6-2
王城資料室。その名の通り王城の中にある資料室であり、そこには主に官吏の人員名簿や議事録などが所蔵されている。
ただし、ここにある文書はその重要度で言えば地下図書館の方が上である。
普段では入ることのできない場所であるが、エリヤに頼んで特別に入れてもらった。
「たぶんここらへん・・・」
いくつもある棚の中から当たりをつけ資料を漁る。
両手に抱えた紙束を閲覧用の机の上に広げると、椅子に腰かけ端から目を通し始めた。
あたりを見回しても人の気配はまるでない。集中しようにも、ここ数日の精神的な疲れから思考が散漫になる。
たった一人の空間で、エステルの思考は自然と自らの内側へと向かい始めた。
「お義兄様、なんだかいつもと少し違ったな…」
ほんの四半刻前のことを思い出す。
エリヤのあんなに弱々しい姿を、エステルは見たことがなかった。
どんな時でも自信に満ち溢れ、ただ前だけを見つめていた瞳が、迷いに揺れていた。不安と絶望に襲われ、ひどく疲弊しているように思えた。
正直、意外だった。絶対無二の完璧な存在だと思っていた義兄の、あまりにも人間臭い表情。
でも、もしかしたらあれがエリヤの本当の姿なのかもしれない。
意図的に隠されて、今まで気づくことができなかっただけで、本当はもっと違う本質を持っているのかもしれない。
「隠し事ばっかり…」
考えてみれば、いつだってそうだった。
結界の件に関して報告した時もそうだ。結局、ただ「気にするな」という曖昧な回答しか得られていない。
エリヤが何かを隠そうとしているのは明らかだった。しかし、何を隠そうとしているのか、エステルには皆目見当がつかない。
エリヤもユディトも、いつも何かを隠そうとしている。
本人たちには本人たちなりの考えがあるのかもしれないが、周りにいる人間は理解できないというだけでその人を信じることが難しくなるのだ。
二人はきっと、それを分かった上でしている。
『お前には関係ない』
完全な拒絶の一言。エリヤは決してそんな言葉は口にしないが、言わないだけでその行動はユディトとさして変わらない。
しかし、隠されているからと言ってそれを知ろうとしないこともまた、罪なのではないかと最近では思うようになった。
「本当は見えていないんじゃなくて、見ようとしていないだけだったのかもしれない」
エステルはいつだって表面的なことばかりに目がいき、その本質を見ようとしなかった。ユディトの件では、特にそれが顕著に表れてしまっている。
エステルにはどうしてもトビトやネヘミヤの考えが受け入れられなかった。
それは単に、エステルの中にユディトへの「悪」という先入観がそれ以外の印象の介入を阻止するように居座っていたからだ。
しかし、それはエリヤに対しても同じようで、ユディトに否定されたエステルの妄信的なまでの信頼は、エリヤが絶対的な「正義」であるという確信のもとに無条件で発動されていた。
先入観に目を曇らせ、現実が見えていなかったのはいつもエステルの方だった。 ユディトが何を言っても、それが彼の言葉だというだけで受け入れようとしなかった。
彼は始めから、自分の間違いを指摘してくれていたというのに。
「信じてる、信じてるって本当に馬鹿みたい。私、お義兄様のこと何も知らない」
かつて、どうしてトビトがユディトにそれほどの信頼を抱けるのか分からなかった。ユディトという人間の難点を知るがゆえに、エステルはそれを知っているはずのトビトが、それでもユディトを選ぶ理由が分からなかった。
しかし、今ならわかる。きっとわかっていないのは、間違っていたのはエステルの方だった。
冷静になればなるほど、自分の愚かさが浮かび上がって見える。トビトに放った言葉が、自分へと突き刺さるように思い出された。
考えもなしに、相手の全てを信じ込んで従おうとしていたのはエステルの方だった。少なくとも二人は、自分の考えのもとそうあることを選んでいたのに。
エステルもトビトも主君を信頼しようとしている点では同じ。二人の違いは、主君のことをどれだけ理解しているか。
トビトは、ユディトの明暗すべてを知ったうえで受け入れ、尽くそうとしている。エステルにはまだエリヤの表面の明るいところしか見えていない。
「本当のお義兄様…。本当の願い…」
エリヤの意志が自分の知らないところにあるのなら、この命令にも、きっとエステルの知らない心が隠されている。
『誰も知らない場所で生きてほしいと願うのは間違っているのか?』
エリヤがあれほどまでにユディトを遠ざけることにこだわる理由。それはおそらく、その言葉にあるのだろう。
もしも、エリヤの決断の根底に、ユディトへの思いやりがあるのならば、それはエステルの信念にもつながる。
ユディトが命令に従わないのが、エリヤに嫌われているからだとかそういう勘違いによるものならば、それを正さなくてはいけない。
「私は私の仕事を完璧に遂行する。それがきっと、最善へとつながっているはずだから」
まだまだ未熟な自分にできることは、それだけだった。
意識を手元の資料に集中する。特技の速読はここでもいかんなく発揮されていた。
無数の情報の中から的確に情報を抜き取る。それらを順序立てて並べれば、全てが頭の中で繋がり、ある一つの答えを導き出す。
「やっぱり…」
破片と破片がぴったりとつながるような快感に頬がほころぶ。
「約束は守ってもらいますよ」
かつて地下書庫で交わした約束。
自らが今すべきことを再認識し動き出そうとしたその瞬間、エステルの視界が暗転した。
「…っ!?」
首元に走る鈍い衝撃に、疑問を抱く間もなくエステルの意識は途切れた。
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