第9話 被害者と加害者は簡単に入れ替わる

 昨晩起きたシュヴィアールの館火災騒動は、その後に救援に駆けつけた者も巻き込んだ大騒動となった。


 先行して駆けつけた、ベアトリクス達が音信不通になった為、それに慌てた衛士隊の上層部が、ドノヴァに滞在している水属性に強い魔術師を大量に動員した。


 だが、そうした対応にも関わらず、消火は遅々として進まなかった。


 それと言うのも、増援に来る者はことごとくパラディールの息が掛かっていた為、派閥外のサイラスの忠告などに、耳を貸そうとしなかったからだ。


 そのせいでその火災の、真の恐ろしさを知らずに、次々と魔術師を投入していった。


 確かに最初は順調に進んだのだが、直ぐにキノコ毒の効果が現れて、マスクをしているサイラス達以外の全員が、他の者と同様に狂いだした。


 結局消火しきれずに再び火の手が上がり、パラディールとは無関係の者達が再編されて駆けつけるも、サイラスの忠告を聞き入れると、消火を断念する他無かった。


 強力な風魔法で、キノコ毒のガスを吹き飛ばそうにも、大量の空気の流入は火の勢いを強めるだけで無く、周囲に火の粉を撒き散らし、森林火災を引き起こしかねない。強力且つ広範囲に及ぶ水魔法〈テンペスト〉の使い手でも居れば良いのだが、生憎ドノヴァには居ない。いや、心当たりが無い訳ではない。


 一人は今回の違法薬物に関わっているとされる冒険者を殺害した者。


 彼が持つ〈氷槍〉の威力から推察するに、強力な水系の魔法使いだと思われる。


 そして、もう一人がアヤメだ。


 他から聞き及ぶ彼女の噂が本当なら、間違いなく強力な使い手の筈だ。


 しかし、彼女は火を消そうとはしなかった。と言うより、敢えて消さなかったのだろう。


 この火災事故の顛末は、ドノヴァどころか帝国全土に、この恐ろしいキノコの事を広める切っ掛けとなる。そして、その顛末で語られる効果の見境無さが、この薬の恐ろしさをを際立たせ、利用しようとする者を躊躇わせる効果もある。


 更に、ここまで騒ぎが大きくなると、本国も重い腰を上げて真相究明に乗り出さなければならない。そうなれば、パラディール達も否応なしに、今回の騒動の矢面に立たされる事になる。その辺を見越した上で、彼女は放置したのかも知れない。


 そして、その彼女の意向を汲んだかの様に炎が辺りを蹂躙し、同じ列に並んで密集していた小屋全てを焼き尽くすまで、炎の勢いは止まらなかった。


 結局、遠巻きに見ている彼等が出来る事と言えば、飛んできた火の粉で森が類焼するのを防ぐ事ぐらいだった訳だが、この時ほど、自分が無力でちっぽけな存在である事を、思い知らされたサイラスは後々に語る。


『俺達は神様じゃないんだから、出来ない事や手の届かない事なんて山ほどある。だったら、それをサッサと受け入れて、頭を切り替えるのが一番だ。せいぜい俺達に出来る事と言えば、次に訪れる運命をより良い物にする為に足掻く事ぐらいだからな』


