財災

不適合作家エコー

財災


「誰だこんなハエの止まる起案を出した馬鹿は!?」


某大手企業の出世頭、それが今の俺だ。

日々の仕事はおおまか若手の指導であり、監視役だ。


監視役というのは肉体的には楽な仕事だ。

しかし、当然ながら監視対象の誰よりも残業が多い。


それに見合う高給はある故に不満はない。と、言いたいところだが、使う時間がない私の金は妻や息子の物にすぎないと言っても過言でない。


そんな家族は俺をどう思っているのか、

夢の欠片もないが、恐らくどうも思っていないのだろう。


玄関の鍵を開ける。


「ただいま」

「おかえりなさい」


温度のない淡白な声が耳に刺さる。


寝転んだまま、瞳はテレビから離さないでされた社交辞令に相槌し、机に置かれたカップ麺にお湯をいれる。


「虐待の原因は過去の虐待の経験にあるのです!虐待する者が加害者と決めつける世論は、、、」


テレビの話題がいかにも不愉快でチャンネルを変える。


妻は嫌な目をこちらに向けるも、それに反論はしなかった。


【虐待の経験が虐待に繋がる】

それは俺が一番嫌いな言葉だった。


俺の仕事は若手の指導であり、監視だ。

とはいえ、昔からそんな仕事をしていたわけではない。


当然ながら前任の指導、監視係りに辛く当たられた経験もある。

そして、今の俺はそれを若手に返しているだけなのだ。


なんなんだ。

この満たされない気分は、、、

俺は、、、どこで道を間違えた?



