第6話 屋敷の住人たち

 いくら地獄の主たるエルダートも、弟子に休暇を与えるくらいのことはある。

 体と心を壊してしまっては、今までのものが水の泡だ。

 今日はその数少ない休暇であった。

 といっても。


 「屋敷の外に出るのは厳禁だし、娯楽もないし、どうすればいいんだ……」


 そう、剣武神の弟子にしてこの世界の住人ではない晴にとってこの休暇は、自主練習か、自主勉強か、惰眠を貪るぐらいしかないのである。

 しかし連日の暮らしぶりのせいで、早くから目が覚め、眠くはならない。

 勉強はそもそも教材が少なく、取りに行くにしても場所がわからない。

 自主修行もいいが、休暇前の激しい修行のせいで体の節々が痛く、できれば運動は避けたいところだ。


 「さて……どうするか……」


 取り合えず部屋から出てみようと扉を開ける。

 外に出ていくのは禁じられているが、屋敷の中ならばどこを歩いてもいい。この際、広すぎる屋敷の探検もどきをしてみようか。


 屋敷に住まうのは、何もエルダートだけではない。

 数々の使用人と、剣士らしき人たち。

 その中でも晴が顔見知りなのは二人だけだった。

 一人は、メイドのエルミネ。もう一人は……


 「……む?」

 「あ。……ウィトさん」


 廊下で出会ったのは、壮年の剣士、ウィトであった。

 日に焼けた肌と、年齢を感じさせる皺が刻まれた顔。しかし、その瞳に宿るのは決して劣化せぬ武人としての魂だ。

 ウィトにはエルダートがいないときに修行を監督してもらったりしていた。

 ウィトは別段エルダートの弟子でも友人でもないらしく、はたまた使う剣術も違う。

 しかし一方的に、ウィトがエルダートを慕っているらしい。


 「今日は休暇か?」

 「は、イ。体ヲ休めろト」

 「そうかそうか。それにしても、言葉も幾分かマシになったな」

 「アリがトうございマス」


 ははは、とウィトは快活に笑った。

 あのエルダートのように、どこか馬鹿にしたような笑い方ではなく、明るい笑い方だ。

 その様子は、晴にとってもはや遠い存在となってしまった父親というものを思い起こさせる。


 「暇なんだろう。そうでなければこんなところは歩かない」

 「エエ……、実は……」

 「どれ、私が適当に付き合ってやろう」


 どうやらウィトは退屈を持て余したエルダートの話し相手となってくれるらしい。

 晴の顔を覗き込むようにして、ウィトが呟く。


 「エルダート様の弟子……か。以前は弟子など面倒くさいと言っていたあの方がなぁ……」

 「……師匠が弟子を取ロウとしタのは、最近なンですか?」

 「ああ。もとよりあの人は、自分と好敵手、剣術以外のことはすべて興味を示さなかった方だからな。……私はもともと、あの方に弟子入り志願した身だ」

 「ウィトさんガ?」


 ウィトが深く頷き、「私だけではない」と言った。


 「この屋敷にいる剣士はすべて、あの御方の弟子入り志願者さ。ま、誰一人として受け入れられることはなかったんだが」

 「……では、なゼまだここに……?」


 ウィトはしばらく黙ったままだった。

 しかし、昔を懐かしむようにくすりと笑う。


 「私が弟子入りを志願したとき、あの御方は言った。儂の剣術を授ける気はないのう。もとより一から学び直すより、今の剣術を極めた方が早いわい、と」


 重要なのは剣術の種類ではない。如何に習得した剣術を極められるかだ。

 剣士として揺るぎなき事実を、その瞬間に気づかされたのだとウィトは語った。


 「あの御方は残酷な方だが……その前に、最強の剣士だ。我ら剣に生きる者を惹き付けてやまない。だから、ここの剣士たちは屋敷を離れない。離れたくない。文字通り、エルダート様は剣武神だよ」


