第5話 剣の舞

 一ヶ月が経った。

 何かと言えば、もちろんエルダートの弟子と晴がなってからだ。

 今日晴が向かう場所は、いつもの修練場所ではなかった。

 屋敷内であることは変わりないものの、いつもとは別の修練場である。

 というか、あの広い修練場を二つも三つも設けることができるなんて、どれだけ広い屋敷なのだろうか。

 もはや屋敷などではなく、城と呼んだ方がいいかも知れない。

 そして、この屋敷の主であるエルダートにしても相変わらず得体が知れなかった。


 「……来たわいのう」

 「お待たせして申し訳ありません、師匠」


 新たな修練場に到着するや、晴はエルダートにひざまずいた。

 昨日のことだ。

 師匠いわく、もう基盤造りは充分らしい。

 体力と、刀を振る感覚。それは充分養えたと、師匠であるエルダートが言うのだ。

 まぁあれだけ毎日地獄に費やしておいて、体力がつかない方がどうかしているだろう。

 別段筋力トレーニングをした覚えもないが、腕や肩、足の筋肉はついてきた。

 そして今日から、エルダートが習得しているという『異流剣術』を本格的に学ぶらしい。


 「これから教える異流剣術。はっきり言えば、かなり特異な剣術よのう。ヌシが習得できるか知らんが、励めよ」

 「……はい、もちろんです」


 もちろんだとも。

 晴は、エルダートを殺すのだ。この剣術を習得しない限り、晴の勝利は訪れない。

 晴の内に秘めたる決意めいた殺意を知ってか知らずか、エルダートが鞘から刀を引き抜いた。


 「今から異流剣術がどういうものかを見せる。そう言えば……、ヌシに儂の剣筋を見せるのは初めてかいのう。ヌシにも見えるよう加減してやるから、よくその眼に刻みつけておくように」

 「はい、師匠」


 エルダートは晴に背を向け、修練場を見渡す。

 修練場は壁で囲ってあるものの、天井は無く、惜しげもなく降りかかる日光からか太く逞しい木が何本も生えている。

 エルダートが刀を構えた。

 膝を曲げ、いつでも走り出せるようにし、柄を握る両手を顔の右に持ってくる。


 「カッハァーーーッ」


 奇妙な息遣いを以て、エルダートが膝を折り曲げた。

 そして、一気に駆け出す。


 「なっ……!」


 速い。が、目で追えぬほどではない。

 晴が驚いたのはそこではない。

 縦横無尽に駆け回り、修練場に生える木々を次々と斬り倒していく。

 その剣筋にしても、直線的なものではなく蛇のように滑らかで、不規則。

 無論刃を殺すことも、木に弾かれることもない。

 一際大きな大木を斬り裂くと、一瞬で刀を逆手に持ち変え、まだ地面に落下しきっていない大木の幹から枝先までを、さらに細かく斬り分けた。

 しばらく遅れて鳴り響く轟音と、蔓延する土煙。


 「……とまぁ、こんな感じじゃわいの」

 「……!?」


 そして肝心のエルダートは、晴の後ろから現れた。

 化け物。晴にはその言葉しか浮かんでこなかった。

 これが剣士だというのか。この世界のことはよくわからないが、少なくとも、エルダートは常軌を逸しているだろう。


 「さて、まずは構えからだのう。見よう見まねでやってみよ」


 一先ず頷いて、先程エルダートがやっていたように構えを取る。

 膝を曲げ、いつでも走り出せるようにし、柄を握る両手を顔の右に持ってきた。

 しかしエルダートはなっていない、とばかりに首を左右に振った。


 「もっと腰を下ろして、重心を低く取れ。それではすぐに転ぶわいのう」

 「こう……でしょうか」

 「うむ。ほれ、刀を握る手からも意識を逸らすでないわ」

 「ぐ……!」

 「そうそう。それで取り合えず二十分キープだわいの。一度崩す度に×三十周走らせてやるから、忘れるでないぞ」

 「う……ぐ……!」


 歯を食いしばって構えを保つ。保ちきれないことはないだろうが、だからと言って楽かと言えばそれは別問題だ。


 「この構えは我が異流剣術の最初の構えじゃのう。先手構え……、一定の距離から先手を取るため、戦いの主導権を握るための構えじゃわい」


 こと戦いにおいて主導権を握ることは、なによりも大事なことであるとエルダートは語る。

 そして戦いの主導権とは、先手攻撃に成功したということだ。


 「先手必勝、攻撃は最大の防御。ことわざにもある通り、最初から最後まで攻撃し続けていれば、先に果てるのは相手の方じゃわいのう」


 カッカッカッ、とエルダートが軽快に笑う。

 対して晴は、そろそろ腕が震えてくる頃だ。


 「……さて、ではこの構えから派生する技を見せようかいのう」


   ◆ ◆ ◆


 「終わり」


 エルダートのその声で、晴は地面に四つん這いになった。

 技の手本を見せられ、見よう見まねでやり、それからエルダートに修正を加えられる。

 普段と違い体を酷使する修行ではなかったが、その代わりに精神をすり減らすような修行だった。

 一挙動に指先まで気を配らねば、剣筋が乱れ、正しく斬れない。

 さらに間違える度にエルダートの視線が鋭いものとなっていくのが、ひしひしと伝わってくるのだ。その恐怖たるや、並大抵のものではない。


 「……今日のところは終いよのう」

 「はい……師匠」


 へとへとになった晴に背を向けて、エルダートは去っていく。

 エルダートとすれ違うように入ってきたのは、この屋敷の使用人らしいエルミネだ。

 無言無表情のエルミネが水の入ったコップを乗せた盆を持ってくる。

 晴のすぐ側までやって来て、しゃがみ、コップを差し出す。


 「……」

 「アリガ……トウ」


 コップを受け取って、慣れない言語で礼を言う。

 ぺこりと頭を下げるエルミネは、やはり無言で無表情だ。

 それを気にすることもなく、晴は水を喉に押し込む。ひんやりとしていて、美味しい。

 コップを空にしてから、改めてエルミネを見る。

 美人だった。

 透き通るような白い肌に、鋭い刃物のようでいてガラスのように清麗な顔付き。

 黒を基調とするメイド服を纏ったその身体は、豊かな胸と細い腰という、男の視線を惹き付ける。

 エルミネの方が年上だろうが、歳もそれほど変わらないかもしれない。

 このような美人を近くで見れるのだ。修行の疲れも少しは吹っ飛ぶ……


 「小僧! やっぱりあと五十周、走り込みだわいのう!」

 「えぇ!?」


 修練場に、少年の悲痛な声が響いた。

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