俺は田舎の農家に生を受けた。

圧倒されるほどに広大な自然は、同時に圧迫されるほどに強大な閉塞感に満ちていた。


家に備え付けられたオンボロのテレビが白と黒の明暗で映す世界は当時の俺にとって手の伸ばし方も分からない未知の世界だ。


いつも、俺はテレビと向き合った。

俺はテレビとだけ向き合った。


将来を畑に捧ぐ事になんの迷いもない同世代に打ち解ける事はなかったし、

大人になれば見合いをしてそれまでを見ず知らずに過ごした異性と生活を共にする不条理に疑問のかけらもない同世代を哀れにさえ思っていた。


そんな俺が上京を決意したのは、

やはりテレビの影響だった。


とある番組に出た社長が自分とあまりにも似た環境から家出し上場までを果たしたというドキュメンタリーだった。


気づいた時には俺はその社名と住所を紙につづり、挨拶もなく家を飛び出していた。


無賃乗車で飛び出し、この東京まで来れたのは運が良かったのか、はたまた悪かったのか。


俺は目的の会社の門を叩き、後にも先にもないだろう熱意をもって土下座した。


身の上を聞いた人事に追い返される寸前、さらに奇跡が起きる。


テレビで見た、その人が俺 の前に現れたのだ。


社長は俺の目を見ると数分、数十分何も言わずにただ俺を品定めていた。

そして、嗤った。酷く、意地の悪い笑みだった。


翌日、社長は自ら田舎に住む俺の両親の元へ出向き、何の技術も持たない俺を採用、寮までも与えてくれたのだった。


しかし、それこそが、悪夢のはじまりだった。




都会は、テレビの白と黒で記憶していた世界とは全く違う顔を幾つも見せた。


特に嫉妬や派閥といった田舎にはなかった悪夢が俺を苦しめた。


なぜなら俺の土下座は一日にして社内に広まり究極のコネ入社を果たした田舎者というレッテルが常に後をついていたからだ。


「仕事は覚えたのかい?『土下座君』」


俺のあだ名は入社式以前から驚くべき統率力で決められていた。


嫉妬、という意味では当然ながら上司のそれが一番堪えた。


究極のコネ入社である俺にいつ抜かれるとも分からない上司は一際俺に厳しい指導を施してくれた。


嫌味ではない。

結果的には、その指導への反骨精神こそが、今の地位を築く礎だったことは疑い用がないのだから。




【虐待の経験者の虐待】


それは俺の今となんの違いがあるのだろうか。

そもそも、人の羨むエリート街道にて孤独に苛まれた俺はいったい何を目的にすれば満たされるのかさえ分からない。

その闇は田舎から見た手の届かぬ明暗の世界よりもさらに深く見えた。


翌日、社長との会食に俺はいた。

いかにコネ入社を果たしたとはいえ、社長からの呼び出しは決して多くない。


当然ながらそれに出世の明確な関わりを感じた事もないのだが、それでも彼が俺の恩人、大恩人である事は疑うに愚かしい。


「そろそろ、後任は決まったか?」

「はい」

「理由は?」


「彼の実家は同業他社に当たります。故に、彼とのパイプは今後の自社に大きな貢献となるでしょう」


「、、、そのパイプは裏切らないのか?」

「その為の指導は、、、済ませてあります」


ズキリと鈍い痛みが肺を締め付けた。

俺の解答に満足したのか、社長はあの時と変わらぬ意地の悪い笑みを見せた。


「社長!!」


俺はその笑みに思わず、言ってしまった。

取り留めのない、生涯聞くべきでなかった疑問。


「社長はなぜ、、、俺を入社させたのですか?」


社長が立ち止まり、俺の目を見た。

数分、数十分に思える沈黙の後、言った。


「使える駒は拾う。それに何か間違いがあるか?」


「、、、ありがとうございます!!」


その言葉は俺を精神的に救い、将来的に、殺した。


俺は、きっと自力では登れない本物のコネを社長に期待した。

そんな弱い心から出た言葉だったのだろう。

社長はそれさえ見据えた様に、その言葉を投げ、俺の位置を固めたのだ。


熱は一瞬に冷め、再び孤独が戻った。


そんな折にそれが起きたのだった。

その日の帰路、商店街の街灯に照らされたショーケースのカラーテレビに映し出されたニュースの文字。


「ハイパー、、、インフレ?」


ベテランだろう中年男性のニュースキャスターが言葉を綴る。

キャスターの声と手は遠目にも明らかなほど大きく震えていた。


その姿は訓練されたキャスターからは程遠く、同時に事の異常さをこの上なく鮮明に知らせていた。


「ハイパーインフレ?物価の超高騰?」

「!?」


よく見れば周囲の店が一斉にシャッターを閉めていく。想定できない物価の変動を前になりふり構わず物の販売を中止したのだろう。


俺を取り囲む様に点在した店々が次々にシャッターを降ろし、明滅していった。


辺り一面の暗闇を前にようやく、俺の理解が追いついた。


兼ねてから一切の好転を見せずに貯まり続けた財政赤字は報道陣の格好の餌となり、それ故に皆の危機感を鈍化させていた。


結果、誰も信じなかった報道陣の予見が今となって的中した。


俺は慌てて家に戻った。


家には誰もいなかった。


そして、金品になりそうな全てが失われていた。


「くそっ!!」


とはいえ、それには大きな驚きが無かった。


この数年、妻や子との会話なんて数える程もなかった。

この様に収入が見込めない時に姿をくらますことは、悲しい事に、想定内だった。


俺は自室に隠していたへそくりの安否を確かめた。

それは奇跡的にも無事だった。1000万。

これだけの金額を隠している俺の不信感も相当だなと自重気味に笑えた。



「甘く見ていたのは、俺か、、、」


翌日、朝食にパンを買おうとして俺はその値段に驚いた。

何の変哲もないコンビニのサンドイッチだった。しかし、値札には一万円とある。


「一千万が、、、約一年三食のサンドイッチで過ごせる程度の価値か、、、」


もはや可笑しさしかなかった。


翌日、会社は社員の無断欠勤により事実上の休社状態となっていた。


社長はといえばどうやら姿をくらましたらしい。


想定されるハイパーインフレは数年。

俺は社長が口座を多国籍に分配している事を知っていた。

つまり日本円が価値を暴落させた今でも、彼の生活は一般人ほどの被害は受けないのだろうが、商いの場としての日本の価値を社員共々捨てたのだろう。


今頃は海外にでも逃亡している想像がなぜか異様な説得力を持っていた。


「はは、一日にして妻子を失い。二日目にして会社を失ったか、、、」


そもそも銀行の金は妻子に持っていかれたが、恐らくすでに預金封鎖が起こっているのだろう。


これは第二次世界大戦に敗戦した過去のハイパーインフレでも起こった事だ。


何が幸せか、何が夢かも分からない一般に成功者と呼ばれる道を歩んだ俺にはそんな今が大いに笑えた。


俺は釣具屋に立ち寄ると500万の何の変哲も無い釣具を揃えた。


久しぶりの休日だった。

ふと、足下をみると一匹の蝉の亡骸があった。


途端に、蝉の声が響き始めた。


「そうか、今は夏だったのか」


ふと思った。

なぜだろう。季節に触れる事もなく会社に埋れることに迷いを持たなかったのはいつからだろう。


趣味もなく対価も考えずに働くことに疑問を忘れてしまったのは。


、、、いつから俺にだけ蝉の声が聞こえなくなったのだろうか?


けたたましく鳴き命燃やす蝉の声が心に届かなくなったのは、いったいいつの頃からだったろうか。


いつからだろう。

希望や夢に耳を閉ざしてしまったのは?


友に語った熱い思いを常識という箱に押し込めてしまったのはいつの事だったろうか?


「......これが新しい現実か.......」


日本経済の大混乱は数年は続くだろう。

恐らく餓死者も出る。

それが親、妻子、自分になる可能性も決して少なくはないだろう。

それでも俺は笑っていた。


「良かった。なんて平等なんだ」


狂った様な笑い声をあげて、

俺は目的もなく歩み出した。

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