12-2

「ユディトが…?」

 呆然。その言葉をすぐには理解できない。

 目まぐるしく変わる状況に、完全に思考は停止していた。

 しかしその時、視界の端でオリアスがわずかに微笑んでいるのを確かにエリヤは捉えた。

「まさか…!?」

 ユディトを逃がしたのは、シードだ。

 いや、それだけではない。優秀なネヘミヤたちがそれを見逃すはずがない。見逃すとすれば、それはわざとだ。ネヘミヤが裏切るとは思えないが、神殿の圧力に屈服しないとは言い切れない。

 神殿とシード家が結託している。このタイミングでユディトを逃がすことで、エリヤにとどめを刺そうとしたのだろう。

(そこまで私は恨まれていたのか…?)

 シード家から神剣の話を持ち出されたときから気がかりなことがあった。

 彼らは本物の神剣の在り処を知っているのかどうか。知っているうえで偽物を出してきている可能性。それを否定できる論拠はない。

 だか、それは今はっきりした。

(すべての裏にユディトがいる…)

 これはすべて、、ユディトの復讐だ。自らを失墜させようとしているのは、神官やシード家だけではなかった。

 おそらくシード家の言っていた「よろしくない話」というのもユディトが吹き込んだものだ。エリヤにとっては急所である、神剣について問い詰めるように指示したのもおそらくは。

 その場合、本物の在り処が知れている可能性は高い。

 エリヤは焦っていた。しかしそれ以上に、ユディトがあちら側人間であると証明されたことが悔しかった。

 この一件全ての底にユディトがいるのなら、エリヤの講じた対策など最初から無意味だったということになる。

 魔の手から守ることはできても、自ら魔に染まろうとするのを止めることはできない。

「とにかく、見つけ次第即刻捕縛し引き摺り出せ。必ず見つけ出すんだ」

 あるだけの思考力をかき集めて、ひとまず衛兵に命令を下す。

 今のエリヤにできるのはこれが精いっぱいだ。後は、見つかるのを待つしかない。

 しかし、周囲の者たちにはそうはいかないだろう。

「どういうことですか陛下?」

 重臣たちが詰め寄る。

 砂の城のような脆い信頼関係が、今とうとう崩れ落ちる音がした。臣下のエリヤに対する不満や不信はもう止めようのないところまで来ている。

 それを察したのか、神官がとどめを刺すように口を開いた。

「このようなことになるとは…。そもそも、先王陛下がサムエル王を死刑に処さなかったのは何故でしょう?それはひとえに、サムエル王がいまだ神の庇護下にあったからではないでしょうか?故に、命を奪えない代わりに腕を奪うことで剣を抜けないようにした」

 詭弁だ。そんなの妄想でしかない。

 ユディトは、かつては王であったが、今は大罪人だ。神の意志など人間の世界にとって時に無駄でしかない。民が必要としているのは神に選ばれた暴君よりも、人に近い名君だ。

 本当に神の意志がそちらにあるのなら、この十五年は何だったのか。

 そもそも神殿に仕える者だからと言って、本当に神の存在を感じ取れるものはその中にどれほどいるのか疑わしい。

 しかし、状況証拠ばかりと言えど、エリヤへの不審が流れている今の状況では、どんな言葉も言い訳のようにしか聞こえないだろう。

 この状況においてエリヤの言葉は、恐ろしいまでに力を失っていた。

「神がまだ、サムエル王を真の王と認めているのなら、罪人は果たして誰なのでしょうか?」

 王位を僭称することは、反逆と同じ大罪だ。それは王家の人間であっても適応される、絶対の法。

 剣を抜けばいいのか。それとも、真実を告白すればいいのか。

 エリヤにはもう、どうしようもなかった。

 諦めかけ、言葉にならない言葉を口にしようとしたとき、しかし再び転機は訪れた。

 きっちりと閉じられていた扉が、急に派手な音を立てて開け放たれた。

「…!?」

 心臓を鷲掴みにするような音に、暗く沈みかけていた議場がどよめいた。

「お前は…!」

 扉の向こうから現れた人物に、エリヤはつい、声を漏らした。

 宵闇の瞳。陽の光を知らない白い肌。あるべき質量を持たず、揺れる空洞の袖。

 その姿を見間違えるはずなどなかった。


「我が名はユディト。サムエル王ユディト。民よ、この名を忘れること勿れ」

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