8-2
オリアスと入れ替わるように、すぐに別の男が現れた。
エステルの中にこの男に関する情報はない。おそらく、おリアスの言っていた“息子”というのがこの男なのだろう。
「貴方は?」
「俺はオルバ・シード。次期シード家当主だ」
つまりは従兄にあたるのだろう。
どことなくオリアスに似ているその顔に、言い表しようのない気持ちの悪さを感じ、エステルは早々に退散しようと思った。
「家に帰ります。そこをどいてください」
押しのけるように部屋を出ようとすると、手首をつかまれ引き戻された。
「駄目だよ。君の家はもうここだ。俺と少しお話しをしようよ」
ねっとりとした笑みがエステルを絡めとる。生理的な嫌悪感にとっさに手を振り解いた。
「嫌です」
「どうしてそんなに頑ななんだい」
「あなたたちが何を考えているのか、全く理解できないだけです」
そう簡単に帰してもらえるとは思っていなかった。
しかし、この男たちと話していても何も意味はないのだ。
「父上はただ、君に叔母上がつかめなかった幸せを手にしてほしいと思っているだけなんだ」
「それは私を後宮に入れるということですか?現王陛下にはすでに正妃がおられます。今更それは覆せません。それに、何度も言いますが私はモルディアスの人間です。いくらシード家であっても、私の婚姻に口出しなどできないはずです」
「君はもう十六歳。君が望めばシードに戻ることも誰かと婚姻することも可能だ」
「私が自らそれを願うとお思いなのですか?」
「いや、そこまでは思っていない。しかし、今にそう願わざるをえなくなるだろうね」
「それはどういう意味です」
いちいち焦らす様な言い方をするオルバに苛立ちが募る。
そんな感情を知ってか知らずか、口の端を醜く釣り上げたオルバは、今まで誰も想像しなかったであろうことを口走った。
「ヨシュア王の代で現王家は潰え、我がシード家が新たな王となる。そうなれば、お前はどうあがいてもシードに戻らざるを得なくなるだろう」
あまりにも突飛な内容に、困惑のあまり苦笑が漏れる。
「意味が分かりません。そんな現実味のない話」
「現実味ならあるさ。現に父上が今、そのために行動している」
嫌な予感が走る。
「伯父上はどこへ」
「父上は王を引きずり降ろしに行った」
「どうやって?」
まさか、エリヤを殺したりなどはしまい。
最悪の想像に緊張が走る。
「とあるお方が言っていたんだ。”神剣は消失していない”と。王は神剣の所在を知りながら、それを隠していた。それは単に、自身が神剣に認められなかったから。そう追求すれば、王は簡単に崩せると言っていた」
思いもよらない内容に耳を疑う。
神剣のことが事実であれば、エリヤは僭主として王位を剥奪されかねない。それどころか、最悪の場合処刑されることもあり得る。
「誰がそんなことを…?」
「君も知っている人だよ」
「まさか…」
その可能性に絶句する。
しかし、資料室で誘拐されたことから考えるに、シード家はおそらく少なくともここ一月、エステルの周囲を探っていたのだろう。
だとしたら、その人物との繋がりに気付かれている可能性は否めない。
だが今、その人物の名が出てくるのは理解できない。
「アシェル王朝最後の王、サムエル王陛下だ」
困惑に染まる表情から思考を読み取り、
「どうしてユディトが…」
「やはり、知っているようだな」
尊称ではなく本名で呼ぶエステルにオルバは確信を抱く。
「貴方たちがユディトを利用しようとしているのでしょう?」
「復讐の手伝いをしてほしいと、そういってきたのはあの方だ」
ユディトがそんなことを考えるとは思えない。
酷い言い争いをして半ば喧嘩別れとなったままだが、そこまでエステルの目は曇っていない。
今までのユディトの言動からも、現王朝への不満は見られても、恨みのような暗い感情は見えてこなかった。
「そんなことあり得ません」
「何を言っている。あの方の立ち場を思えば、現王朝を恨んでいないというほうがおかしい」
さも当たり前のように言うオルバに、どこか既視感を覚える。
そういえば、少し前の自分も同じように考えていた時期があった。しかし、それが彼の肩書への先入観だということを、今は分かっている。
「神剣が存在しているなど…そんな言葉を信じたのですか?」
その考えを逆手に取れば、大罪人であるユディトの言葉など、その信憑性は無きに等しい。
