5-1-1 通歴940年4月25日
《通歴940年4月25日》
神妙な面持ちをした重鎮たちに囲まれ、エリヤは気づかれぬよう小さくため息を吐いた。
隣を見れば最愛の妻ルルが穏やかに微笑んでいる。
エリヤより一つ年上の姉さん女房。こう見えて、そこらの官吏よりよほど回る頭を持っている才媛だ。
ルルの向こうには宰相のシーラ・ラファル。ラファル伯爵家現当主であり、エリヤの母方の外祖父だ。先の政争で主家であるニーベルク家を裏切ることを決定した豪傑でもある。
そんな人々の中心で、エリヤはいつになく浮かない顔をしていた。
「昨年の収穫量の増加により…」
次々と奏上される情報を耳半分で受け取る。そのほとんどが返答を必要としない内容であるため、なかなか身が入らない。
定例の御前会議。王によって招集される最高意思決定機関であり、王の横暴を押さえるための制限装置であるそれは今日も問題なく稼働している。
問題がないからこそ、思考は会議の内容とは違う方へ向かってしまっていた。主に、先日義妹から報告されたことにだ。
あの時は大層なことを言ったが、本当はユディトの指摘に関して明確な答えを持っているわけではなかった。今もそれへの対処に脳内を埋め尽くされ、目の前の会議が疎かになっている。
エリヤは議場をぐるりと見渡し、集まった面々を改めて確認した。
どれも、ユディトが解放されたとき、利用しようと躍起になる姿が目に浮かぶ連中ばかりだ。
御前会議の構成員は王と正妃、そして宰相を含む十三人の重鎮たち。貴族が五人、登試組出身の上級官吏が六人と明確に定められており、基本的にこの十三人による合議で最終的な決定が下される。
特に注目すべきであるのが、四大貴族と呼ばれるシード、ガロア、ジェンヌ、ヴィルバンら四つの侯爵家当主たちだ。
四家の力関係はなにより注意を払うべき事案であろう。
最も強い影響力を持っているのがシード家である。
シード家はニーベルク家が出現する以前は貴族社会の頭目として絶大な権力を擁していた。特に当主の娘はほぼ必ず王家に嫁ぎ、美女が多いことで高名なだけあって、正妃の輩出率も高い。王家の姫などもよく降嫁していることから、毛並みの良さは王家に次ぐと言われている。
それに続くのが、先王ゼファニアの生母を排出しているガロア家である。
残るジェンヌ家とヴィルバン家はどちらかと言えば武門寄りの家系で、侯爵家といえど政治の場では発言力は他二家に比べるとどうしても弱い。今もシードやガロアの陰に隠れて居心地が悪そうにしている。
そして、エリヤの代になってさらに注目を集めるようになったのが、貴族枠の最後の一席に名を記すラファル家だ。
ヨシュア王の外祖父であり宰相でもあるシーラが当主を務めるこの一族は、ゼファニア王によって侯爵位を与えられ、エリヤの御前会議に参加することを許された。ただし現在は、当主代理としてシーラの息子が会議には参加している。
ラファル家と会議には参加していないがルル正妃の生家であるモルディアス家は貴族社会においても急成長している注目株である。
しかし、だからこそ伝統を大事にする貴族内では二家に対する風当たりも強い。
特にラファル家はニーベルク家と根を同じくしている。現在は最も王に信頼されているとはいえ、そのことを含めても貴族たちがいい印象を抱けないのは不思議でない。
貴族社会の力関係は複雑だ。見誤れば王であっても命取りになりかねない。
日々変化する情勢に目を配りながら、それに対応していくのは中々骨が折れる。
本当はもっと別のことに時間を割きたいのだが、自ら取り入れた制度を自らないがしろにするわけにはいかなかった。
「報告は以上です。なにか、意見のある方はいますか?」
ようやく長々とした報告が終了し、エリヤはつい緊張の糸をほどきかけた。
その時、一人の男が満を持したように立ち上がった。
「陛下、一つよろしいでしょうか」
シード家当主、オリアス・シード。数年前に亡くなった前当主に代わり新たに就任した若き当主。
若さゆえか、どこか過激で現実性に乏しい発言の多い何かと面倒な男だ。
ちなみに、若いと言えど御前会議のメンバーで最年少はエリヤである。
「許可する」
「本日は陛下に我が一族の総意をお聞き願いたく」
「総意?」
「我らは、今なによりも早急に解決すべき問題は王族の減少だと考えます」
「またか…!」
既視感を覚える状況に、エリヤは頭痛を覚える。
「陛下?」
「何でもない…」
つい先日義妹にも言われたことを御前会議でも持ち上げられるとは。
エリヤもその件に関してはそれなりに気を揉んでいるのだ。少しはその努力をくみ取ってほしい。
「まあ、それではオリアスは王のわたくしへの寵愛を疑っているのですね」
完全に不意打ちを食らった形となって言葉の出ないエリヤの代わりにルルが口を開いた。
エリヤにとっては頼もしい助け船であるが、その口調はどこまでも挑戦的だ。
「そんな滅相もない」
穏やかな笑みを二人とも浮かべているが、その間には火花が飛び散っているのが目に見える。
「ですが、正妃はまだお若いとはいえ、お一人では心許ない。そうは思いませんか?先王陛下を除けば、歴代の王は後宮に複数の妃を抱えるのが常。陛下もそうなされるべきではないでしょうか?」
それはつまり、側室を持てということだ。
婚姻から約二年。そろそろ子どもが欲しいころであるのは確かだが、焦るのはまだ早い。次手を打つにしても、まだ性急すぎる。
だが、それはエリヤの考えであって、家臣たちはそうは思ってくれない。
「早急に解決すべきは財政難だ。それに、お前は私の妃を愚弄しているのか」
オリアス以外の重鎮たちの顔が青ざめる。主に後半の言葉によって。
ルルとエリヤは王と貴族の娘という立場にもかかわらず、稀有なことに恋愛結婚である。
生真面目故に、中々恋仲になることすらできずにいたエリヤだったが、即位して二年あったころに宰相に尻を叩かれるようにしてようやく結婚を申し込んだのだ。 この場合天晴れというべきは、数多の縁談を断りエリヤからの求婚を信じて待ち続けたルルだろう。
そんなこんなでルルに頭が上がらないエリヤは、公私の区別ははっきりしているとはいえ、自分の愛妻を貶める様な発言をされて怒らない訳がない。
「いえ。しかしながら、王家の繁栄は国の繁栄の証。御子は多いほどいい。いくら陛下のルル妃へのご寵愛が深いとはいえど、所詮人一人が生むことができる子の数には限りがございます」
しかし、まったくもって恐れ知らずで空気を読めない男は負けじと話を進める。
「どうでしょう陛下。我が姪のエステルを側室に迎えられては?」
その一言は、その場にいた全ての人を凍り付かせた。
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