第7話 シラウン・スィラウア
天岸 晴がエルダートの弟子になってしまってから、実に一年が経った。
時間が立つのはやはり早い。晴はこの世界に拐われたときとは見違えるものになっていた。
細く引き締まった筋肉。鋭くなった目。背も高くなり、髪も少し伸びた。
素振りから始まった修行は、今や師のエルダートと剣を打ち合って稽古するまでになっていた。
もちろんエルダートは力を抑えた上でだが、それでも大きな成長だろう。
そして、晴もついには巣立ちの時期……とはいかず、未だエルダートの指導の下で相変わらず地獄を見ていた。
「カハハハハッ、そんなものかいや、我が弟子よ?」
「シャアアアアアッ!」
嘲るように笑うエルダートと、鬼気迫る様子の晴が刀を振るって斬り合っていた。
もちろん修行の内でエルダートは力を抑え、さらに一歩も動かないという制限つきだ。
そんなことをすれば、自然と晴が攻める側に回るのだが、いつまでたってもエルダートは崩れない。
「もっと殺す気でかかってくるわいのう、弟子よ!」
「シッ、シァッ、セァァッ!」
いくら刀を振るっても、エルダートの刀に受け流され、逸らされ、打ち落とされる。
右から攻めては受け止められ、左から攻めては受け止められ、真上から攻めても受け止められた。
蛇を思わせる軌道で剣筋を変えても、先をいくのはやはりエルダートの刀だ。
ならばと、真正面から大振りだが重い一撃を加える。
「……自棄かいのう?」
もっとも、それすらいとも簡単に受け止められてしまうのだが。
しかし晴の狙いは別にあった。
「む……!」
晴がその場に残像を残してエルダートの後ろに回る。
エルダートが一歩も動かない制限があるのならば、そこを最大の弱点として突く。制限のおかげでエルダートは振り向けない。
これこそが晴の狙いであった。
「カァァァァァッ!!」
「ハハ──」
裂帛の気合を込めて、晴が刀を振るう。
しかし、それすらも容易く返すのが剣武神だ。
瞬時に刀の持ち手を変え、柄頭に力が入るようにする。そしてエルダートは腕を後ろに振るい、柄頭を晴の刀が背に届くよりも速く喉元へと叩きつけた。
「──“
「ゴハッ!?」
仁王立ちするエルダートと、吹き飛ばされる晴。
勝負は決まったとばかりに、エルダートが振り返った。
「おや? クリーンヒットじゃわいのう」
「ゴハッ! ガッ……ガハァッ!」
苦しそうに喉を押さえる晴の姿に、エルダートが目を細める。
「今の技は、剣の柄頭を利用した打撃技じゃわいのう。ただ柄頭を打ち付けるわけじゃないぞ? 握り方や力加減、それを完璧に記憶して初めて使える技じゃわい」
「ガ……ハッ……。……はい、師匠」
「ヌシが使った手は悪くはないわいのう。ただ殺気がただ漏れよ。上手く殺気を操ることができれば、いい線いくわいのう」
「殺気を……操る……?」
「まぁ、その内わかることじゃいのう。ヌシがすぐに死んだりせねば」
エルダートが薄く笑い、刀を構え直した。
それを見て、晴もまた立ち上がる。
「さ、休憩は終わりにじゃわいのう。かかってこい」
不動の剣武神を前にして、臆することなく晴はエルダートへと駆けていった。
◆ ◆ ◆
エルダートが教える異流剣術はなにも、一本の剣のみを対象として用いられるものとは限らない。
特異極まるその剣術は、もちろん二刀向けの技も数多く存在する。
剣でこそあれ、さまざまな得物に対応できてこそ戦い溢れるこの世界では本物の剣士だろう。
「遅い! 遅い! 遅いわいのう! 速度を上げよ!」
「シィィィィ!!」
昼食を挟んだあとの午後の修行は、小太刀二刀で行われていた。
一本の太刀より小振りな小太刀は、連撃こそが持ち味。それを両手に持って操るのだから、必要とされる精密さで言えば一本の刀のときを軽く凌ぐだろう。
「セァッ!」
「緩いわ」
晴が繰り出した小太刀の突きを、エルダートがこちらも小太刀で弾いた。
続いて晴が仕掛ける連撃も、エルダートの奇妙なダンスをするような足運びで回避されるか、刃で受け流される。
「隙が大きいわいのう。ほれ、主導権を取られるぞ!」
「……!」
エルダートが小太刀の一本を逆手で持ち、その手を正拳突きのように繰り出した。
もっとも、向かってくるのは拳ではなく刃である。
「──シァ!」
「おっと、成長したものよのう」
目前に迫ったエルダートの手を、晴は咄嗟の判断で膝を打ち付けて逸らす。
だが甘かった。
打ち上げられた腕をエルダートは瞬時に曲げて、尖った肘を未だ残っている晴の膝に叩き落とす。
がくりと体勢を崩す晴に、追撃として腹を蹴飛ばした。