 その言葉は、言い訳に聞こえなくも無いが、そう言って嘯く彼も、今この場では人並み以上に緊張していた。


 シュヴィアールの館で見た豪奢な応接室も大概だったが、今彼が待たされている応接室は、その上を行く桁違いの広さを誇り、豪奢な調度品で埋め尽くされていた。


 部屋のドアが開き、執事を伴って一人の男が入ってきた。


「今更儂に何の用だ?」


 その男は、サイラスを睨み付けながら口を開くと、サイラスは直ぐに立ち上がり、その男に一礼して挨拶を口にする。


「マルセル・グレゴワール・ド・ドノヴァ侯爵閣下、ご機嫌麗しゅう御座います」


「ああ、だがたった今、機嫌が悪くなった所だ。心にも無い型どおりの挨拶なんて止めて、用件だけをサッサと言え。サイラス」


 不機嫌そうな表情を隠さずにサイラスそう言い、顎でしゃくりながらソファーに座るよう促すと、彼自身もサイラスに対するようにソファーに腰を掛ける。


「家を飛び出して早五年、それまでの間、全く実家に寄りつかなかったお前が、ノコノコと顔を出したんだ、茶飲み話をしに来た訳じゃあるまい」


 相変わらずの実父の態度に、苦笑いを浮かべたサイラスは、直ぐに顔を引き締めて、用件を切り出す。


「では、率直に言わせて頂きますと、本日侯爵閣下の元にお伺いしたのは、閣下に協力して頂きたき件がございましたので」


「それは何だね」


 マルセルが先を促すと、サイラスは本題を口にした。


「あなたが所有している錬金術の実験設備を、少しの間貸して頂きたいのです」


 その本題を耳にしたマルセルは、運ばれて来たティーカップに付けようとしていた手を止めて、サイラスに皮肉を返す。


「おや、珍しい事もあったもんだ。錬金術などに欠片も興味を示さなかったお前が、実験設備を貸せだと? フフフ。どうやら明日は、空から魚でも降ってくるんじゃ無いか?」


 そう言って、止めていた手を再び動かしてカップを取り、お茶を口に含む。


 サイラスはその様子を眺めながら、更に話を進める。


「私が使う訳ではありません。とある人物に貸して頂きたいのです」


「ふむ、そうだろうな。お前が錬金術なんておかしいと思っていた。で、その人物に、実験設備を提供するメリットは、儂にあるのか?」


 昔なら、そんな意地悪は言わずに、喜んで貸していたであろうが、今、マルセルは、そう言う気にはなれなかった。


 意見が合わず家を飛び出すだけならまだ良いが、よりによって敵対している、パラディールの犬に成り下がった我が子に対して、心中穏やかに居られよう筈が無い。


 サイラスは無論、そういうつもりで衛士隊への道を選んだ訳では無い。ただ、民によって支えられている貴族が、上から目線で民をないがしろにするまつりごとの進め方が気に入らないし、家督を相続して、その仲間になる未来など受け入れられなかった。


 しかしマルセルにとって、彼のそう言った理屈は関係ない。息子が裏切り、敵側に付いた。それが全てだった。


 勿論サイラス自身も、そう言う事は充分に弁えているので、一歩引いて息子としてでは無く、衛士隊の一衛士として、彼と相対している。


「ええ、一衛士として、侯爵閣下にご提案があります。この話は、閣下にとって非常に都合が良いと存じますが、お聞きになられますか?」


 そう言ってサイラスが、自信満々で笑みを浮かべる。


 全てにおいて、慎重で用心深かった息子が浮かべる自信満々の表情は、マルセルの興味を引きつけるのには充分な威力がある。


「話を・・・・・・・・・聞こうか・・・・・・」


「ええ、決して閣下を失望させませんよ・・・・・・」


 マルセルの答えを聞いたサイラスはそう言って、早速提案の内容を話し始めた。




 *****




「凄い屋敷だな・・・・・・屋敷の中に、帝国アカデミー並みの錬金術の実験設備が、丸ごと入っているなんてな。しかも、設備の控え室だけで、下手な貴族が持っている書斎よりも、遙かに広いと来たもんだ」


「ドノヴァ侯爵の屋敷ともなれば、その程度は揃っていて不思議じゃ無い。この港町を含むドノヴァ領を治めるだけじゃ無く、帝国でも一二を争う錬金術師でもあるから」


 感心しながらレイが部屋の中を見回すと、ミオがドノヴァ侯爵について説明した。


「それにしても、この部屋は広過ぎて逆に落ち着かんなあ」


 レイの向かいに座っているマーロウが部屋の広さに毒づくと、レイは彼に謝りながら問い掛ける。


「悪かったな、少しでも時間を節約したいから、ここに御招待させて貰った。で、どうだった?」


「ああ、一応あの冒険者について調べてみたが、あいつら・・・・・・相当のワルだったみたいだな。そうだな・・・・・・冒険者の悪い面を、全て背負ってると言ったら良いのか、受ける仕事もヤバい物ばかりだったようだ」


 そうだろうとレイは頷きながら聞く。


 伝え聞く限り、その冒険者は余り素行が良く無さそうだったので、マーロウに詳しく調査させたのだ。


「どうも奴らは、娼館の女主人殺害にも関与しているようだ。それも依頼からじゃ無く、奴らが主導していた節がある」


「どう言う事だ?」


「元々、『レギオン』と女主人の関係は、それほど悪く無かったようだな。だから、『レギオン』からの殺害依頼なんて、有り得ない筈だったらしい。――――そして、これはある筋からの情報だが・・・・・・」


