3 通歴940年4月16日
《通歴940年4月16日》
ヨシュア王エリヤは、暗い顔をした義妹と対峙していた。
「直々に拝謁賜りまして、感激の至り」
本来、司書官の身分では王に直接謁見することは不可能である。
エステルが王の執務室にいるのはひとえにマソラの口利きと、身内という特権を駆使したからだ。
エリヤは身内ということを含めて仕事を回したのだ、エステルが特権を利用しても文句は言えないだろう。
「あいつに追い返されたんだろう?そうなることは予想の範囲内だ」
「分かっているならもう少し説明していただきたかったです」
流石のエステルも文句の一つくらい零したくなるほど疲れていた。相手が王でなければもっとひどかったかもしれない。
対して、王として官吏の立場の義妹に初めて接したエリヤは、その立場がそれなりに身についている様子にどこか嬉しそうだ。
「すまんな。いかんせん、地下書庫で見たものには守秘義務がかけられる。誰が聞いているかわからないゆえ、ここでは説明しにくのだ。特にアレに関しては、実際に見たほうが早いと思った」
そういって苦笑する姿は、幼いころから変わらない。どこか懐かしさを覚えながら、エステルは仕事の話を続けた。
「ならばユディ…」
「その名前は出すな」
エリヤがすかさす制止する。
「守秘義務を忘れたのか?」
「失礼しました」
やはり王としてのエリヤは義妹に対しても容赦ない。
「先ほども申し上げましたが、これらの問題点に対する回答を得られない限り、命令に従うつもりはないと」
記録を取ることもかなわなかったため、記憶をたどってすべて報告した。
エリヤが怒りだすのではないかと内心冷や汗をかいていたが、そこは一国の王らしく冷静に報告に耳を傾けていたのでつい安堵の息を漏らしてしまった。
「断られた、とはいえこれは決定事項だ。私もそこまで考えなしではない。それらの問題はすでに検討済みだ。ただ今はまだ、その答えを述べることはできない」
「流石おにい…陛下。それでは処分につきましては?」
「時間が必要だ。時が来るまでに、お前はあいつを説得しろ」
「承知いたしました」
「マソラにも話は通してある。当分は、地下書庫の管理がお前の仕事だ」
地下書庫の管理それはつまり、ユディトへの対処を暗に示しているのだろう。
しかし、エステルとしてはその字面通り、地下書庫の文献の管理もする気満々であるが。
「御意」
期待を気取られないように努めて冷静に礼を取った。
「仕事の話はここまでだ。休憩するとしよう」
エリヤはそういうと、侍女に目配せした。すぐさま二人分のティーセットが用意される。エステルとして茶飲み話の相手になれということだろう。
向かい合うように席に着き、カップを手に取った。惚れ惚れするような美しい所作でカップを傾けるエリヤに、エステルは昔に戻ったような懐かしさを感じた。上質な茶の豊かな香りに、二人そろって頬が緩む。
「仕事は楽しいか?」
「ええ、念願の司書官になれたんですから、楽しくないはすがないです」
「それはよかった」
一般家庭でも交わされていそうな近況報告。
王という立場であるがためにエリヤは自由に動き回ることができない。その代わり、自分の夢を追い、それを叶えた義妹の姿は本当に微笑ましいものだった。
だからこそ、エリヤはエステルに本音で話をしたいと思うことがある。
「お前相手だから言うが、俺はあいつが嫌いだ」
はっきりと、エリヤは言い切った。
「これは俺の個人的な感情で、あいつを追い出す理由ではない。が、どうしても俺はあいつを許せない。だから、どうして父王陛下がこのような結末を選んだのか、その真意がいまだ掴めないことが少し悔しくてな」
ユディトよりも鮮やかな青の瞳が細められ、美しい面が憂愁に染まる。こうやってみると、従兄弟なだけあってユディトとエリヤはよく似ていた。
「先王陛下のお考えは、今や誰にも分かりません。しかし、その決断やお義兄様自身の思いに反してまであれを出す必要があるのでしょうか?」
ユディトの口と性格の悪さは一級品。たとえ、外に出しても他者に混じってまともに生きていけるとは思えない。
下手に解放して騒動を起こされるより、手元に置いていく方が安全なのではないだろうか。
「どうしてこの決断をなされたのですか?これはエステルとしての問いです。無理に答えていただかなくても構いません」
王の決定に疑問を唱えることは一官吏にはできない。しかし、エステルが個人的に問うことが禁止されているわけではない。
エリヤが本当に、ユディトの才を買っているのなら、どのような形でもいいから利用すべきなのではないだろうか。
確かにユディトの立場は複雑だが、エリヤならどうにもできる気がする。この王がそれを考えなかったとは思いにくい。
「父王陛下が最善を選ぼうとしたように、俺も今必要とされる最善を選ばなくてはいけない。エステルはこの国が今、最も早急に解決すべき問題は何だと思う?」
微妙に論点がずれているような気がする問いかけに、記憶の奥がうずく。
前にもこんなことがあったような気がする。脳裏で地下書庫の住人が笑い、エステルは心の中で絶句した。
ユディトもエリヤも、どうしてこの血族はみな分かりにくい話の展開の仕方をするのだろう。そんなところは似なくてもよいのに、とつい思ってしまった。が、答えなくては話が進まないのはすでに経験しているため、一生懸命頭をひねる。
「王族の減少、でしょうか」
王家の身内だからか、今一番エステルが気になっているのはその問題である。
現状、王族としての権利を剥奪されているユディトを除けば、直系の王族はエリヤ一人だけである。決して楽観視できる状況ではない。
