12-4

『この命のすべてをかけて、あの日の光景を再び』


『全ての”今”を否定して、私は”正しさ”を覆す…』


 力ある言葉が世界に生み落とされ、視界を覆いつくすほど光が溢れ出す。

「っ…!」

 その光が収斂した先、二人の間を隔てるように、それは顕現した。

 議場の床に突き刺さる剥き出しの刃。照明を淡く反射する、鞘のない刀身。

「神剣…?」

 それはまさしく、十五年前に消失したはずの神剣そのものだった。

 どこからともなく表れた神剣に息を飲む音が響く。王家の血を引いていなくとも、それが放つ存在感が本物であることを証明していた。

 自らの目を疑う臣下たちを他所に、全てを知る二人は別の次元で対峙する。

(なんとも大雑把な…!)

 心の中で絶句した。

 あまりにも軽率なユディトの行動に、エリヤは声には出さないが不機嫌をあらわにする。

 エリヤ自身、本物を目にするのはこれが初めてだった。本当は、神剣が実在するということにも半信半疑であったのだが、一応は神剣の在り処を知っていたため、そのことでは特段驚いていはいない。

 しかし、自分が必死に秘匿しようとしていたその事実を、これほどまでにあっさりとばらしてしまったことに対する落胆はひどいものだった。

 そんなエリヤに対し、ユディトの表情は「これで無駄な議論をしなくて済むだろう?」とでも言いたげだ。

「どういうことだ!?」

「本物の神剣…なのか?」

 口々に疑問を並べ立てる臣下に、頭を抱えた。

 ここまでばらされて、今更隠そうにも、もう隠しようがないのは明らかだ。

「その神剣は本物だ」

 あからさまに大きなため息をついて、エリヤは周囲を見回した。

「先王陛下はおっしゃっていた。神剣はサムエル王の中にある、と」

「サムエル王の中?」

 観念したようにエリヤは先王から伝え聞いた話を語り始めた。

「先の政争の際、ニーベルク家は神剣をサムエル王の体に括り付けてともに海に沈めた。引き揚げられた時には確かに神剣は消え、サムエル王は息絶えていた」

 その言葉に、視線が一気にユディトへと集約される。

 まるで化け物を見るような目にさらされ、どこか不満げにエリヤを見た。

「我々王族は、神剣の存在を感じ取ることができる。その時、先王陛下はユディトの中にそれを感じた。そして、陛下の目の前でこの者は一人でに息を吹き返したらしい」

「それは、神剣がサムエル王を生き返らせたということですか?」

「そうだ。おそらく瀕死のこいつを神剣が救おうとしたのだろう。曲がりなりにも王と認められていたというわけだ」

 せめてもの嫌がらせとして、皮肉たっぷりに最後の一文を言う。

 だがこの時点で、神殿が用意した神剣が偽物であることは証明された。

 ある意味、ユディトの行動によって九死に一生を得たのかもしれない。

「神国の王は神の依代である神剣を蔑ろにすることはできない。ユディトを殺せば、神剣までもが失われる可能性がある。だから、先王陛下は命を奪うことはできなかった」

 その代償として腕を奪った。

 先王がユディトを生かした理由は、そんな王として守らなくてはいけない一線を守ったが故のものだったのだのだ。

「ちょっと待て。その説明、一つ間違いがある」

 しかし、空気を読むということを知らない男はここで反論の声を上げた。

「間違い?」

「神剣は別に、俺を助けようとしたわけではない」

 その言葉をエリヤは瞬時には受け入れられなかった。

 神剣が、何かしらの意志をもってユディトを助けようとしたのは事実だ。

 現に、ユディトはその加護とも呼べる力を受けている。神の力の影響下にあるため、所詮神の信徒でしかない聖者の力を一切無効化してしまうのだ。

 そんな力を人に与えたことに、なんの意味もないとは思えない。

「神によってこの体に縫い止められた俺の魂は、神と思考の一端を共有することができる。神は俺に役目を与え、そのために俺を生かした。だから、この身の全てを以て神剣の…神の願いをかなえるのが俺の役目」

 助けられたのではなく、選ばれたのだと、そう断言する。神の意志を知っていると、そう明言した。

 その時、すっかり衆人たちの中で存在を忘れられかけていた存在が、“神”という単語に過剰な反応を示した。

「神の望み…?神は…神は何をお望みなのだ!?」

 縋るようにユディトを見つめ、神官は叫ぶ。

 今の今まで顕現した神剣に目を奪われていた彼は、正常な判断ができなくなっていた。

 ユディトが見せた神の力は、不確実な存在であったはずの神を、一気に現実こちらがわに引き寄せ、形あるものとして証明した。

 神剣という本物の奇跡を目の当たりにしたことで、薄れかけていた信仰心が水を得た魚のように復活したようだ。

 しかしユディトはそれを一笑に付す。

「はっ、愚か者め。本当に安い信仰心だ。目に見えないあやふやなものを信じている人間は、これだから面倒なんだ。形にならねば信じることができないなど、愚かとしか言いようがない」

