2-4
「これがサムエル王、そして十五年前に起きた政争の一部始終です」
全てを澱みなく回答し、エステルは一息ついた。ネヘミヤはその答えに何度か頷くと満足げに微笑んだ。
「流石です。十五年前の政争の遺産、それがあなたが今回処分を命じられた”愚王の遺産”と呼ばれる史料なのです」
「信頼していただけましたか?」
「そうですね。ですが、あと一つだけ質問が」
肯定しておきながらまだ問題を出そうとするネヘミヤに、疲れを感じ始めているエステルは、もうどうとでもなれと半ば自暴自棄に応じた。
「政争の後、サムエル王はどうなったか知っていますか?」
「え、それは・・・」
考えたこともなかった。
今まで学んだ歴史の書物にはサムエル王の最期に関する記述はまるでない。
それゆえに、ニーベルク一族が入水し滅亡したという事実から、彼もまたそのとき亡くなったのだと勝手に思いこんでいた。
しかし、それではネヘミヤの意図が分からない。
「”遺産”なのですから、亡くなったのではないのですか?」
エステルがネヘミヤに詰め寄る。
その時、不意に傍らの山が崩れ大きな音が書庫中に響いた。
「…っんだよ、騒々しい。安眠妨害だぞ」
どこからか男の声が響く。
「何・・・?」
声のする方を見ると、あからさまに不機嫌な顔をした青年が、書架の影からエステルを見ていた。
二〇代前半くらいだろうか。日焼けを知らない白い肌ときれいに整った面立ち。少し長めの髪が寝癖なのか四方八方に跳ねていた。
淡い灯りを反射し、その宵闇色の瞳が苛立ちに染まる。
「なんだそいつ?」
暗闇の中から聞こえる声は、完全に寝起きの声だ。
よく見ればその肩には厚手のブランケットが掛かっており、どうやら寝所からそのまま這い出てきたようだ。濃紺の布は外套のようにそのシルエットを隠し、一層暗闇に溶け込んで見える。
「本日付で国立図書館に配属になった司書官のエステル・モルディアスです。あなたは?」
「モルディアス…ああ、乳母の一族か」
「乳母…?」
乳母の一族。モルディアス家がそう呼ばれるのをエステルは初めて聞いた。
確かに、エステルの養母であるモルディアス家当主夫人は、かつてヨシュア王の乳母を務めていた。
しかし、ヨシュア王の乳母子にあたるルルが妃として嫁いでからは、専ら正妃の一族と呼ばれるようになっている。
というかそもそも、その男はエステルの質問に答えていない。
「貴方は誰です?」
「彼もここの人間よ。実質、責任者のようなものね」
男の代わりにネヘミヤが答える。
「おはよう。ちょっとお寝坊な気もするけど、まあ良いわ」
「いちいちうるさいな。それより、こいつは何をしに来たんだ?」
胡乱げな視線を向ける男に、エステルは一歩後退った。なんだかよく分からないが、本能がこの男を拒絶している気がする。
というかそもそもどれだけ連絡が回っていないんだ。
責任者だというのにエステルのことをまったく知らない様子の男に、地下書庫の連絡網に疑問が浮かぶ。
「陛下からの命令です。ここに収蔵されている”愚王の遺産”を処分しろ、と」
「”愚王の遺産”をね・・・。まあ、知ってたけど」
「は?」
説明をさせるだけさせて知っていたなどと抜かす男に、呆れのような不快な感情が漏れでる。
口を開けたまま思考が追いついていないエステルを横目にネヘミヤは大きなため息をついた。
「どうせ寝た振りして全部聞いてたんでしょう?」
「まあな」
「あなたの指示通り聞いたわ。それで、どう思った?」
エステルを置き去りにして二人は話を進める。どうやらこの男は最初からすべて聞いていたようだ。
というか、そもそもあの意図の読めない質問を考えたのはこの男らしい。
「どういうことですか?」
「普通の反応。答えも普通だったな」
問いつめるエステルを軽くあしらい、男はエステルを評価する。連呼される”普通”に、顔がかっと熱くなる。
「面白くもない、教科書通りの回答だ。まあ、期待なんて最初からしていなかったが」
あまり良いとはいえなさそうな評価に、いままで優等生として生きてきたエステルは理解ができない。助けを求めるようにネヘミヤをみた。
「なんなんですか?」
「すみません。先ほどの質問も、実はこの人が聞けと言ったので聞いたのです。一応、責任者ですから」
「その人は一体・・・」
自分に平凡という評価を突きつける男に、不審の念が積もっていく。
しかしネヘミヤは苦笑を漏らすばかりで一向に答えようとはしない。
「それより、さっきの話の続きだ」
微妙に流れ始めようとしていた沈黙に、男の言葉が刺さる。
「十五年前の政争の後、サムエル王はどうなった?」
