虚構の命と、小説を書くこと。
五条ダン
虚構の命と、小説を書くこと。
「キミは、命に対する責任を取らなくてはいけないよ」
友人が厳しい表情で言った。ボクは曖昧に頷くけれども、どうしたら良いのか決めかねていた。
成仏させるには最後まで書き切るしかなく、除霊をするならハードディスクから完全に抹消するしかない。しかし今の自分には、そのどちらもできる気がしない。
「彼らを生かすか殺すかは、キミが決めるんだ。小説を書くとは、そういうことだよ」
それは、友人が言えばこそ、説得力を持つ台詞だった。なぜなら彼も実在の人間ではない。ボクが
友人は二言三言の警告を残し、部屋の空間に溶けて消えていった。
ボクは頭を抱えて、ため息をつく。
声が聞こえるようになったのは、かれこれ二週間ほど前のことだった。
それは例えば、お風呂あがりにパソコンを起動して、動画サイトでアニメをまったり視聴するとき。あるいは夜更かししてWeb漫画を読みふけるとき。
「タスケテ……タスケテ……」と嘆きのような声が頭に響く。
ときには幼い女の子の声で、ときにはしわがれた老人の声で、聞くたびに声色が変わるのだけれど、そのすべてにボクは心当たりがあった。
「ワタシヲ……ココカラダシテ……」「ダシテ」「ダシテ」
また声が聞こえる。
居ても立ってもいられない。どす黒くてモヤモヤとした焦燥感に襲われる。
パソコンのマウスを握る右手が勝手に動き出して、エクスプローラーを立ち上げる。マイドキュメントのなかの原稿フォルダをダブルクリックすると、声はますます大きくなった。
「ハヤク……ツヅキヲ……カイテ」
ボクはびっくりして椅子から転げ落ちる。
忘れるはずがない。
つまりそれは、書きかけの物語の、登場人物たちの声だったのだ。
未完のまま、数年間放置した原稿のオバケ。
その虚構世界に住まうキャラクターは、生きることも死ぬことも叶わず、静止した時間をさまよい続ける。
自分たちを見捨てた神様を恨みながら。
「許してくれ。頼む」
うずくまって床に頭をつけ、謝罪を繰り返す。
しかしそんな暇があったら、ボクは一刻も早く原稿を書かなくてはいけないのだった。
小説なんて誰でも書けるんでしょ? と言う人がたまにいるが、とんでもない話だ。世の中の99%の人たちは小説を書かないし、仮に書き始めても完結させることができない。
かくいうボクは、小説を読むのが好きで、書くのも好きな人間だ。しかしそれでも、途中で筆を折った作品の方が圧倒的に多い。
創作フォルダはお蔵入りのプロットや未完の原稿であふれかえっており、もはや手のつけようのないオバケ屋敷と化している。
物語を完成させるのは、それほどに難しい。
「それなら、こういうふうに考えたらいいんじゃないかな」
顔をあげると、友人が手を差し伸べてくれていた。しかしその手を掴むことは叶わない。彼は実体を持たないキャラクターだからである。
「小説家っていうのはね、ゴーストバスターみたいなもんなんだ。頭のなかに浮かんでしまったキャラクターや不思議な現象。追い払おうとしても何度も浮かび上がる想像力の怪異。そんなオバケを成仏させるために、小説家は筆を執る。原稿用紙にオバケを封じ込めて、退治するんだ」
ボクはゆっくりと立ち上がる。
「そうだね。ボクらは戦わなくちゃいけない」
小説は、読者を楽しませる手段、面白さを提供する道具である以前に、ひとつの存在であり、ひとつの世界である。
虚構である存在は、たしかにまぎれもなく、今ここに生きている。
だから、――命に対する責任を――。
創作怪異への畏怖を心に刻んで、今日もボクは取り憑かれたように書き始めるのだった。
(了)
虚構の命と、小説を書くこと。 五条ダン @tokimaki
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