 マーロウはそう言って前置きし、更に先を続ける。


「あの不良冒険者、『レギオン』からの依頼で、上納金の集金を任されていたらしいんだが、どうやら奴らは、そいつをピンハネしていたらし・・・・・・」


 それを聞いたレイはマーロウに対して、右手の平を翳すような仕草で話を遮る。


「待て待て待て! すると何かい? 連中は泣く子も黙る闇組織から、上納金をピンハネしていたのか? ――――随分と大胆な真似をする奴らだな。バレたら間違いなく、ドノヴァ湾に沈められるというのに」


「その辺は連中も巧みでな。一回のピンハネを誤差の範囲で収めていたので、数字に強い奴でも無い限りは、気付く事が出来なかったようだ」


「と言う事は、気付いた奴もいたのか?」


「ああ、そいつが殺された女主人だったと言う訳だ」


 元々、あの界隈で生活する者の、知的水準のレベルは総じて低い。


 金勘定が出来なければ商売は出来ないのだが、一般の商品の取引とは違い、風俗店の金勘定はどんぶり勘定が横行している。その為、金勘定が出来ると言っても、細かい部分が大雑把なので、少なからず収支に誤差が生じる。


 それ故、あの連中もそこに付け込んで、誤差分をピンハネした訳だが、運の悪い事にその女主人にその事を感づかれてしまった様だ。


「娼館の女主人といえど、どうしてそこまで数字に強かったんだ? あそこの連中の殆どが、簡単な足し算と引き算しか出来ないレベルじゃ無いのか?」


「それなんだがな。その女主人は、どうやら帝国アカデミーの卒業生らしいんだ」


「チョット待て! 帝国アカデミーを出ているのに、何でまた娼館で体を売らないといけなかったんだ?」


 帝国アカデミーの出身者は、総じて貴族や豪商などの金持ちが多い。没落貴族や破産した商人でも無い限りは、生活に困って体を売るなんて想像出来ない。それに帝国アカデミーを出ていれば、それなりの仕事に就ける。そういうのが好きというのなら分からなくも無いが、そうで無ければ娼婦なんて、仕事からあぶれた者が就くような仕事だ。


「さあ、そいつは分からん。その女主人の下で、可愛がって貰っていた娼婦から聞いた話だ。余り詳しい経緯は教えて貰えなかったが、彼女がどこの出自かは教えて貰えた」


 マーロウはそう言いながら辺りを見回し、もっと近付くようにレイへ手招きする。


 この部屋には、ミオの他にも、スタンレイ班の面々が揃っている。


 余り他に聞かせると問題があるのだろうとレイは察して、誘われるがままに顔を寄せる。するとマーロウは口元を覆い、他に聞こえないように耳打ちする。


 耳打ちの内容を聞き、少し驚いた表情を見せるレイだが、改めて周囲を見回して、溜息を吐きつつ小声で呟く。


「そいつは大醜聞スキャンダルだな。こんなもん言い触らしたら、命が幾つあっても足りない。良く教えてくれたもん・・・・・・いや、さては寝物語で聞き出したろ?」


 こんな危険な話を教えるぐらいだ、その娼婦との関係はかなり親密なのだろう。しかしマーロウは、この詰問に対し無言で答えたので、レイとしても一応は釘を刺しておく。


「仲良くなるのは結構だが、余り深入りするなよ。どっちも不幸になるからな」


「さあ、どうかな。向こうも一応はプロだから、割り切ってる筈だがね」


 一抹の不安は残るが、レイとしてもマーロウの、この言葉を信じるしか無い。


 その不安を振り払い、気を取り直すつもりで、レイは先程の話に戻る。


「しかし、今の話を総合すると、冒険者殺しの容疑者は一気に増えるな。裏切られた『レギオン』絡みの人物に、女主人に近しい娼婦や親密な顧客、女主人の血縁者。尤も、この三つのグループの中でも、娼婦は除外しても良いだろう。彼女らは意思はあっても、実行力が伴わない。多分、この中で一番怪しいのは血縁者だろうな。あの家柄だと、誰もが魔法に長けている」


