ふぐ毒と銃弾とお茶漬け

近藤近道

ふぐ毒と銃弾とお茶漬け

 僕の両親はふぐが好きだった。

 好きだと言ったことはなかったけれど、どういうわけか僕の家では豪華な食事の代名詞がふぐで、両親はなにかあるごとにふぐを食べに行きたいと言うのだった。

 その影響で僕はふぐ調理の免許を取って、料亭でふぐをさばくことになった。

 しかしこの職業、僕には合っていなかった。

 僕のミスで人が死ぬかもしれない。

 そのプレッシャーにいつも潰されている。

 家の玄関ドアの鍵を開けながら、今頃になって苦しんでいるなんてことないだろうか、と想像してしまう。

 あり得ないことなのだが、苦しんで死ぬ客たちの姿が勝手に浮かんでくる。

 彼らの霊が両肩に乗り、重い。

 たぶん生きているのだから乗る霊なんていないけれど、でも僕にのしかかってくるこの重圧は霊としか言いようがない。

 死んでなければいいんだけれど。

 重くなった体で引っぱるようにドアを開ける。

「死ね!」

 妻のミカがそう言って、拳銃を構えた。

 僕は両手を挙げたのに、ミカはその動きに反射したような感じで引き金を引いた。

 銃はモデルガンで大した音はせず、疲れて鈍くなった体では痛みも感じなかった。

「びっくりしたよ」

「してないじゃん。おかえり」

「疲れててリアクション薄かっただけ」

 と言うか、それ買ったの。

 しかも玄関でずっと待ってたの。

 そう聞きたかったがミカが先に、

「めしふろねる?」

 と聞いてきた。

「うん。でもあんま食欲ないから軽めで、ちゃちゃっと食べたい」

「おうけい」

 ミカは踵を返し、台所へ向かう。

「あ、ただいま」

「うん?」

 聞き逃したらしく、ミカが振り向く。

「いや、えっと。買ったの、それ」

「そう。今日届いたの」

「死んだふりした方がよかったのかな」

「次からはよろしく」

 ミカは腰のホルスターに拳銃を納め、台所に入った。

 逃げ切れた。

 家に帰ってミカの顔を見ると、そう思う。

 僕はリビングに入り、コートを脱いだ。

 それでもまだ霊のイメージはまとわりついている。

 ソファに体を預け、重みを全て背もたれに押し付けようとした。まぶたが自然と下がってくる。眠たい。

 台所から、がちゃがちゃと食器を動かす音が聞こえる。

 まるで食器棚の中身をかき混ぜているみたいな騒々しい音だ。

 だけど聞き慣れた音だった。

 絶えずがちゃがちゃと鳴っているが、ミカが食器を割ってしまったことは一度もない。

 僕は目を閉じて、ミカの騒音に身を任せる。

 食器が荒くぶつかり合う中で、今日の記憶が細かく砕かれる。

 死体たちがぼやけていき、やがて消える。

 元々客なんて一人も来ていなかったみたいに、粉々に割れた記憶は脳の表面からこぼれ落ちていった。

 破片にはもうなんの色もなかった。

 輝いているように見えないこともなかったが、注意して見なければただの粉だった。

 その小さな光には目をくれず、ひたすら脳から記憶を剥がしていく。

 いつの間にか音は聞こえなくなっていたが、僕はそれに気がつかず記憶を剥がし続けていた。

 どん、とテーブルに茶碗が置かれる音で目を覚ます。

 お茶漬けだった。

 それもインスタントのものだ。

 あれだけの音を立ててもお茶漬け。

「お待たせ」

 とミカが言った。

「食べやすくていいね」

「と君が言ったから」

「字余りだね」

「記念日」

「どんな記念日だよ」

 僕はお茶漬けを観察する。

 ちょっと具材を足すとか、そういう工夫は見当たらない。

 本当にただのインスタント。

 音との対比が面白くて、笑いそうになる。

「いただきます」

 両手を合わせ、顔を伏せた。

 僕が食べ始めると、向かいに座ったミカは缶ビールを開けた。

 ぱしゅっという音が鳴る。

 顔を上げると、ビールを飲みつつ僕を見ているミカと目が合った。

 見られているなあ、と思いながら僕もミカを見ていた。

 ミカの喉が動く。一定のペースでビールが飲み込まれていく。

「なに見てるわけ」

 ミカは缶を口を少しだけ離して、眉を寄せた。

 その表情のまま銃を抜いた。

 ばあん。

 そう言って、引き金は引かず、反動で銃が持ち上がる真似をスローでする。

 そしてミカの口元が緩んだ。

 僕は撃たれてもがき苦しむ真似をした。

「ぐおお」

 撃たれた胸を鷲掴みにするように押さえ、声を上げた。

 するとミカは苦笑した。

「なんか、毒盛られた人っぽい」

「毒には縁があるからなあ」

 僕は溜め息をつき、お茶漬けを掻き込んだ。

 ミカはまたビールを飲みつつ僕を見ていた。

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ふぐ毒と銃弾とお茶漬け 近藤近道 @chikamichi

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