第4話 勉強も忘れずに
天岸 晴がケルネオン・エルダートの弟子となってから、二週間が経った。
この二週間は、現代日本の生活に慣れ親しんだ晴にとって地獄であったと言っても過言ではない。
毎日エルダート特製の秘薬を飲んで修行に取りかかる。
この二週間で、色々な角度からの振り下ろし、振り上げ、横凪ぎを行った。
すべて空を斬るものだったが、それでも終われば気絶するのはいつものことだ。
目標回数に届かなければ、目が覚めたそばから走らされる。広い広い修練場を百周、二百周。
サボればたちまち師に殺されるだろう。明言したわけでもないのに、不思議とその確信があった。
本当に地獄であったが、己を剣武神と称すエルダートだけあって教え方は上手いのだろう。
別段要領が良い方ではない晴だが、砂漠が水を吸う如くに上達していった。
少なくとも、最初とは比べ物にならないほどにはなったのである。
そんな教えを施した師匠、エルダートが、突然晴の部屋に入ってきた。
ノックをしないのは今更言うことでもないが、珍しく脇には本が抱えられている。
そして。
「お勉強の時間だわいのう」
そう言ったのだった。
「……師匠?」
「なにを呆けておる。勉強だと言うに。ほれ、筆記用具を用意せんか」
取り合えず、部屋唯一の机の上に筆記用具を置いた。
エルダートもそこにどんと本を置く。
「今日の修行は……」
「今日の修行はなしじゃわいのう。代わりに、お前へ学を教える」
「学……ですか?」
「この世界の新参者のお前には、学ぶべきものが多くあるじゃろう。まぁ初めは言語からかのう」
「言語!?」
「ん? なんじゃお前。まさか都合よくお前の世界の言語がこちらでも使われているなどとは思ってなかろうな。神たる儂がお前の世界の言葉を知っておっただけよ。お前は今現在、儂以外の誰とも話せんわ」
エルダートの言葉に晴が軽く衝撃を受けた。
しかし、晴もよくよく考えてみる。
勉強……、勉強……。勉強……!
あれほど勉強が嫌いだったというのに、どうしたことだろう、晴はこれからの勉強に心が踊るようだった。
この二週間の地獄で傷ついた体が少しでも休まるのならば、もはやなんでもいい。
ものの価値は失って初めて痛感すると言うが、まさに勉強もそれだろう。
「では、始めるとするかのう」
「はい、師匠」
こうして、剣武神の授業が始まった。
◆ ◆ ◆
「コ……コ、コンニチハ……?」
「訛りに訛っとるのう」
言語の勉強を初めて三時間。
エルダートは頭を左右に振って、眉をひそめた。
「ま、いいわい。取り合えず、今教えた八十六語。復習を忘れるでないぞ」
「は、はいっ」
「さて、休憩を入れるとするか。そういえば……」
エルダートは改めて晴を見る。晴はエルダートの視線を受けて首を傾げた。
目を逸らさなくなっただけでも大した成長であろう。
「なにか、質問はないかいのう。勉強のことでなくとも、儂のことでも、なんでもいいわい」
「なんでも……ですか?」
「ああ。舐めた質問をしたら半殺しにするがのう」
物騒なことを言うエルダートに晴は肝を冷やしながらも、とある質問を投げ掛けた。
「師匠の弟子は……俺だけ、ですか?」
「そうだのう。他はいないわい」
「なぜ……」
それは、この二週間ずっと秘めてきた疑問であった。
なぜ、自分なのか。
人材は、自分よりも上の者が腐るほどいるだろう。
「お前が、弱いからだのう」
「え……?」
「強い者、才のある者。そういう奴等を剣武神の儂が教えれば、強くなるのは当たり前じゃわい。じゃが、弱い奴ならば? 平和の中で安穏と暮らし続ける者が、儂の教えを受けたならば?」
「言ってしまうと」エルダートがなんでもないことのように言った。「ただの興味本意じゃわい」
晴が、机の下に隠した拳を握り締めた。
エルダートの機嫌を悪くして、酷い目を見るわけにはいかない。
だが、この男は、自分の興味本意で他人の人生を滅茶苦茶にしたのだ。
けらけらと、エルダートが笑った。
「憎いか。……が、その怒りはまだ隠しておくことを勧めるわいのう。今のお前じゃ、どう足掻いても勝機はないわい」
「……」
「今は、耐えろ。その怒りを剣の執念に変えて、な」
何様だと言うのだ、という言葉は飲み込む。
エルダートの言う通りだ。今の自分では、なにもできやしない。
この男を殺せるのは、一体いつになることやら。
いや、自分が先に死ぬのかもしれない。だが。
──いつか……
そう、いつか。
ケルネオン・エルダートを、倒す。
晴は決意を胸に秘めた。
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