「どうしても犯人捜しする気か?」


 マーロウが問い質すようにレイに尋ねると、レイの方はヒラヒラと手を振って答える。


「いや、正直言って、もうどうでも良いと思ってる。連中は自業自得だし、サイラスには悪いが、衛士隊にそこまで義理立てする必要も無いからな。それにもし、その殺人が女主人の敵討ちなら、犯人を放置した所で、これ以上は何も起きないだろうよ」


「冒険者の敵を討つ為に、犯人が狙われる可能性はないか?」


 更なる可能性を言及するマーロウに対して、レイはナイナイと左右に手を振って答える。


「連中に、そんな人徳などある訳無いって。流れ者の様だし、この街での素行も、聞く限りでは相当悪いみたいだ。それこそ敵は多いけど、連中の為に手を汚す者など居ないだろうね。まあ、今の内容は他の者に話すなよ。そうでないと、お前さんにも危険が及ぶ」


 そして最後には、真剣な表情になって忠告した。


「分かってますよ」


 そうマーロウが答えると、実験室の扉が開き、中からアヤメが出てくる。


 彼女は、そのままレイの所まで歩み寄ると、睨むミオなど一切気に掛けずに、彼の横に腰掛けた。


「ご苦労さん。上手く分析出来たか?」


 そう問い掛けると、アヤメは頷いて、途中経過を報告する。


「ええ、後は動物実験の結果待ち。でも、あのレポートに書かれていた抽出方法は、かなり杜撰だった。ベルセルクの成分を抽出して、その出涸らしを、そのままエロースとして製造していたみたい。だから、エロースにはベルセルク程の完成度は無く、服用した場合は、やはり二対八の確率でベルセルクの効果が現れる可能性がある。今は、それを実験で実証している最中なので、もう少しの間だけ待ってて」


 彼女がそう言い終わると、出入り口の扉が乱暴に開かれる。


「スタンレイ班はここですか!」


 若い衛視がノックもせずに、いきなり部屋に入って叫んだ。


 見た所その衛視は、かなり慌てている様子が窺われる。


「そんなに慌ててどうした! 取り敢えず落ち着いて話せ」


 この部屋の別の一角で、他の衛士と机を囲んでいたサイラスは、立ち上がってそう言うと、荒い息を吐いている衛士を一旦落ち着かせて報告させる。


「ハッ! 『プリズンリーバ』で大規模な乱闘事件です。北街も南街も今動ける衛士が半数にも満たない状況ですので、総動員しても足りません。休暇中のスタンレイ班も直ちに出動するよう、要請がありました」


「で、場所は何処だ?」


「『男娼の館チェリーボーイズ』です!」


 その店はリオンが監禁されている場所の可能性が高いと、今朝方話題に上っていた。


 実験室から出てきていたクロエだけで無く、ミオまでもがその店名を聞いて、居ても立っても居られずに部屋から飛び出す。


「二人とも待て!」


 制止しようとレイは叫ぶが、二人の耳には入らない。


 その様子にサイラスは、傍に居た部下達に向いて声を掛ける。


「野郎共と女郎共、あの二人に後れを取るな! 目標『男娼の館チェリーボーイズ』、全員出動だ!」


「了解!」


 疲れ切っているはずの一同が、元気よく声を上げて、先に飛び出したサイラスに続くと、その後ろからレイとアヤメだけで無く、マーロウも続いた。




 *****




 押っ取り刀で現場に到着したサイラスは、周囲の状況を見て唖然とする。


 イケメン男と悪人面の男達だけで無く、後から入った衛士隊の一部が入り交じって、文字通りの大乱闘になっている。そして店の入り口からは煙が漏れていた。


「一体何が起っている!」


 傍に居た衛士にサイラスは問い詰めると、衛士は慌てて状況を説明する。


「はい! 我々が到着したと同時に、最初に仲裁に入っていた警邏班の衛士が突然狂い出しまして、今ではあの様に一緒になって乱闘に加わっています。あの煙は、我々がここに到着した時には既に店から出ていました」


 店の入り口からは、モクモクと煙が出ていて、中で火災が起きているのは明らかだった。すると、後ろから追いついてきたレイが、手にしていた葉っぱを、状況説明した衛士の口に突っ込む。


「モガ!」


 声にならない抗議を上げようとしていた衛士に、レイは乱闘中の衛士を指差して怒鳴るように説明する。


「ああなりたく無ければ、文句を言わずにそれを食え! しばらくは持つ! それとサイラス! この葉っぱをこの場で無事な奴に全員食わせろ! なるべく急げよ! それと、お前らは、アヤメに貰ったマスクを付けろ」