「・・・分かりません」
この男に対して自分の無知を晒すことが、異常に恥ずかしく感じられる。しかし、意外にも男の反応はあっさりとしたものだった。
「そりゃそうだろうな。一般に流通している教科書や歴史書は、不思議なくらいそのことに関する記述がない。お前の歳なら知らなくてもおかしくないな」
そんなに歳が離れているようには見えないが、男は偉そうに言った。
エステルが生まれたのは政争終結の一年前。少なくともエステルにそのあたりの記憶はない。
「愚かなお前に教えてやるよ」
どこまでも傲慢に男は言い放つ。エステルは悔しさにふるえるも、生来の好奇心がその続きを求めていた。
「ニーベルク一族は入水し、滅亡した。しかし、二人だけ生存者がいた」
「生存者・・・」
「サムエル王と王太后。その二人だけ生きていた。海から引き上げられた二人はすぐさまゼファニア王の元へ連行された」
男は感情もなく、ただ淡々と述べていく。その姿はどこか、ほの暗い闇を感じさせる。
「ゼファニア王はサムエル王の眼前で、王太后を処刑した。そして、サムエル王を王城へ連れ帰った。その目的ははっきりしている」
「公開処刑・・・」
「そうだ。大罪人には静かな終わりなど与えられない。ゼファニアは公開処刑を行うために、すぐには殺さなかった」
「では、サムエル王は水死ではなく、民衆の前で処刑された。そういうことですか」
惨い話ではあるが、歴史をみれば暴君として公開処刑された王も数名存在する。 サムエル王もそういった王たちの一人になったのだろう。
しかしながら、それがどの歴史書にも記載されていないと言うのは気になる。
「愚か者が。短慮は損だぞ。ここからが重要なんだよ」
心ない罵倒に唖然とする。流石にもう、怒り抱くのすら面倒になってきた。
「王城に帰ると、誰も予想しなかったことが起きた。ゼファニア王は何を思ったのか、サムエル王を死刑にしなかった」
「え・・・?」
「ゼファニア王はサムエル王から両腕を奪う代わりに、命は奪わなかった。一生幽閉という条件ではあったが。そして、処刑は民衆の目の前で行われた。ただ、普通の処刑よりもあまりにも惨たらしかったために教科書などには取り上げられないようになった、と言われている。ゼファニア王も詰めが甘い」
処刑の光景を想像し、鳥肌が立った。教科書に載らなくなった理由の真偽に関しては定かではないが、そういった光景が繰り広げたのであれば、知らないでいる方が幸せなのかもしれない。
「・・・先王陛下はお優しいのですね。まるで陛下みたいです」
義兄の優しい気性の源を見つけたようで、胸の奥がじんわりと暖かくなるような気がした。
「あの悪政はサムエル王の意向で行われたものではなかった。愚王の汚名を消すことはできなくとも、命を奪うまでもないと先王は考えたのではないでしょうか」
幼子から腕を奪うことが本当に温情なのかは分からない。しかし、何らかの方法で処罰を下さねば、臣民が納得しないのもまた事実だったのだろう。
「だからお前は愚かなんだよ。俺はそんなこと聞いていない。もっと考えるべきことが他にあるだろ?」
暖まりかけていた心に冷水をかけるような声に、上付かけていた思考が引きずり戻される。
「俺の話に何か疑問はないのか?」
「疑問?・・・あっ!」
現実に回帰した思考が男の言葉を脳内に再生する。
「生きているのならば”遺産”というのはおかしいです。いや、もしかしてその後にたとえば病気で亡くなった可能性も」
「いや、サムエル王は生きている」
エステルの疑惑に男は嗤う。
「”愚王の遺産”。そもそもサムエル王は死んでいないのに、何故遺産なのか。それは、愚王そのものを表すから。歴史の表舞台において抹殺された幼き王。故に遺産」
その言葉の真の意図に、エステルは息を飲む。
「…サムエル王がここにいると言いたいのですか?」
「サムエル王は国民の前で両腕を切り落とされ、この地下書庫に永遠に幽閉されることとなった。二度と、他者の人生に影響を与えないように。他者に、関わることのないように」
一歩、男が闇から歩を進める。まとわりつく影の名残を振り捨てるように、夜闇色のブランケットが肩から滑り落ちた。
空洞の袖が、歩みに合わせて揺れる。
「あなたは…」
処刑当時、サムエル王は八歳。生きていればちょうどこの男と同じくらい。
驚きに見開かれた瞳に、不敵な笑みが映った。
「我が名はユディト。サムエル王ユディト。民よ、この名を忘れること勿れ」
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