末路

津田梨乃

末路

 今日も残業。いつものことだ。人使いの荒い雇い主に辟易するが文句は言えない。体についたゴミを掃うこともできず、自然と落ちたそれらを見つめるのが日課になっていた。


「よう、今日も疲れたな」

 仕事が終わり、共同スペースに帰ると先に戻っていた同僚のEさんが迎えてくれた。彼の自慢の尖ったような頭部が、心なしか萎れて見える。セットに時間はかからないそうだが、簡単にできるものではないらしい。


「明日は何時になるかな」ぼくは、聞く。

「そーさな。今日の様子だと、朝はゆっくりできそうだが」

 ぼくらの仕事に固定された就業時間はない。比較的ゆっくりできる日もあれば、朝からフルで活動することもある。場合によっては場所を移動し、見知らぬ環境で働くこともある。その際、特別な手当は出ないし、雇い主からの労いの言葉は皆無に等しい。

 いわゆるブラックというやつだった。


「あら、わからないわよ」

 A姐さんが、真っ赤な装いのまま会話に水を差した。ほぼ原色そのままの見た目にも関わらず彼女からは、きつさと一緒に、落ち着いた雰囲気も漂っているから不思議だ。これが中堅どころの貫録なのか、といつも感心する。


「唐突に仕事が入るなんて、最近しょっちゅうじゃない」

 その通りだった。Eさんが立てた予想は間違いであることのほうが多い。別にEさんがいい加減だというわけではなく、雇い主の行動があまりにも気まぐれなのが原因だ。彼は、ぼくらのことを人間だと思っていない。不当な扱いは日常茶飯事だった。だからといって不満を進言できる立場でもないため、泣き寝入りをしているのが現状だ。どうにかして意見を言うことができればいいのだが。


「ちょっと先輩見てくださいよ」

 ぼくの考え顔なんて、まるでお構いなしにSくんが話しかけてきた。言葉通り見てみると、体中黒くくすんだSくんがいた。一体どうしたのかと思わず声をあげてしまう。


「いやあ、急に配置変えされちゃって。真っ黒ですよ」

 その配置は、どうやら雇い主のミスだったようだ。すぐに元の配置に戻されたらしい。言うまでもないが謝罪の類いはなかったそうだ。

 それにしたって、すごい汚れようだ。ぼくは、Sくんの姿を見て怒りが湧いてきた。いくらなんでも横暴すぎる。そろそろぼくらは、何かを起こさないといけないのではないか。


「やめとけ。お前はまだ若いんだ」Eさんが、ぼくの表情を察してか、宥めにかかる。

「そうですよ。自分は大丈夫ですから」

「よくない!」

 つい何も悪くないSくんに声を荒げてしまった。最低だ。


 だけど、ぼくは知っている。最近Sくんが、ぼくらの見えないところで体内に入れたものを意図せず出してしまっていることを。A姐さんだって、ぼくが来た頃と比べて、明らかに瑞々しさを失っている。Eさんは強がってはいるけど、この場にいる誰よりも身を削って働いている。みんな体に限界が来ているのだ。


「どうせ刃向うなら、オレのほうが適任さ」

 Eさんが、ぽつりと呟いた。なぜ、とは誰も言わなかった。彼は先に控えた、とあるイベントを機に契約が切れてしまうのだ。それが成功しようがしまいが、彼との別れは避けられないものだった。

 だからといって、じゃあお願いしますと彼に全てを託せるほど厚顔無恥ではないし、薄情でもなかった。


「そんなこと関係な」

「関係ないわ」

 ぼくの熱血ドラマもかくやと言わんばかりの叫びは、見事にA姐さんの声に押しつぶされた。

「どういうことだい。Aの嬢ちゃん」

 Eさんが聞く。A姐さんのただならぬ様子に、ぼくとSくんも固唾をのんで状況を見守る。


「聞いちゃったのよ。お偉いさん二人が、私たちをまとめて処分しようって話をしているのを。そのうち、会長が新しい人材を連れてくるわ。そうなったら私たち全員おしまいなのよ!」

 にわかに信じられない、いや、信じたくない話だった。確かに最近、輪にかけてぼくらの扱いは雑になっていた。反論の声は上がらない。

 結局、ぼくらは使い捨てられるだけの、都合のいい存在だったってことか。

 目の前が真っ暗になった。


 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「あら、フユヒトさん。まだそんな物使っていたの。ダメよ縁起が悪い」

 そう言って女は、新しい文房具を取り出して、フユヒトに渡した。

「ほら、新しいの買ってきましたから。今年こそ、絶対に大学に受かるのよ! まずはセンター試験頑張ってね」

「ありがとう。ママ」

 黒ずんだ文房具たちは、ゴミ箱に棄てられていった。

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末路 津田梨乃 @tsutakakukaku

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