 そう言ってサイラスに、いつの間にか手にしていた葉っぱを押し付ける。


「それとアヤメ! マスクはあと何枚ある?」


「十枚程度」


「悪いが、それを全部寄越してくれ」


 アヤメは枚数を聞かれた時点で察していたのか、懐から出していたマスクをレイに渡す。


 レイが再びサイラスに向くと、葉っぱを全て部下に託している所だった。


 それが終わるのを待って、再びサイラスがレイに向くと、今度はマスクを彼に渡しながら言う。


「マスクはこれだけしか無い。このマスクはなるべく腕っ節の強い奴に渡して、暴れている者を取り押さえさせろ。その他の連中は負傷者と野次馬を、なるべくここから遠ざけてくれ。『有毒ガスが発生している』と言えば、動ける者は全員逃げ出すだろう。後は動けない者や逃げ遅れた者をフォローしてくれれば良い。それと、渡した葉っぱは、ガスの強弱や性質にもよるが、三十分程度なら必ず持つ。マスクを付けていない者は、それまでに作業を完了し、待避させるんだ。あと消火は俺達でやって置くから、お前さんらは今言った作業を、衛士隊に徹底させてくれ」


「分かった!」


 サイラスはそう言うと、その場から離れて彼自らが伝令となって、各班に指示を伝えに廻った。


 レイは今までのやり取りを、唖然として見ていた衛士に尋ねる。


「俺達が来る前に、二人組の少女を見なかったか?」


「えっ! ええ。その二人なら、あなた方が到着する直前に、あの店の中に飛び込んで行きました」


 その衛士は、突然の質問に少し慌てたものの、直ぐに気を取り直して質問に答えた。


「ありがとう」


 衛士に向かって礼の言葉を口にし、すぐさまマーロウに振り返って指示を出す。


「マーロウはここに踏み止まって、サイラス達を手伝ってくれ。あと、こいつは三十分置きに口に含めよ。それじゃ行くぞ! アヤメ」


 レイはそう言って、マーロウに数枚の葉っぱを渡すと、アヤメに声を掛け、煙の上がる店の中に飛び込んで行った。


 店に入ると、風通しが良いのか、それほど店の中には煙が充満していなかった。

 煙の出所を辿っていくうちに、地下の倉庫へと辿り着く。


 どうやらここが火元らしい、それが証拠に倉庫の一角が赤々と燃えている。


「アヤメ! 消火を頼む」


 そう言い終わるよりも早く、大きな水の玉数個を炎の回りに浮かび上がり、それが一気に弾けて、燃え盛っていた炎を一瞬で消し去った。


「言うまでも無かったな。ありがとう、アヤメ」


 そう言いながら、火元だった場所に近付く、するとそこには割れたランプに、ベルセルクと思われる丸薬と、それの入った瓶が散乱していた。


 恐らくこの店を拠点に、この物騒なクスリ売り捌くつもりだったのだろう。


「どうやら不幸な事故が重なって、火災になったようだな・・・・・・。全く、はた迷惑な事だ」


 加害者(予定)が被害者に早変わりした瞬間だった。


 大方、箱を整理している時に落として、照明代わりに置いていたランプに直撃したのだろう。もしかしたら整理していた本人にも箱が直撃して、しばらく気を失っている間に、燃え広がったのかも知れない。