「剣だけに頼らず、体術も使う……。しかし使い時を間違ってはいかんのう」
晴はむせ返しながらも、立つ。修行はまだ終わっていない。
今度はできる限り姿勢を低くし、エルダートに向かって駆け出した。
小太刀の間合いに入った途端、晴は二刀を素早くエルダートへと斬りつける。
「今度の狙いは足かいのう。じゃが……」
今までエルダートの足を映してきたはずの瞳に、エルダートの深淵とも言うべき瞳が迫った。
「……相手が同じ高さで応じてきたら、どうするわいのう?」
「ぐっ……う……おっ!?」
晴の表情に明らかに動揺が走り、相手を遠ざけようと小太刀の連撃がさらに速くなる。
だが……。
「ヤァァァァァッ!」
エルダートの姿が掻き消え、晴の背後に現れる。
それを認知する前に、晴は全身を小太刀の峰で叩きつけられていた。
「がっ……」
「うむ。気絶しないだけ、成長じゃわいの」
地に伏し、気を失いそうになるのをなんとか堪える晴の横で、エルダートは呑気そうにそんなことを言った。
しばらくの休憩を入れれば、晴の体はなんとか動けるようにはなっていた。
回復力が上がっているのだろう。それ故に、エルダートから痛い目に遭わされることが多くなったのだから、果たしてそれは良かったのやら悪かったのやら。
晴はエルダートから改善点などを指導してもらい、渡された秘薬を飲む。
相変わらず不思議な味だ。
「この秘薬……一体何なんですか?」
「……秘密の薬と書いて秘薬よのう。だから教えん」
「そう言って一年ですが」
「……しょうがないわいのう。支障もない」
この一年間。ことあるごとに、晴は秘薬の正体を尋ねてきた。されどエルダートは答えようとしなかったのだ。
これではいつも飲まされているものが、ヤバイやつなのでは? と疑う晴の気持ちもわかる。
「力の霊薬を水で薄めたものじゃわいのう。これを飲むことで筋肉が付きやすくなり、体も強靭なものへと早変わりよ」
それを聞いて晴の目が見開かれる。
この頃にもなると、晴は言語学だけではなく他の学問も学ばさせられている。
その一つに、薬学があった。
確かに霊薬ならば、手っ取り早く力を手に入れることができるだろう。
筋力トレーニングをしなくたって、霊薬を飲んで剣術修行していれば、必要な箇所に充分な筋肉がつくことになるのだから。
しかし、良いことづくめの物はどこの世界にしたって存在しないのだ。
「霊薬って、かなりきつい薬じゃないですか!? 最悪体質が合わなかったら死にますよ!」
「だから水で薄めたんじゃわいのう。霊薬にしたって効力が効きすぎんよう、ちゃんと抑えとるわい」
その答えを聞いて安心してよいのか、駄目なのか。
相手はケルネオン・エルダート。悪魔より悪魔している半神だ。
しかし信じるしかない。今ここで拒否をすれば、罰として霊薬の原液シャワーくらいはやられそうだ。
もとより、今までは異常もなかったのだし。と、無理矢理自分を納得させる。
「カッカッカッ……。そう言えばヌシがさっき言うように、今日で一年じゃわいのう。……うむ、そろそろ頃合いかのう」
「……何がです? 師匠のもとを離れる時期ですか?」
「そんな早くに修行を終えることができれば、世の中苦労はないわいのう」
エルダートはやれやれと首を左右に振った。
そして、目をカッと見開いて言う。
「ヌシの名前じゃわいのう!」
「名前……? 師匠、失礼ですが俺には天岸 晴という名前が……」
「そんな名前、この世界で通用すると思うかいのう? 変な名前と言われるのがオチじゃて」
「えぇー……」
非情なる師匠の言葉に、晴が肩をがくり落とす。
そんな様子の弟子に、エルダートは「心配する必要はない」と断言した。
「実は……既にお前の名は決めてあるのじゃわいのう!」
──嫌な予感しかしない……
その本音を、晴は口にすることはできない。
ただ哀れな生け贄のように、待つだけだ。
「スィラウア……。今日から、お前は『シラウン照らす・スィラウア陽光』を名乗るがいい!」
自信ありげに晴の新たなる名を叫ぶエルダート。
由来も、なぜそうなったかもまったくわからない晴は、反対に微妙な顔をする。
「……何か、不満があるかいのう?」
「いえ……とくに」
しかし認めぬわけにはいかない。
この男の言うことには、絶対服従だ。今のところは。
こうして、天岸 晴は今よりシラウン・スィラウアとして生きていくことになった。
剣武神の継承者 色路 文雨 @toneharu
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