12-1 通歴940年5月2日

《通歴940年5月2日》

「それで、話とは何だ」

 臨時御前会議。シード家当主たっての願いで開かれたその場で、エリヤは冷ややかな視線をオリアスに向けた。

 つい先日の御前会議で王の怒りを買ったこの男は、どうやらまだ懲りていないらしい。

 それを証明するように、オリアスは開口一番に可笑しなことを口走った。

「陛下のご即位に関して、あまりよろしくない話を耳にいたしまして」

 重鎮たちの顔が一瞬にして不快に染まる。下手をすれば不敬と取られてもおかしくない言葉だ。

 抗議のために立ち上がろうとした宰相をなんとか制し、努めて冷静を装って問う。

「それはどういう意味だ?」

 餌に魚が喰いついたというように、オリアスは卑屈な笑みを浮かべた。

「陛下は神剣の在り処をご存じなのでは?」

「神剣の…?」

 神剣の在り処。

 その言葉に心臓が嫌な音を立てる。その話・・・か。

「神剣は十五年前に消失した。その事実に偽りはない」

 重鎮たちをなだめるようにそうはっきりと言う。

 先日の件から、重鎮たちの中でオリアスの印象は非常に悪い。こんな教科書通りの返答でも、十分に納得させられるはずだった。

 しかし、その時、普段は静かに侍っているだけの神官が口を開いた。

「陛下」

「なんだ。越権行為だぞ」

 神官に御前会議における発言権はない。

 それを知りながらも声を上げた神官に、場内の視線が集中する。

「恐れながら、神剣及び王の即位に関しましては神殿の職分。ここで我々を除いて話を進められるのはいささか道理にかなっていないかと」

「…分かった。だが、何が言いたい?」

 この状況で下手な言動をすれば、すべてが不審へとつながる可能性があった。これ以上、この件に関して波風を立てたくない。

 王の許可を得た神官は、重鎮たち全員に知らしめるように言う。

「我々神殿といたしましても、陛下の王としての資格を今一度問いたいと考えております」

「何故?それにどうやって?今や神剣は海の底だ」

 正統の王であるかは、神剣によって示される。神剣は神に認められたものにしか、鞘から抜くことができないのだ。

 しかし、神剣の消失した現代では、その方法は使えない――はずだった。

「本当にそうでしょうか?」

 どこからともなく布に包まれた細長い何かを取り出した。その形状に、エリヤの脳裏に嫌な予感が走る。

「これをご覧ください」

「それは…!」

 一瞬で会議の場がどよめく。

 神官の手には十五年前に姿を消したはずの神剣が、しっかりと握られていた。

「神剣…?」

 戸惑いを隠せないのは、エリヤも同じだった。

「ほんの一月ほど前のことです。神殿に属する聖者がこれを見つけ出しました」

 どこで、とは言わない。それが余計、先ほどの言葉と相まって人々の不信感を増長させる。

『王は神剣の存在を知りながら、国民に秘匿し続けていた』

 そんな疑惑が、人々の中に芽生え始めた。

 王が何か恣意的に神剣の存在を隠蔽していたのなら、もしもそれが事実であれば、大問題だ。

 しかし、その渦中にいるエリヤだけは別の意味で焦っていた。

(神殿は本当に剣の在り処を知っているのか…?)

 剣の在り処。それは目の前にある偽物ではなく、本物の神剣のことだ。

 エリヤは知っている。神官たちが手に持つそれが、本物でないことを。

 王族であれば、神剣の気配というものをなんとなく感じることができる。しかし、偽物だと判別できる理由は、それとは別にあった。

 何よりも確定的で、絶対的な理由。

 本物の神剣は、十五年前から消失などしていのだ。

 海の底ではない。ただし誰にも、神殿やエリヤにすら手の及ばない場所にあるため、場所を知っているというだけで実際に目にしたわけではない。

 しかし、その事実を明かすことは何があってもできなかった。

「それは本物か?」

 答えのわかり切った疑惑を声に出せば、神官は嫌な笑みを浮かべる。

「神殿をお疑いになるのですか?我々は神に仕える従僕、決してその聖名を穢すようなことはありえません」

 いけしゃあしゃあと屁理屈を述べ上げ、神官はエリヤに迫った。

「陛下、我々に証明を」

 差し出される剣と言葉。

 自らが何を求められているか。そんなことは言葉にされずともわかっている。

「神殿は現在の神国の状況を憂えております。解決されない数々の問題、なかなかお生まれにならない御子。それらは全て、陛下が神の御心にそうお方ではないのかもしれない、と」

 神に嘉されたこの国において神に認められない者が王になることは、僭主であると同じことだ。

「先王陛下が流行り病で亡くなられたのも、神の怒りに触れたからではないか。そう考える者も少なくありません」

 押し付けられるように、半ば無理矢理剣を握らされる。

「御自らが真の王であるとお思いならば、我々に神の加護をお示しください」

 はっきりと神殿は、エリヤを王とは認めていないと言う。

 しかし、王と認めていないのは神殿だけではなかった。

 神剣を隠していたのは、それを抜き、王としての資質を証明することができないから。

 そんな馬鹿げた推測がまかり通ってしまうほど、エリヤという人間は王として未熟だった。

 だれも神殿の言葉に否を唱えないのは、神殿の言う神の意志を信じているのではない。誰もがそう心のどこかで思っているから。

 単に、ヨシュア王という人間の在り方が、信頼に足るものでなかっただけ。

「…っ!」

 剣に細工がなされているであろうことは触れるまでもなく明確であった。おそらく、これを抜くことは神殿のいう真の王であろうとできない。

 しかしそれは、拒否する理由にはならない。

 本物の神剣であれば、王以外の人間に抜くことができないのだ。神殿がこれを本物と言い張る以上、誰にもそれが嘘であるということを証明できない。

 政治の場とはそういうものだ。言葉巧みに人の感情を操り、嘘を事実と見せかける。真実など、この場所では意味をなさない。

 それを知りながら、なんの対処もできなかったのは自分だ。

(どうする?このままでは不審が募るばかり…)

 どうしようもない状況に焦りが増していく。重鎮や神官、宰相たちが自分の一挙手一投足を値踏みするように見ている。

 追い詰められた思考は諦観を抱き始める。

(こんな状況になった時点で、俺に王の資格はないのかもしれない。今が引き時か…)

 そんな不穏な考えが胸を占め始めたとき、場内の視線が急に扉へと集中した。

 そこには、会議中であるにも関わらず、衛兵を振り切って侵入する一人の女がいた。

「奏上いたします」

闖入者は王の御前までずかずかと歩み寄ると、膝をつき、場内に響き渡る声で宣言した。

「幽閉されていた囚人が…サムエル王が逃亡しました」

 感情の読めない紅の瞳が、誰も予想だにしなかった事態を告げる。

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