7-1-2 追憶:通歴923年12月27日

《追憶:通歴923年12月27日》

 壁の先の荒廃とは無縁の平穏な王宮内に、母の甲高い声が響いた。

「ゼファニアが兵を!?ラファルが裏切ったなんて・・・!」

 ゼファニア。確か、同じような名前の人が叔父にいたはずだ。悪いことをしたから遠くに閉じ込められているのだと、母が教えてくれたような気がする。

「エリヤとあの女を牢に!早くなんとかしなさい!」

 聞いたこともないような母の怒号に、体がすくむ。

 どうしてエリヤの名が出てくるのだろう?得体のしれない不安が、すぐそこまで這い寄っているような気がした。

「トビト…」

 ずっと一緒に過ごしてきた従者の名を呼ぶ。袖を引くと、いつもと変わらない優しい笑顔を見せてくれた。

「大丈夫ですよユディト様。俺が必ずお守りします」

 優しい腕が抱き上げてくれる。誰よりも、母よりも安心できる腕の中。

「重くない?」

「重いですよ。でも、幸せな重さです」

 トビトだけは、王としての名ではなくユディトという本当の名を呼んでくれる。 母ですら忘れたかもしれないその名を、大切に大切に呼んでくれる。

 トビトのぬくもりに少し心の奥の不穏が落ち着き始めたころ、それを再び呼び起こすかのような母の金切り声が聞こえてきた。

「陛下!どこにいらっしゃるのですか!?」

「王太后様」

 息子の姿を捉えた母は安堵の表情を見せたが、すぐに厳しい目つきに切り替わった。

「トビト…。陛下から離れなさい!」

「母様?」

 鋭い声で命令する。当のトビトを見やると、なにか事情を知っているのか、苦い顔をしていた。

 慎重な手つきで地面に降ろされる。温かな手は躊躇いがちに、しかし、いとも簡単に離れていった。

「ユディト様。王太后様がお待ちです」

 さあ、とトビトは母を示した。

「私は大丈夫ですから」

 心配そうに自分を見上げる目に、トビトは表情を崩した。その顔を、自分は知っていた。何かを我慢している顔。何か、嘘をついているときの顔。

 でも、自分は何も言えなかった。


 数日後、表面上は平静を装った王宮では新年を祝う式典が開かれた。厳戒態勢が敷かれる中、自分の隣にトビトの姿はなかった。ひどく心細く、淋しかった。

 そして、ゼファニアの挙兵から七日後、トビトがニーベルクの兵士によって捕縛された。慌ただしく人の行き交う王宮内。今まで以上に護衛の兵の数は増し、母だけでなく祖母まで自分に張り付くようになった。でも、孤独感は増すばかりだった。

 一方、自分の知り得ぬところで、飢饉で疲弊した人々に手を差し伸べながら、少しずつゼファニアは勢力を拡大していた。獲物を隅に追い詰めるように、じりじりとしかし確実にその影は王城ににじり寄っていく。

 わずかな気配として感じていた崩壊の危機が、やがてはっきりとした形をとって目の前に姿を現した。


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