10-3-2
「お願いします、ユディト様を救ってください。それができるのは、エステルさんだけなんです」
痛切な叫びにエステルは迷いを覚えた。自分がこれほどまでに頼りにされる理由が分からなかった。
「どうして私なんですか?私なんかより、二人の方がユディトのことよく分かっているでしょう?きっと二人の意見のほうが彼は聞くはずです」
「いいえ、私たちでは駄目なんです。私たちには本当の意味でユディト様を救うことはできない」
トビトはひたすら頑なに、首を縦に振ろうとはしなかった。
「規則があると、言いましたよね」
「ええ。弱いから、それがないと間違ってしまうと」
「私とネヘミヤは決めたんです。何があってもユディト様の願いをかなえると。その意思を尊重し、それを実現するために全力を尽くすと」
「それがお二人の規則ですか」
地上では厄介者として忌避されていた三人であったが、そんなこと当人たちはどうでもよかった。
ネヘミヤとトビトは肉親よりも深い愛情で、ユディトを育てた。ユディトはそんな二人のために、自分の理想の自分であろうとした。
そうやって生きることが、二人の望みであることを知っていたから。
「規則を設けなければ私たちはいつかきっと間違ってしまう気がしたんです。ほんの一歩間違えただけで、私たちはユディト様を滅亡へと追いやった過去の大人たちと同じになってしまう。だから、規則が必要だった。三人での日々を守るために、どうしても」
規則の中で生きることが一番安全だった。そうしている限り、間違えることはないのだから、安心して暮らすことができた。
でも、時として規則は人を縛り付ける。
「規則に従うことは例外を作らないということです。私たちはユディト様の望みを叶えると決めた。たとえ、それがどんな内容であっても」
トビトとネヘミヤの間に多少の差異はあれど、向いている方向はいつも同じだった。でも、いつしか規則は独り歩きを始め、トビトとネヘミヤの道はその過程で決定的に分かれてしまった。
どちらも規則にとらわれながら、身動きが取れなくなってしまったのだ。
「私たちはただ、ユディト様に自由に生きてほしかった。地下室という閉ざされた場所でも、自由にいきることができると教えてあげたかった」
「願いをかなえることが、本当にそれに繋がるのですか?」
「何かを望むことは、何かを選ぶということです。ユディト様は今まで、自分の人生を選べなかった。だから私たちは、望んだのです。ユディト様に自分の人生を選んでほしいと。私たちはその礎になりたいと」
人生は、生き方は自分で選べるのだと、ユディトはそんなことも知らなかった。
だからこそ、それを教えるためにトビトとネヘミヤは必死だった。彼の望む世界に彼を辿り着かせることで、それを教えてあげようとした。
しかし、十五年の時は長すぎた。ユディトは既に、そのことを十分理解している。もう、本来であれば彼の願いをかなえる必要はないのだ。
でも、心の奥底に根付いた恐怖が、規則を失くしてしまうことを拒んでいた。
「規則の上で私はこれ以上動くことはできません。でも、今の私たちは規則の外から手を伸ばしてくれる誰かを必要としています」
トビトはユディトの望みを尊重しようとしながらも、同時に何があっても生きてほしいと願っている。その合間で程よい均衡を保つためにはこれ以上の行動を起こすことはできない。
氷のように硬く閉ざされた関係を、揺り動かしてくれる第三者が必要だった。
三人だけだった世界の外側から、雁字搦めの規則を破ってくれる誰かを、ずっと待っていた。
「私でいいのでしょうか?」
「エステルさんがいいんです。あなたは何度もあきらめずにユディト様に食って掛かった。ああ見えて、結構楽しそうにしていたんです」
太陽を見た時のように瞳を細め、トビトはエステルを見た。
「あんな表情、私たちには引き出すことはできません」
ユディトを、自分たちを変えてくれる存在がいるのなら、それはきっとこの少女なのかもしれない。そう確信を抱いていた。
「…わかりました。私にできることをします。ですが、ユディトがどうしようとしているのかが分からないと対策のしようが…」
脳内で情報を整理する。先ほど胸に浮かんだ違和感を思い出し、その正体が何なのか探る。
「恐怖…奪われることへの、恐怖…。あっ!!」
その瞬間。エステルの中で全てが繋がった。ユディトと出会ってから今日までの奇跡が、一本の線となり、道となってエステルに答えを見せていた。
しかし、一つだけ気にかかることがあった。
「どうしてユディトは地下書庫を出ることができたんですか?確か、結界が張られているはずでしたよね?」
地下書庫の収蔵物、特にユディトが逃げられないようにと先王によって張られた結界。それをどうやってユディトが解いたのだけが、未だに疑問だった。
だが、どうやら、トビトにはその答えに心当たりがあるらしい。
「ああ、そのことでしたら…」
その口から続いて飛び出した言葉に、エステルは絶句した。
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