吐き悲痛な声を漏らした。

「…私がおまえを殺せないことを分かったうえで、そう言っているんだろう?」

 エリヤにユディトは殺せない。ゼファニア王とは違う理由で、エリヤには殺せなかった。

「それもそうだ」

 不快な笑みを浮かべ、エリヤの次の行動を伺うように見上げる。

 その姿が、エリヤはどうしようもなく悲しかった。どうしようもないほど、それに失望していた。

「どうしてあなたは分かってくれないんだ…」

 切実な叫びが、弱々しい喉の震えと共に吐き出された。

エリヤにユディトは殺せない。エリヤはユディトに生きてほしいと願っている。

 エリヤは今も昔も、ユディトという存在が大切だった。

 幼いころに憧れた兄の姿。誰よりも眩しくて、誰よりも輝いていたその姿にいつも羨望の眼差しを向けていた。あの日の優しい兄を、まだエリヤは忘れられていない。

 だからこそ、そんな存在が地下で塵に埋もれていくのが我慢ならなかった。

 だから、ユディトを逃がそうとした。ユディトに恨まれていると悟りながら、それでも自由を与えたかった。

「生きてほしかった。自由に、誰にも邪魔されない場所で、生きてほしかった…!」

 希望を打ち砕かれ、現実に打ちのめされた心。変わり果ててしまったユディトの姿に失望しながらも、それでもエリヤは願った。

 しかし、切なる願いは、たった一言で打ち砕かれる。

「お前のその優しさが、俺を殺すんだ」

 エリヤの表情が凍り付く。

 しかし、構うことなくユディトは続けた。

「言ったよな。俺の役目は全ての正義に疑問を呈すること。それはお前も例外じゃない」

 ため込まれていた感情全てが、爆発するように外へ溢れ出る。


「お前の優しさは、いつだって自分勝手だ」

「綺麗な優しさを、誰彼構わず押し付ける」

「あの場所から出て暮らすことが本当に俺の幸せか?」

「俺がいつ、それを望んだ?」

「俺がいつ、そうしてくれと頼んだ?」

「俺からすべてを奪って、お前はそれを俺のためだという」

「偽善も甚だしい」

「お前の正義は、独りよがりの偽善じゃないのか?」


 とめどなくあふれる言葉に、エリヤは何も言い返せなかった。

 その言葉が、全て的を射ていたから、何も反論できなかった。

「奪われるくらいなら、自分から終わらせるだけだ」

 胸の奥から絞り出すような声。絶望に染まる宵闇の瞳。

 そのすべてを受け止め、エリヤは猛烈な後悔を抱く。

 今、ようやくユディトの望むものが分かった。こんな行動に出た理由が、分かった。 

「私が…間違っていたのか?」

 凍り付くその表情こそが、ユディトの狙いだった。


 神官の正義は、神の下僕としての正義。

 シード家の正義は、古い習慣に基づく高貴なるものとしての正義。

 エリヤの正義は、民に求められる清く正しい王としての正義。


 三つの相反する正義を否定し、ユディトは高らかに嗤う。

 この状況を作り出すことが、全ての混乱の根にいるユディトの目的だった。

「さあ、提示しろ。どの正義が一番正しい?何がそれを正しいと定義する?」

 神の代弁者は謳うように問いかける。

「歴史はいつだって、都合のいい正義で作られてきた。神さまはそんなもの見飽きたんだよ」

 あの日、自分の命を繋いだ神の声が甦る。

「お前たちの正義はいつだって自分のためだ。それは、”正しい”んじゃなくて、”都合がいい”って言うんだよ」

 神と自分。二つの意志が重なり合い、誰もが目を背けた真実を明るみに出す。

「その正義の陰で殺される存在を、お前たちは知らない。その正義の陰で忘れ去られる存在を、お前たちは見ないようにしている」

 地下に隠された秘密たちが、嘆きの声を上げていた。忘れ去られていくのは嫌だと、無かったことにされるのが嫌だと。

 だからユディトは、それら全てに手を差し伸べた。

「俺はなにも肯定しない。何にも属さない。歴史の外でただ、全てを知り、疑問を提示するだけ。その役目こそが、俺のすべてだった」

 過去形。ユディトの中で、全ては今日という日を境に終わっていた。

 神官だってシード家だってどうでもいい。

 ユディトは何も恨んでなどいなかった。自らの運命も、それを決めた神ですらも恨んでなどいなかった。

 ただユディトを突き動かすのは恐怖だ。

「全て終わりなんだよ、エリヤ。お前が間違ったから、俺は今日この日この時を以て、全てを終わらせることを選んだ。選んでしまった」

 そのためだけに、多くのものを利用し、壊し、この舞台を作り上げた。

 役目を果たし命を閉じる。それが、奪われる恐怖から逃れるために、ユディトが考えた最善だった。

 激情にさらされ、凍り付いた場内で、ユディトは一瞬だけエリヤを見た。

「あの時、あの場所に生まれなければ、俺はそちら側でいられたのかもしれないな…」

 未練を捨てるように、ユディトは心の内にあった思いを零す。

 しかし、どれほどの後悔も意味をなさない。二人の運命は既に分かたれてた。その運命はもうきっと、二度と交わらない。

 願いが果たされるまであと少し。あとは、全てを自らの手で終わらせるだけ。

 首元に添えられた剣に、ユディトは猫がすり寄るように頬を寄せた。

「やめろっ…!」

 気付いた時には既に遅い。

 目の前で起こるであろう悲劇に、誰もが目をつむった時、


 三人目の闖入者は姿を現した。

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