「それは…確かに重要だが。善処する…」
急に歯切れの悪くなるエリヤに、エステルは首を傾げた。
もしかすると繊細な話なのかもしれない。少し悪いことをしたような気になったが、姪か甥が生まれることを心待ちにしているのも事実だ。
「とりあえずそれはいい。俺が今、解決すべきだと思っているのは金のことだ」
「金ですか?」
ああ、とまだ少し赤い顔のままエリヤは頷く。
「父王陛下が即位されるより以前、かの一族の行った暴虐により国庫の金はほぼ底を尽きた。さらに、度重なる増税により困窮した民、特に農民たちは揃って納税義務が免除される軍に志願していた」
特に、当時は隣国とも停戦状態にあったため、志願することに抵抗が少なかったこともそれを助長したのだろう。
兵士になれば最低限の恩給が出る。下手に農民として働くよりもそのほうが安定した収入になるのは確実だった。
「元は武人の家柄。彼らは何よりも軍事力を重視する。その結果、正妃の支配する後宮と国軍への予算が膨大に膨れ上がった」
「そんな中起きたのが“
「そうだ。農耕人口の減少により、収穫量が年々減り、人の手が入らない荒れたままの畑が残された。それに日照りが重なり、稀に見る大災害にまで発展してしまった」
枯涸の大飢饉では、およそ国民の三分の一が飢餓のため命を落としたと言われている。
ゼファニア王が政争の際にも協力関係にあった隣国から支援を引き出してきたものの、それでも数えきれないほど多く人々が犠牲となってしまった。
エステルはお茶うけの菓子を摘み、大事に口に運んだ。これからはちゃんと食べ物に感謝しよう。
「父王陛下は後宮と国軍の予算を大幅に削り、軍人の数を減らした。そして、職を持たない者には農地を宛がい、補助金を出した。同時に中央の人員を刷新し、腐った官吏たちをあぶりだした」
ゼファニア王は財政を立て直す一方で、新しい人材を求めていた。優秀な人材を輩出するためには、教育の普及が何よりも重要だった。
「しかし、人口の減少は痛手だ。教育を普及しようにも、市民にはそんな余裕はない」
「でも、先王陛下は教育の普及に成功し、登試制度を導入されました。そのおかげで私は今、司書官として働くことができています」
ゼファニア王の業績は、死した後も深く国政に根付き、多くの人に夢を抱く可能性を与えている。
「そうだな。何とか導入された登試制度により、優秀な人材が国中から集まるようになった。でも、その頭脳をしても未だ財政難という問題は解決されていない」
できる限りの節約を、ゼファニアもエリヤも行ってきた。
それは、慣例に逆らって妃を一人しか娶らないことや、儀式の多くを簡略化したことからも窺い知ることができる。
だが、飢饉の際に隣国より借り入れた負債はいまだ手付かずのまま残っていた。このままでは後世の憂いにつながりかねない。
「だが、そんな状況でも変わっていないものがある。何だか分かるか?」
「いえ、正直財政はさっぱり」
「図書館予算だ。国立図書館に振り分けられる予算にここ数十年で大きな減少はない。それは単純に、貴重な史料の保護管理のためだ」
「確かに、保護管理費は収蔵物を減らさない限り削りようがありません」
そこは専門分野なだけにエステルの口数が多くなる。
「図書館は年間を通じて固定出費がその予算の多くを占めています。収蔵物には毎年多少の入れ替えはありますが、そのほとんどは不動です。一定の金額を削れば、それ以上減少させることは無理があります」
「そうだ。保護管理には金がかかる。しかし、図書館にあるものには、多額の金をつぎ込んででも守るだけの価値がある」
図書館の収蔵物は、歴史的価値のあるもの、美術的希少性のあるもの、存在そのものが人類にとって財産と言えるものばかりだ。
「表向きの混乱を避けるためにあいつは地下書庫の収蔵物という扱いになっている。だが同時に”人間”でもある。そして、動かない人間に価値はない」
“愚王の遺産”ことサムエル王ユディト。彼もまた、書類上では国立図書館の収蔵物である。
確かに彼の体は、歴史的価値も希少性も兼ね備えているのかもしれない。しかし、彼は人間だ。生物だ。
人一人養うのにかかる費用は、そこらの書物などとは比べようにならない。人を幽閉するのにもそれなりにお金がかかるのだ。
「人間は働いて価値を生み出す存在だ。少なくとも俺の中では、ただ生きているだけの“あいつの存在”という曖昧なものに大金を出して守るほどの価値があるとは思わない」
「だから処分するんですか?」
「そうだ。忘れ去られた罪人を養い続けることより、その分を国民に還元することの方が必要だと考えた」
エリヤははっきりと頷いた。
“節制の王”と陰で言われているだけあって、エリヤは使えるものは何でも利用する。貧乏王朝に生まれ育っただけあって、そういった方面には特に、よく頭が回るのだ。
だがしかし、ユディトという存在はそう簡単に再利用もできない。下手に扱おうとして火傷するくらいならば、最小限の動きで減損するのが最善だ。
「今の王朝に、あいつを一生面倒見てやれる余裕はない。それに、手放すなら早いほうが良い。だから、俺は決めた」
「お義兄様・・・。それほどまでにお考えだったとは、失礼な質問をして申し訳ありませんでした」
エリヤにはエリヤなりの考えがあり、信念がある。考えなしの行動ではない。それを確かめられれば十分だ。
ユディトへの対処は難航しそうで頭が痛いが、俄然やる気は湧いてきた。
「分かりました。私に任せてください!」
気合を入れるように、エステルはカップの中身を一気に飲み干し立ち上がった。
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