12-3

「我が名はユディト。サムエル王ユディト。民よ、この名を忘れること勿れ」


 何度目かのその言葉を、二人目の闖入者は空気に刻み付けた。

「まさか…」

 当時を知る年配の重鎮たちは自らの目を疑った。

 十五年前、歴史の表舞台から姿を消した少年が、青年となって再びこの場所に帰ってきた。

「サムエル王陛下…」

 誰かがぽつりと零す。

 その尊称を使うことは不適切であるが、それを咎める者は一人もいない。

 言葉を失い沈黙する場内で、神聖な議場の扉を足で蹴破るという荒々しい登場をしてみせたユディトは、一人時の流れが違うように鷹揚に人々を見回した。

「どうして…」

 ぽつりとオリアスの口から呟きが漏れた。

 どうやら、その存在の登場によって番狂わせに会ったのはエリヤだけではないらしい。

 シード家もまた、計画を崩され内心焦っていた。

 本来であれば、ここでエリヤの信頼を地に落とし、後日ユディトを使ってその命を奪うはずだった。そうすれば、シードへの疑いの目をごまかすことができる。

 しかし、よりにもよってこのタイミングで姿を現すなど、計画にない。

 この話題を持ち出したシードが疑われるのは避けられない。

 しかし、そんなことにはつゆとも思考が及んでいないエリヤは、何とか言葉を紡がねばと必死だった。

「何しに来た?」

 おそらく、命令を受けた衛兵が一時的に持ち場を離れた隙を見て侵入したのだろう。つまり、ユディトはこの会議の一部始終をどこかで聞いていたに違いない。

 このタイミングで姿を現したということには、なにか思惑があるはずだ。

「…お前の命令に従ったまでだ」

 だがしかし、ユディトの放ったその言葉はあまりにも最悪だった。

 ユディト移送計画はほんの一部の人間しか知らない。この状況では誤解を生むのは必至だ。

 案の定、これ幸いとオリアスが喰いつく。

「陛下、それはどういうことですか?」

 声を上げるシードに、神官も同調する。

「っ…」

 何か言わなければ、そう口を開いたものの、何の言葉も出てこない。

 この状況を作り出した張本人は、十五年ぶりに再会した従弟を値踏みするように見ている。

 その時、伝令を終え戻ってきた衛兵がその姿を捉えて驚きに声を上げた。

「なっ!」

「か、確保…!?」

 疑問符のついた宣言をしながら、ユディトを取り押さえる。

 抵抗する腕を持たない体はいとも簡単に地に臥すが、瞳はエリヤの姿を捉えたまま離さない。

 衛兵の登場により、わずかに冷静さを取り戻したエリヤは神官に鋭い目線を投げかける。

「こいつには、二人の監視をつけていた。その一人は神殿に所属する聖者だ」

 エリヤの視線が、部屋の隅で一部始終を静観しているネヘミヤに向く。

 ネヘミヤの真意は分からない。

 しかし、これは神殿を追求するまたとない好機だった。

「聖者の不備は神殿の責任だ。今回の件、そちらに責任がないとは言えないぞ」

 完全に言いがかりであり、話を逸らす気が見え見えであるが、偽の神剣のこともある。下手に反論はできないはずだ。

 しかし、中々に神官も強かだった。

「この脱走劇すらも、陛下の策略では?先ほど、その者も言ったではありませんか」

「囚人の言うことを真に受けるのはどうかと思うが。策略とはどういう意味だ?」

「陛下といえど、先王陛下の決定は覆せない。しかし、サムエル王が逃亡したのであれば、その罪で処刑することも可能です」

「私が邪魔者を処分するために自作自演をしたと」

「かつて先王陛下もそうやって多くの神官を粛清しました」

 全ての神殿の不満はそこに始まる。

 先王は貴族だけでなく多くの腐った神官を粛清した。貴族にはその後、多少の権威の回復のための対策が取られたが、神殿には何もなかった。

 舐めさせられた辛酸の分、エリヤに返してもらおうとしたのだろう。

 おそらく、シード家につけばその地位を確約するといった約定を交わしているのは分かる。

 しかし、そんな神官の主張に釘を刺したのは意外な人物だった。

「そいつに、そこまで考える頭があるとは思えないが?」

 取り押さえられているにもかかわらず、ユディトは平然と言ってのける。

衛兵の殺気が増し、命令があればすぐに処刑できるように首元に剣を突き付けた。

 不敬も不敬。自分の立場をまるで考えていない発言。だが、だからこそ、それがエリヤをかばう様な意図を含んでいるとは誰にも思われないで済んだ。

 多少心に傷を負ったものの、その自覚があるため否定できないのが悔しい。エリヤは話を元に戻そうと、小さくせき込んだ。

「兎も角、神殿に対する処分は後だ。それよりもまずは…」

 偽の神剣を置き、エリヤは立ち上がった。全ての視線を一身に集めながら、しかしその瞳は揺るぎなくただユディトだけを見ている。

 宰相や衛兵が身構える中、エリヤはユディトの前に腰を下ろした。

「先王陛下の温情により救われた命、どうして無駄にしようとする?」

 正直、この状況ではいつユディトの首が飛んでもおかしくない。

 そうならないのは、ひとえにエリヤにユディトを殺せない理由があるからだ。

 しかし、だからと言ってこのままユディトを牢に返しては、誰も納得しないだろう。分かり切っていてもユディトの真意を聞き出す必要があった。

「そこにいる奴らは関係ない…とは言わないが、俺は俺の意志でここにいる」

「お前の意志とは?」

「俺の役割を果たしに」

 脳内で描いていた予想とは違う返答に、エリヤは言葉に詰まる。

「役割?」

「神剣から与えられた役割」

 “役目”。その言葉に、そんなこと聞いていないとばかりに神官が立ち上がる。

「神剣が!?」

 しかし、ユディトはそれら一切を完全に無視してエリヤだけ言葉を向ける。

「そのために、お前の願いは聞けない」

「…それを伝えに来たのか?」

 それにしてはあまりにも暴挙が過ぎる。

「んなわけねーだろ。が、その説明をするには、今の状況は少し面倒だな」

 路地裏の破落戸のような言葉遣いに、エリヤはどこか悲壮感を覚えた。

 しかし、今はそんなことを嘆いている場合ではない。

「何をする気だ?」

「説明を省くだけだ。ここにいる全員を納得させるには、実物を見せたほうが早い」

 その言葉の意味を正しく理解したエリヤは、顔を青くして制止しようとする。

「ちょっ!?それは…!」

 しかし、すでにそれは手遅れだった。


『この命のすべてをかけて、あの日の光景を再び』

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