 冷たい笑いが響き渡る。その笑みに神の意志を重ねて見た神官は震えあがる。

「先ほどまで神の名を僭称していたというのに、その存在が目の前に現れればすぐに意見を変える。綺麗な信仰心を見せれば、救われると思っているのか?全て神のためだったと言えば、お前の罪は許されるのか?」

 神の名を語り、邪魔な存在であるエリヤを消そうとしていたことがはっきりと指摘された。逃げ道を塞がれた彼らは、返す言葉一つ持っていなかった。

「神を口実にすれば、いつでも正しくいられる。そういう風に考えるところが、お前たちが神に見捨てられた原因だよ」

 吐き捨てるように言われた言葉。それは、神官たちの生きる意味そのものを否定するも同然の力を持っていた。

 神が人を見捨てた。

 その事実は、何よりも重く神官たちの胸に突き刺さった。

 端から見れば軽薄で浅はかな信仰でも、少なくとも神官かれらは人生をそれに捧げていたのだ。それが失われることは人としての死に等しい。

「神が…見捨てた?」

 信じられないものを見たように、見開かれる瞳を、ただ冷淡な言葉が貫く。

 半ば放心状態の神官に、とどめを刺すようにユディトは口角を上げた。

「そうだ。神はすでにお前たちなど見捨て、傍観に徹することを選んだ。神に選ばれた王など、とうの昔から存在しない」

 今まで神殿が信じ守ってきたはずのものすべてが、その一言で水泡に帰す。

 神が存在してこその神国。しかし、その存在意義の根底は、気付いていなかっただけで、はるか昔に失われていたのだ。

「かつて、おお神は人間にこの剣を授け、傍観することを選んだ。人間たちの選択の中で、どのように世界が彩られていくかを、ただ見ているだけだった」

 淡々と、自らの内の神が示した真実を語り始める。それは、神剣がユディトに見せた、神の見た世界の姿だった。

「何百年、何千年もの時の中、神は思った。『人は何故、何度も同じことをくりかすのか』と。そして、勝者が正義となり、敗者の正義が消えていく世界をどこか惜しいと思っていた」

 繰り返される殺戮の戦火。その結果勝者が生まれる度に、“正義”と呼ばれる世界の基準は何度も変わった。

 そこにはいつも勝者側にとっての正しさが根底にあり、それは敗者の正しさではない。

 善か悪かの問題ではなく、単に失われ消えていくものたちに神は悲しみを抱いた。

「悲嘆にくれた神は、再び世界に関わることを決めた。そのために、自分の言葉を代弁し、世界に新たな可能性を示す者を求めていた。そして、敗者の正義を知り、敗者の恐怖を知り、敗者の屈辱を知り、そのうえで世界に疑問を呈することができる者を作り出した」

 それは恐ろしい物語だった。人知を超えた存在による、支配の物語。

「俺が生まれ、死に、再び生まれるまでのすべてが、神がその願いをかなえるために描いた脚本。ニーベルクの悪政も、ゼファニアの反乱も、俺という人物を作り上げるための材料にすぎない」

 ユディトは真の意味で、神に選ばれた王であった。神に選ばれた王であったとともに、生まれ落ちた瞬間から神へと捧げられることが決まっていた生贄でもあった。

 神剣の記憶を共有した時、ユディトは自らの運命すべてを決めてしまったその存在に出会った。

 直面した理不尽この上ない事実に、しかしその心が怒りに震えることはなかった。

 事実を知っても何も変わらない。諦めの中で生きてきたから、今更利用されることに何も感じていなかった。与えられた役に徹することは、当たり前のことだった。

 だからユディトは、あの日からずっとその役目のために命を燃やしている。

「神の願いは一つ。勝者と敗者の円環の破壊。勝者によって作り出された正義を、歴史を見直し、世界に疑問を呈すること。それを叶えるのが俺の役目」

 勝者が勝者でありつづける世界に疑問を。勝者の正義が、絶対のものとして受け入れられる世界に疑問を。

 定型化する歴史に、変革の亀裂を刻みつける。

「そして今日、俺は役目を果たすためにここに来た。全ての正義に疑問を呈するために、この場にいる」

 高らかに宣言し、ユディトは言葉を発することができずにいる人々を不敵に見回した。

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