先入観の中でしかユディトを見ていないオルバたちが、それを疑わないとは考えにくかった。
「信じてなどいないさ。ただ、神殿がそう言えばそれが事実になる」
さも当たり前のように言ってのける。
そうだった、その言葉が事実であるかどうかなど、この者たちには関係のないことなのだ。
必要なのは”言葉”であって、”事実”ではないのだ。事実は、いくらでも捏造することができる。
「まあ、利用しようとしているというのは間違いではないな」
「ユディトをどうするつもりです」
悪魔のような笑みに寒気を覚える。
オルバは物語のあらすじを教えるように、残虐な未来の筋書きを語った。
「大筋はこうだ。サムエル王ユディトは復讐のために脱獄し、僭主と噂されていたヨシュア王を暗殺。そのサムエル王を反逆者として処刑したシード家が、新たな王家として台頭する」
筋書き通りに進めれば、シード家は反逆者を断罪した英雄的立ち位置に就く。その功績と、王家に最も近い血筋があれば、次の王位は確実だ。
「本来であればサムエル王は殺すまでもないが、下手にヨシュア王に手を出せばシードが疑われかねない。それに、血統を大切にする輩がいつサムエル王を持ち上げてくるか分かったものじゃない。いくら神殿が後ろについているとはいえ、安心はできないからな」
確実に王位を手に入れる方法。神に仕える神殿までもが、この陰謀の裏で手を引いている。
「危険分子はまとめて処分するに限る」
残酷な笑みと声に思考は凍り付いた。
ユディトがこの件に関してどこまで関与しているのかわからない。どこまでが、彼の真意であるのかもわからない。
ただ一つ、彼を含むエステルの周囲の人々に危険が迫っていることだけは、はっきりと理解できた。
「お前には何もできない。お前はただここで、全てが終わるのを見ていることしかできない」
自分がすべきことは何か。そう考えようとしたのを見計らったように、オルバは釘を刺す。
混乱に晒され無防備だったエステルの思考にその言葉は深く突き刺さり、絶望の色をした血が零れた。
「だが、一つだけ今のお前にできることがある」
闇に沈みかけたエステルを馬鹿にするように、まるで救世主のような口調で男は告げる。
「このままヨシュア王が僭主として死ねば、それを持ち上げたモルディアス家はただでは済まないだろうな」
「脅すつもりですか」
「脅しではない、提案だ。お前がもし、モルディアスを救いたいと思うのなら、養家のために未来の王太子、ひいては王である私との婚姻を選ぶのが正しい選択だ。それに、私と婚姻すればお前を正妃にすることを約束しよう」
シードの血を引くエステルが王の妃となれば、他家の介入をまるで許さない鉄壁の独裁体制が完成する。
その真意はきっと、そうなった場合にモルディアス家にシードの血を引く者がいては不都合が多い。それを解消しようとしているだけのことだろう。
「ふざけないで」
必死で言葉をかき集める。紡ぐ音は揺れ動く感情が滲み、震えていた。
「私はモルディアスの人間よ。絶対にシードになんかならない。結婚だってなんだって、自分の生き方は自分で決める」
それでもできる限り気丈にあろうとした。
しかし、それすらもオルバの見下したような冷笑は一蹴し、黴臭い価値観を押し付けてくる。
「貴族の娘は後宮に入ってこそ幸せになれる」
登試制度の導入で得られたと思った女性としての尊厳を、踏み捩じられたような気がした。
「なんで…?」
怒りや苛立ち。そんな感情はもう沸き起こらない。ただ、エステルは目の前の男に恐怖を抱いた。
理解されないことが怖い。価値観を押し付けられることが怖い。話を聞いてもらえないことが怖い。
『それが今のお前の限界ということだ』
不意にユディトの言葉が蘇る。
彼ももしかしたら、同じような気持ちを自分に抱いていたのかもしれない。
「私のものになれ。いずれ私は王になる。女として最上級の幸福を君にあげよう」
「何をっ!」
後ずさるエステルの手首をつかみ、オルバは卑屈な笑みを浮かべた。
何をしようとしているかなど、聞くまでもなく明らかだった。
「嫌っ!!」
抵抗虚しく寝台に押し倒される。近づいてくる欲望に歪んだ野獣のような顔から逃れるように、目を硬く瞑った。
(誰か助けて…)
悲痛な叫びに応える者は、誰もいない。
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