 焼死体が無い所を見ると、何とか逃げ出せたみたいなのが救いではあるが・・・・・・。


 ふと、奥の部屋から肉のぶつかり合う音がする。


 レイ達は一旦倉庫を出て、地下の廊下伝いに音のする方へ向かう。


 すると、ドアの開け放たれた部屋へと突き当たる。


 開かれた入り口からは、拳や蹴りを打ち付ける様な、激しい打撃音が聞こえる。


 レイは部屋に入ろうとしたが、中から聞こえる声を聞いて、慌てて入り口の影に隠れる。


 ズッドーン


 激しい爆音と共に、激しい炎が入り口から噴き出す。


 間一髪で躱し、レイは深く溜息を付くと、反対側の陰に隠れていたアヤメが口を開く。


「多分今のは、クロエが放った〈火矢〉フレアアロー


「〈火矢〉? 嘘だろう? いくら何でも威力が強くないか?」


「うん、間違いない。彼女は非常に高い素質を持っている。是非ともうちの研究所に迎え入れたい」


「成る程ねえ、金の卵という訳か・・・・・・・・・」


 レイはそう言いながら、ドアの向こうを覗き込む。そしてそこに展開されていた風景を見て、心臓を鷲掴みにされた気分になった。


 死屍累々と転がる男共の奥には、二人の少女がユラリと立っている。


 力なく立っているミオは、見張り役と思しき男の髪を、左手で鷲掴みにして頭から下をぶら下げている。


 もしその男の首から下が無ければ、かなり猟奇的な絵面になっているだろう。


 尤も、今の状態でも充分に猟奇的で、その輝きを失いつつも真っ赤に染まった目と、幽鬼の様な佇まいは、気の弱い者なら間違いなく失禁するほどの、迫力と恐怖を感じた。


 そして、その隣に佇むクロエもまた、ミオの様に力なく立ち、彼女の手の平には火で出来た玉が浮かんでいる。


 その火の玉こそが、起動を完了した〈火矢〉であり、それを前に飛ばした時に、慣性に従って火の玉が細長く変形して、矢の様に見える事から、〈火矢〉と呼ばれる様になった。


 それを手にした彼女の目も、真っ赤でありながらも虚ろであり、これから何をするのか予想が付かない。


 味方だと認識してくれれば良いが、今の様子では到底期待出来そうもない。もし敵だと思われたが最後、迷わずにその手にある物を飛ばしてくるだろう。


 彼女達の後ろを見ると、特徴的な耳と尻尾を生やした少年が転がっている。恐らくは、監禁されていたリオンだろう。しかし、彼の様子を見ていると、ピクリともしないので、既に意識は無い様だ。


 そして幽鬼と化した二人の少女は、まるで庇っている様にリオンを背にして立っていた。


 不意にその二人の幽鬼と視線が合う。それと同時にその幽鬼達は、転がる男共を踏み越えて、レイ達に近付いて来る。


 少しでも彼女達に、理性が残っているのならば問題は無いが、もし理性が吹っ飛んでいたのなら、敵認定は免れられないので、流石のレイやアヤメも身構えた。


 しかしその二人は、レイ達の元へ到達半ばにして、崩れる様に倒れた。


 慌てて二人に駆け寄ったレイは、二人に何が起ったのかに気付くと、先程、外で配った葉っぱを出して、二人の口に突っ込む。そして辺りを見回し、同じように倒れているリオンにも同じ葉っぱを、彼の口に突っ込んだ。


「流石のベルセルクも、一酸化炭素中毒には敵わない様だな」


 毒が効かない自分達には中毒の心配も無いが、肉体強化の恩恵が毒にまで及ぶとは思えない。そもそも、その肉体強化自身が中毒の様な物であるからだ。


 倒れている男達を見回したレイは、これ以上の戦闘が無い事に胸を撫下ろすと、再び葉っぱを取り出して、半分をアヤメに渡して言う。


「その辺に転がっている連中の口の中にも、一応こいつを突っ込んで置きたいから、手伝ってくれ」


 彼女はそのまま頷いて、レイから半分だけ受け取ると、部屋の奥に倒れている男に近付いていった。レイも部屋の反対側に倒れている男から順に、葉っぱを突っ込んで行った。


 そしてそれらを全て終わらせると、リオンとミオを小脇に抱える。


 抱えてみて初めて知った。ミオが意外に重い事と、リオンが意外に軽かった事に。そしてミオの事は兎も角、リオンの軽さは、彼の貧乏物語を容易に想像させた。


 横ではアヤメがクロエを抱きかかえている。


「それにしても、こっちの部屋が燃えなくて良かったな」


 この部屋に積んであった箱から、大量にこぼれ出していた白い錠剤入りの瓶を一瞥して、心の中からそう思った。


 こちらの瓶は向こうの分と違い、量が桁違いだったので、この部屋が燃えていたら、リオンの救出どころでは無い。それどころかより多くの人々が集まる中で、シュヴィアールの館の災難を再現し、未だかつて無い程のカオスな状況に置かれていただろう。


 そんな状況を想像したレイは、今一度身震いをして、傍に居るアヤメに声を掛ける。


「それじゃ、そろそろ帰ろうか」


 そしてその言葉を合図に、二人は普段なら絶対に寄りつく事の無い、この店を後にした。

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