 そういうものなのか、晴にはわからなかった。

 あるいは、自分もこのままエルダートの下で剣を学び続けていればわかる日が来るのだろうか。

 そのとき、エルダートに復讐するという決意も、消えて無くなってしまうのだろうか。

 そんなことをぼんやりと考えていると、次の瞬間、ウィトが聞き捨てならないことを言う。


 「まぁあの御方は、半分神と同位の存在だが」


 ぐるり、と晴がウィトの方を向いた。


 「……神?」

 「ん? ああ、エルダート様はその強さ故に位階を高め、『半神』となった御方だ。……剣武神の名の由来だぞ? 知らなかったのか?」

 「……通称とカ、称号の類いではナいのですか……?」

 「いいや? エルダート様は半分神の域に入っている。証拠に、あの御方は寿命がなく、また不老だ。お歳は百三十を越えているぞ」

 「!?」


 エルダートにより、この奇妙なる世界には魔物とか言う不思議生物がいることは教えられていた。

 だが、神などは知らない。人間が神になる方法があるなど、知らなかった。


 「……」


 これでまた、自分とエルダートは離れたことになる。

 絶望的な距離が、絶対不可能な距離にまで開いたと思えて仕方がない。


 「あの方に追い付こうとしているのはわかるが、焦っても仕方がない。今は、エルダート様の下で剣を磨くのだな。ハッハッハッ」


 なにが面白いのか、笑い出すウィト。

 追い付こうとしているわけではない。追い越さねばならないのだ。内に秘めたる決意のために。

 だが今の晴には、茫然とするしかなかった。


  ◆ ◆ ◆


 厳しい生活を続けるにあたって、大事なモチベーションとなるのが食事であろう。

 はっきり言って、この世界の文明レベルは元の世界より下だ。せいぜいが中世ヨーロッパあたり。

 もっとも直接触れたことはないが、この世界には魔法という独自の技術が発展しているようで一概には言えないが。

 だからと言うのもなんだが、晴は別段料理に期待してはいなかった。

 しかし、意外にも毎日出てくる料理は晴を満足させるに足るものばかりだったのだ。

 確かに様々な香辛料を使った濃い味付けの料理は少ない。だが、美味なる料理はそれだけではないのだ。

 例えば今晴が頬張っている肉料理。噛んだ瞬間肉汁が溢れる。何より甘い。尚且つしつこくない。

 なんの肉かは定かではないが、どうせ自分が知らない獣だろう。

 元の世界にいた牛や馬、それに近い獣はこの世界に家畜として生息しているそうだが、基本この屋敷で出てくる肉は近くの森の獣を狩ったもの、とはウィトが言っていたことだ。

 それも弓矢や罠を用いるのではなく、剣一本で狩ってくるという。

 この屋敷に住む剣士たちは全員化け物かなにかだろうか?

 と考えたところで、晴は視線を料理から一人のメイドへと移した。


 「……エルミネさん。そウ見らレタままだト、落ち着カナイのですが……」

 「……何度も言っていますが、変な真似をしないよう見張れとのエルダート様からのお申し付けですので。あと敬語でなくて結構です」

 「イヤ、そういう問題デはなく……」

 「……」

 「……」


 エルミネが沈黙することによって、晴も沈黙せざるを得なくなる。

 基本この屋敷に住まう者は、エルダートの完全なる支配下だ。それ故、晴にはエルダートに逆らう人間を未だ見たことがない。

 だからと言って、こう自分の食事風景をじぃと見られたままだと、落ち着いて食事に集中できるわけもない。

 さらに言えば、沈黙が重い。


 「お、美味しいなァ。今日の料理モとても美味しイです」

 「……左様ですか。料理人に伝えておきます」

 「ありがとう……ゴザいます」

 「……」

 「……」


 エルミネは自分のことが気に食わないのだろうか?

 そう思えるほどに、彼女との会話で沈黙に陥ることは多い。

 晴は仕方なく、エルミネに見られたまま料理を口に運ぶ。

 こうして、晴の休日は終わりに向かっていくのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る