5-3-4

「…不味い」

 ユディトは開口一番にそう言ってのけた。対するエステルは心底心外そうな顔をしている。やっぱりこの男に可愛げなど存在するわけがない。

「そんな!トビトさんに教わった通りに淹れたし、砂糖もミルクもちゃんと…というかおかしいのはあなたの味覚であって私のせいじゃないから」

 ユディトの茶の好みはかなり変わっており、ただ激甘にするだけでなく、もとの茶葉も普通とは違うものを好む。

 特に、フィエルという花の花弁を混ぜ込んだ着香茶が一番好きなようだ。フィエルの花は希少であり、これを使った紅茶も希少であるため、ユディトの少ない贅沢の一つである。

 しかし、フィエルの花茶は独特の味がして普通の人はあまり好んでは飲まない。

 そもそもフィエルの花は霊草であり、嗜好品というよりはどちらかといえば薬のような感覚で飲まれる代物だ。

「貴重な茶葉を無駄にして。例の節約精神はどこに行ったんだ?」

「どの口がそれを言いますか!?」

「事実を述べたまでだ」

「あなたの味覚がおかしいだけでしょう?」

 貴重な花茶をただの色水に代えているのはユディトの味覚だ。全ての原因はユディトの舌にあるのだから、無駄にしたなどと言われるのは不服でしかない。

 しかし、なんだかんだ文句を言いながらも飲んでいるのだから、言うほど不味くはないのだろうと勝手に解釈する。

「お茶の件に関しては精進します。それより訊きたいことがあったんです」

「なんだ?仕事については教えないぞ」

「分かってます。前にあなたが言っていたことです」

 ユディトは覚えているのかいないのか、とんと素知らぬ顔をする。しかし、この男が自分の言ったことを忘れたとは思えないので、エステルは話を進める。

「『ここですることがある』って、この場所で何をする気なんですか?」

「守秘…」

「また守秘義務ですか?お仕事ならそう言ってください」

 逃げの一手を阻むように言えば、ユディトは少し悩むような素振りを見せた。自分で言ったくせに悩むとは何事だ。

「仕事…ではないと思う。ただ、俺の願いを叶えるためにそれが必要なだけ。詳しくは言えない」

「願い?それは何です?」

 一歩その言葉に踏み込めば、ユディトの顔が一瞬で不機嫌に染まる。あからさまに舌打ちをすると、机を蹴った。飲みかけの花茶が零れ、本の山の一部が崩れる。

「ちょっ!なにしてるんですか!」

 地面に落ちた本を放っておけば折り目がついたり開き癖が残ってしまう。

 あわてて本を拾い上げるエステルを冷ややかに見降ろし、ユディトは言い放つ。

「お前には関係ない。それ以上詮索するな」

「関係なくありません。その理由が正当なものであれば、私から陛下に命令の撤回をお願い申し上げることも可能です」

「必要ない。そもそもお前にそんなことできないだろ」

 はっきりと、何も期待していないことを告げられ、エステルは何も言えなくなる。確かに権力も何もない一官吏の端くれにすぎない司書官にできることは少ない。

「まあお前の場合、大好きなお義兄様に頼めばどうにでもなるのかのしれないな。そんなことしたら、エリヤの王としての資格が問われるが」

「そんな!そんなことあり得ません。お義兄様は…陛下は私を特別扱いなんて」

 しない。そう言おうとして口ごもった。

 確かに、王は特別扱いしない。でも、エステルはどうだろう。

 官吏になった今でも無自覚のうちに王としてではなく義兄として見ている自分がいる。王がエステルに命令を下したのは信頼のおける官吏であるからだ。

 しかし、エステルが何でも王に頼ろうとするのは、そこに身内としての繋がりへの甘えがあるから。もしもの時に助けてくれると、自分の願いを聞いてくれると、心のどこかで信じてしまっているから。

 自分がまだ子どもであることを明示されるようで、何も言えなくなる。

「図星だな」

「…私は、私は陛下のためにもそう思われないように努めてきました。それを、そのような発言をするなんて卑怯です」

 必死に取り繕う。自分の心に生じた疑問をごまかすように、自分が間違っているのではないと言い聞かせるように。

 登試に合格した日からずっと、人々の疑惑や悪意の視線にさらされてきた。誰かに見られているからこそ、その立場に恥じない人間でありたかった。

 その不完全さを、思い上がりの自負心を指摘され、はっきりと言い返せないことが悔しい。

「言動不一致の愚か者が。それに、お前も俺と同じだ」

 悪意に満ちた宵闇の瞳が、エステルを捕らえて離さない。

「人間には誰しも触れてほしくないものの一つや二つある。たとえ俺のような…大罪人であってもな。お前はそれに、素手で触れようとした」

 ユディトが自嘲するように放った自虐の言葉が、エステルまでも傷つける。

 ユディトと話していたら、自分の信じているものすべてが嘘に思えてしまう。見たくなかったものまで見えてしまう。

「今日は、帰ります。あなたを理解しようとした自分が愚かでした」

 このままここにいても無様を晒すだけだ。

 逃げるように全てに背を向けて、エステルは地下書庫を飛び出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る