一瞬だけど、いつまでも

鬼童丸

本文

 皆さんには、忘れられない光景はありますか?

 ほんの一瞬の出来事だけど、まぶたの裏に強く焼き付いて、ふとした時に思い出してしまう――そんな光景が、僕にはあります。

 今日は皆さんに僕が見た「光景」のお話をしたいと思います。


 僕は小学生の頃から、自分用のノートパソコンを持っていました。本当は僕のじゃなくて家族共用だったんですが、それを買った両親が面倒くさがって使い方を覚えなかったので、ほとんど自分専用のノートパソコンになっていたんです。

 そのパソコンを使い始めて以来、僕はインターネットの世界が持つ魅力に惹き込まれていきました。特に好きだったのは、イラストやFlashゲームを公開している個人サイトを見て回ることです。

 色々なサイトを巡回していたので、今ではもう忘れかけてしまったサイトや、名前すら覚えていないサイトもありますが、でも初めて見たイラストサイトだけはよく覚えています。

 そのサイトは『Hato's House』という名前でした。確か、何か調べ物をしているとき偶然に検索サイトから辿り着いたんだったと思います。Hato's Houseでは漫画のキャラクターなどのイラストが数多く公開されていて、僕はそれらを驚きと興奮を持って受け止めました。当時の僕は、上手なイラストを描けるのはプロだけだと思っていたので、個人サイトにそんな魅力的なイラストがあるということを知らなかったんです。

 Hato's Houseには看板娘とでもいうべきオリジナルキャラクターがいました。それはフィッチという女の子で、両腕の代わりに翼が生えていて、髪の毛はインコのような黄緑色という不思議な姿をしていました。フィッチのイラストはかなりの数があったので、きっとそのサイトの管理人からとても愛着を持たれていたのでしょう。

 僕がHato's Houseと出会ってから半年ほど経ったある日、そのサイトで面白いコンテンツが公開されました。それはフィッチのイラストを使ったマウスポインターでした。鳥が空中で方向転換するかのように身体を捻ったフィッチが、限られたドット数の中で上手に表現されていました。

 マウスポインターの画像を変えられるということを知らなかった僕は、早速フィッチの画像を使ってみました。フィッチの翼の先が矢印の代わりになっていて、マウスポインターとしての使い勝手は意外にも悪くなかったように思います。

 その日以来、僕は何年もずっとフィッチのマウスポインターを使い続けていました。特に変更する理由が無かったので惰性で、というのが最大の理由ではあるんですが、実際のところ僕がフィッチの姿を楽しんでもいたのも事実です。僕がパソコンを使っている時、いつも視界のどこかにフィッチがいて、色々な操作を助けてくれる、というのが少しだけ嬉しかったんです。

 Hato's Houseのサイト自体は、やがて少しずつ更新の頻度が少なくなっていき、僕が中学三年生の時に閉鎖してしまいました。サイトの管理人はSNSもやっていなかったようなので、インターネット上でその人の活動を見ることは全くできなくなってしまいました。

 その頃には既に、僕はHato's Houseをあまり見ていなかったのですが、なんとなく「フィッチの故郷がなくなってしまった」という寂寞感のようなものが胸に残りました。それは悲しみというほど強い感情ではなかったんですが、心に隙間風が吹くような何かを感じたのは確かでした。

 高校生になると、僕は以前のように個人サイトを巡回することは少なくなって、SNSだったりネットゲームだったりでパソコンを使うようになりました。それでも依然として画面の上ではフィッチのマウスポインターが動いていました。ほとんど意識することもなく単なるマウスポインターとして使っていたんですが、たまにフィッチの姿を眺めては過去のことを思い出す時もありました。

 そんな生活に変化が訪れたのは、高校2年の秋頃のことでした。僕は以前からマウスを使わずにタッチパッドでパソコンを操作していたのですが、次第にタッチパッドの調子が悪くなっていったんです。

 症状が軽いうちは、タッチパッドから指を離した時にマウスポインターが少し右上にズレるだけでした。だけど何日かすると少しずつズレが大きくなっていって、やがて常にマウスポインターが右上に移動し続けるようになりました。そして最終的には、マウスポインターは画面の右上に隠れたまま少しも動かなくなってしまったんです。

 画面の右上には、フィッチの翼の黄緑色が僅かに見えていました。何も知らなければそれがマウスポインターだとはとても分からないでしょう。そんな状態でもキーボードを使ってある程度の操作はできましたが、やはりタッチパッドを使えないと何をするにも不便でした。

 そのパソコン自体が既にかなり古くなっていたこともあり、僕は親から新しいノートパソコンを買ってもらいました。新しいだけあって使い心地もよく、僕はすぐに新しいパソコンに慣れることができました。

 ただ、さっきも言ったようにフィッチのマウスポインターは惰性で使っていただけなので、わざわざ新しいノートパソコンに移すことはしませんでした。というよりも新しいノートパソコンを使い始めた時点でマウスポインターのことなんて完全に忘れていたんです。

 そんなわけで、僕は新しいパソコンと共に毎日を過ごしていきました。だけど以前のパソコンの症状がなんとなく気になる時もあって、そんな時だけは以前のパソコンを開いていました。そしてやはりマウスポインターが動かないことを認識して再び電源を切るんです。

 そんなある日、古いパソコンがいつもとは違う動きを見せたことが一度だけありました。その時、僕は何気なくパソコンを開いて、どうせまたダメだろうという気持ちでタッチパッドをぐりぐりと擦っていました。すると突然、画面の右上に隠れていたフィッチのマウスポインターが動き始めたんです。

 僕が画面を注視する目の前で、フィッチは画面の右上から左下へ、スゥーッと動いていきました。かつて毎日のように見ていた、かすかに微笑んだ表情が僕の目に映りました。そしてフィッチはほんの数秒で再び画面の左下へ隠れてしまいました。驚いた僕が慌ててタッチパッドをいじくっても、もうフィッチは姿を見せませんでした。

 その日、僕は古いパソコンを処分することを決心しました。今にして考えると、それまで処分しなかったことが不思議なぐらいなんですが、もしかするとフィッチの姿が見えなくなっていたことが心残りだったのかもしれません。当時の僕にとっては、その数秒だけでもフィッチとのお別れとして充分だったのでしょう。


 それからというもの、僕はふとした時にその瞬間のことを思い出すようになりました。フィッチが画面を斜めに横切っていく、その数秒の光景がどうしても忘れられないんです。

 社会人になった今でも、それは変わりません。部屋の中で一人になった時、ふとフィッチの最後の姿を思い出すことがあります。そして彼女がもうどこにもいないという事実を噛みしめて、少しだけ寂しい気持ちになるんです。

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